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絢爛たる悪運 岸信介伝

読んだ本の感想。

工藤美代子著。2012年9月10日 第1刷発行。



政治家 岸信介(1896年~1987年)の伝記。

以下は、Wikipediaの「岸信介」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/岸信介

政治は血統と宗教で決まると思わせた一冊。

長州の佐藤家に生まれ、15歳で岸家に養子に入る。岸家には男児がおらず、一人娘である良子の婿養子という位置付。父である佐藤秀介は、岸家から佐藤家の茂世と結婚して婿養子に入っている。弟である佐藤栄作は母 茂世の弟 松介の娘 寛子と結婚しており、佐藤家と岸家は何代かに渡って血族の純血性を維持してきた。

血統以外では、終戦直後に天照皇大神宮教の教祖 北村サヨが、岸信介の総理大臣就任を予見した逸話があり、宗教がキーワードにもなる。

著者は、岸信介の権謀術策は思春期に婿養子に入り、周囲から役割を期待された事で身に付いたと推測する。

学生時代は、北一輝や大川周明の国家社会主義に影響され、後に国家主導での政治・行政を主導する官僚となる。1936年から三年間を満州で実業部総務司長や産業部次長、総務庁次長として過ごし、主要産業毎に国家が生産調整を行う体制を実践。

昭和十六年時点で45歳だったため、年次が足りずに最高位が商工大臣に留まり、低位とされ戦犯としての処罰から免れる。

岸信介が戦犯として無罪になったのは、駐日大使を経験し、米国の国務次官を務めていたジョセフ・グルーの思惑があるかもしれず、彼の主導するアメリカ対日協議会(ACJ)は日本を反共産主義の砦とするべく、ニューズウィークに勤務するジャーナリスト ハリー・F・カーンを組織者として活動している。

ハリー・F・カーンは1978年のダグラス・グラマン事件で、岸信介の秘書 川部美智雄をコンサルタントとして雇い、グラマン社の早期警戒機(E-2C)の売り込みに関与したともされる。

岸信介が総理大臣に就任する1957年には、CIAが日本を共産化から防衛する資金を出したとマッカ―サ大使が回想する。

第二次世界大戦前後で、岸信介の役割は実は大きく変わっていない。共産主義との戦いのために、日本の産業経済の様々な分野で総力戦体制を確立し、満州国創設、或いは日米同盟締結を目指した。





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