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物語 ベルギーの歴史

読んだ本の感想。

松尾秀哉著。2014年8月25日発行。



フランス・ドイツ・英国の交流点に位置し、オランダ語とフランス語が対立する近代。

序章 ベルギー前史
ベルギー地方は三世紀にローマの支配下となるが、375年にフランク族等のゲルマン民族が流入し、ローマ軍はベルギガを東西に走る軍用道路まで退却した。軍用道路より南部は山岳地帯で侵攻困難であり、フランデレン(ゲルマン)とワロン(ローマ)との境界となり、後にベルギーを分かつ言語境界線になる。

三世紀頃にはガリアにもキリスト教が伝えられ、軍用道路の南側にキリスト教が伝えられる。

五世紀前半にはベルギー南東部のトンヘレンを拠点とするフランク系部族サリ族がローマ軍を破り、この地の首長となる。寒冷地である軍用道路の北側にキリスト教が伝えられるのは630年頃。

フランク王国統治下でベルギーは商業の要となり、843年のヴェルダン条約で中部フランク王国に属し、十二世紀頃にはノルマン人の侵攻に対抗してフランドル伯領が出来る。

<フランドル伯領の毛織物>
フランドル伯領は染料植物の栽培に適した土壌であり、染料を洗い流す洗浄剤に適した酸性土壌も豊富。羊毛の原産地であるイングランドに近いこともあり、フランドル伯領の毛織物業は栄え、十二世紀~十三世紀には布地をバルト海や地中海沿岸へ売る商業の中心地となった。
豊かなフランドルは他国から狙われ、1297年にフランスに併合されるも1302年の「金拍車の戦い」で自治を取り戻し、1328年に再びフランスに併合され、英仏百年戦争では英仏間で利権が争われた。

英仏百年戦争後、ベルギーはフランス系のブルゴーニュ公国の支配下になり、1477年にブルゴーニュ公国の公女マリーがハプスブルク家のマクシミリアン一世と結婚し、ベルギーはスペイン=ハプスブルク家の領地になる。

十六世紀のオランダ独立戦争ではスペインと戦うが、ベルギーにはカトリック信者が多く、北部ネーデルラントのカルヴァン派に恐怖を感じていたため、オランダと切り離されてオーストリア・ハプスブルク家の領地となる。

1795年にはフランス革命後のフランスに併合され、1814年のウィーン会議ではオランダ領となるも、オランダ語を強制する政策で独立の機運が高まった。

第1章 ベルギー独立―一八三〇~六四年
1830年にベルギーはオランダから独立する。フランス国王ルイ・フィリップの次男ヌムール(1814年~1896年)を王として所望するとベルギー国民会議は伝えたが、フランス強大化を防ぐために、神聖ローマ帝国出身のザクセン・コーブルク・ゴータ家のレオポルト(1795年~1865年)がベルギー初代国王となる。

ベルギー臨時政府は共和制を望んだが、周辺国が共和制を望まなかったため、独立の交換条件として王制を採択した事になる。

当初はフランス語を共通語とする政策があったが、1848年のフランス二月革命以後、フランスの拡張主義が恐れられ、レオポルト一世はフランデレン(オランダ語圏)を保護するようになる。

第2章 帝国主義と民主主義―一八六五~一九〇九年
ベルギー経済は発展し、1830年に428機だった蒸気機関は1880年には1万1769機に増加し、ワロン地方の石炭産出量は230万tから1700万tに増大した。

やはり言語の問題は残り、フランデレン運動として、司法(1873年)、行政(1878年)、教育(1883年)の言語にオランダ語を使用する許可が認められる(平等法)。

対外的には植民地政策が進められ、レオポルド二世は米国の支持を取り付け、1885年からコンゴ自由国の元首となる。ゴムと象牙の利潤は大きく、1927年にベルギーは英国、米国、ドイツ、フランス、オランダに次ぐ世界第六位の富裕国となる。

第3章 二つの大戦と国王問題―一九〇九~四四年
アルベール一世(1875年~1934年)はレオポルド二世の弟フィリップの子であり、第一次世界大戦ではドイツへの抗戦を主張した。息子のレオポルド三世(1901年~1983年)は中立政策を主張し、第二次世界大戦では英軍・仏軍の展開を認めず、ドイツに降伏した事で名を貶めた。

第4章 戦後復興期―一九四五~五九年
レオポルド三世はドイツに協力した事で復位を断念し(特にワロン側での不支持が多い)、王子のボードゥアン(1930年~1993年)が1951年に即位した。

戦後のベルギーは大国への対抗が課題の一つとなる。欧州共同市場を謳う1951年のECSC設立では本部機関をブリュッセルに置く事にする。欧州全体で見ると、大国間の利益衝突を避けるために、大国が欧州機関を独占しないようブリュッセルが本部になったとする。

植民地事情を考えてみると、1950年代のベルギーの国民総生産の12%はコンゴが支えていたが、1960年にコンゴは独立する。

第5章 連邦国家への道―一九六〇~九二年
ワロン経済を支えてきた石炭の需要低下や、フランデレン諸都市を中心に進められた海外企業誘致等により、1966年にはフランデレン経済はワロン経済を凌駕した。

1963年の言語法では言語境界線が確定され、ブリュッセルが両語圏となるが、司法・行政・立法・教育における各地域での言語が定まった。

1970年の憲法改正では、ベルギーはフランス語区、オランダ語区、二言語区、ドイツ語区の四言語区から成る事が定められた。1988年の憲法改正では地域と共同体の権限を拡大し、ベルギーは連邦国家となっていく。

第6章 分裂危機―一九九三年~
1993年にボードゥアン一世の弟アルベール二世が即位する。新国王は政治に無関心で、1990年代にはベルギー政治に大きく影響していない。

ベルギーはフランデレンの自由党に代表される分離主義、地域主義に侵され、地域主義によって国が財源を手離したために社会保障分野の負担で問題が発生するようになった。これは豊かなフランデレンと貧しいワロンの格差が拡大する事を意味する。

2013年には新国王フィリップ一世が即位し、統一の象徴としての国王が、分離主義と対立する状況が続いている。

終章 「合意の政治」のゆくえ
ベルギーは多言語国家であり、合意の中心たる国王を中心に、フランス語圏とオランダ語圏が争い、国王の振る舞い次第で一方の言語圏が失望・反発するパターンがある。

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