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物語 フィンランドの歴史

読んだ本の感想。

石野裕子著。2017年10月25日発行。



序章 フィンランド人の起源
フィンランドでは、石器時代(紀元前8600年頃~紀元前1300年頃)に人々が居住し、鉄器時代(紀元前500年頃~400年頃)には南東沿岸に約五万人が居住したとされる。

その民族的起源には諸説があり、定まっていない。

第1章 スウェーデン王国の辺境 13世紀~19世紀初頭
フィンランドはスウェーデン統治時代とされる十三世紀頃から形成されていった。スウェーデンによる植民は八世紀半ば頃に始まり、十字軍遠征(1155年、1249年、1293年)によってキリスト教が広まった。

1323年のパハキナサーリ条約により、スウェーデンとノヴゴロド公国の間でカレリア地峡の国境が画定。1633年にはフィンランド総督が設けられ、スウェーデンから派遣された総督が人口の93%にもなる農民を統治した。

1640年にオーボ王立アカデミーが設立され、フィンランド人の牧師や役人が養成されるようになるとフィンランド語が模索されるようになる。

〇古き怒り
モスクワ大公国の軍が1495年~1497年に侵攻し、スウェーデンと戦争。フィンランドを支配したスウェーデン貴族スチューレ一族と、デンマークとモスクワ大公国の争い。

〇長き怒り
1570年~1595年にスウェーデンとロシアの間で行われた戦争。戦後のタユッシナ講和条約でスウェーデンとロシアの国境が再画定。

〇大いなる怒り
1713年~1721年に大北方戦争で勝利したロシアがフィンランドを占領した。

〇フィンランド戦争
1808年に発生した戦争。ナポレオンが大陸封鎖令に従わないスウェーデンを攻撃するよう、ロシア皇帝に依頼し、勝利したロシアによって1809年から百年ほどフィンランドはロシア統治下に入った。

第2章 ロシア帝国下の「大公国」-19世紀~第一次世界大戦
ロシア統治下のフィンランドは大公国として、外交・軍事に関する決定権は無いものの自治が行われた。

①ロシア統治時代初期
1812年にはスウェーデンの影響を弱めるために首都がオーボからフィンランド湾のヘルシンキに移転される。1816年から大公国評議会が設置され、ロシア語やギリシア正教は強制されなかった。

②自由化の時代
クリミア戦争におけるロシア敗北を契機とする近代化によって、フィンランドは1850年代後半から1870年代にかけて広範囲の自治を得る。外国商品の扱いが地方でも認められ、職業の自由が1879年に宣言された。
1857年に蒸気ノコギリが解禁されて林業が盛んになり、1870年頃から製紙工場が多く建設され、サンクトペテルブルクとフィンランドを繋ぐ鉄道が建設された。

③『ロシア化』政策の時代
1880年代から1914年の第一次世界大戦開戦まで。1871年に統一したドイツを警戒し、防衛のためにフィンランドの自治は制限された。1899年にはフィンランドに関係する法律はロシアで制定出来るとされ、1900年の言語宣言によってロシア語が行政言語となる。

④独立期
日露戦争におけるロシア敗北を契機に、1906年の議会法で一院制議会が創設され、翌年には普通選挙が実施された(女性にも被選挙権)。
1910年にはロシア帝国の法律がフィンランドにも適用される法案が成立するも、第一次世界大戦によるロシア崩壊によってフィンランドの独立が1917年に認められる。

第3章 揺れる独立国家フィンランド-内戦~1930年代
独立後に白衛隊(資本家等による政体法回復を要求する)と赤衛隊(労働者による身分制議会改革を要求する)の争いが起こる。1918年の四ヶ月ほどの内戦は白衛隊が勝利した。

内戦後は、共和制では内戦が再発するとして、君主制が支持されるもドイツ皇帝ヴィルヘルム二世の親戚であるフリードリヒ・カールが招かれるが、辞退された事によりフィンランドは共和制になる。

代りに1919年の統治章典では大統領の権限が強大になり、議会選挙の結果に関わらず首相の任命が可能であり、法律に対して拒否権を持った。

経済的には製紙・パルプ産業が盛んで、第二次世界大戦前まで工業生産量は毎年8%近くまで上昇し、独立前には欧州諸国の平均以下だった一人当たりGDPは第二次世界大戦前にはフランスやオランダと同等になった。1920年代~1930年代には紙・パルプ、木材の輸出が全体の80%を占めた。

第4章 二度の対ソ戦争-第二次世界大戦下、揺れる小国
〇冬戦争(1939年11月30日~1940年3月13日)
フィンランドがソヴィエト連邦から提案された相互不可侵条約を拒否した事で発生。独ソ不可侵条約にも関わらず、フィンランド領を通過したドイツ軍のソヴィエト連邦北部侵攻を警戒していた。戦後、フィンランドは国土の1/10をソヴィエト連邦に割譲し、バルト海沿岸のハンコ岬を30年間貸与する事になった。

〇継続戦争(1941年6月25日~1944年9月19日)
ドイツ軍のソヴィエト連邦侵攻に合わせてフィンランドはソヴィエト連邦に侵攻する。東カレリアを一時的に占領するが、最終的には敗北した。

第5章 苦境下の「中立国」という選択-休戦~東西冷戦期
継続戦争における敗北によって以下のような休戦条約をソヴィエト連邦と結ぶ。

①領土割譲
フィンランド北部のペツァモの割譲。ポルカッラへのソヴィエト連邦海軍基地設置の容認。ポルカッラはハンコ岬より95㎞ほどヘルシンキに近く、バルト海防衛の要所。

②賠償金
六億米ドルを1952年まで支払う。半額以上は鉄工品で支払、フィンランド工業復興の足掛かりとなる。

③軍縮・反共組織の解散
53万人ほどの兵力を4万人程度まで削減。大フィンランドを志向する団体も消滅。

第二次世界大戦前後は戦争責任裁判が行われ、リュティ元大統領等の八名が有罪となる。1948年のソヴィエト連邦との友好・協力・相互援助条約によって、独立村長と内政不干渉の原則が盛り込まれ、1992年まで更新が重ねられた。

「パーシキヴィ・ケッコネン路線」として親ソ路線が外交政策の基本となり、サウナ外交と呼ばれる個人的信頼を軸にした秘密外交を展開した。

一方で西欧との関係も重視し、1861年に欧州自由貿易連合(EFTA)に準加盟し、1970年の貿易割合は、EFTA諸国(輸出44.9%、輸入44.8%)、ソヴィエト連邦(輸出11.3%、輸入12.6%)となっている。1969年にはOECDに加盟し、福祉を充実させる事に成功。

第6章 西ヨーロッパへの「接近」-ソ連崩壊~21世紀
ソヴィエト連邦崩壊は、フィンランドにとって1990年の総貿易輸出額の13%を占める貿易相手の喪失であり、1991年に金融危機が発生する。
1995年にはスウェーデン等と同時にEUに加盟する。しかし、2009年のユーロ危機を受けて「真のフィンランド人」等の反EU、反移民政党が躍進している。

終章 21世紀、フィンランドという価値
フィンランドは1980年代終わりから移民や難民を受け入れるようになるが、他の北欧諸国より少なく年間3000人に留まった。2015年以降、シリア情勢悪化に伴い、フィンランドも三万人を超える移民を引き受け、難民排斥運動が発生している。

フィンランドは「教育」で着目される事があり、観光地としても価値を増している。

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