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ルネサンスとは何であったか

読んだ本の感想。

塩野七生著。2001年4月15日 発行。



歴史を忠実に描くのでなく、著者自身の見を載せる意思表示と考える。

第一部 フィレンツェで考える
ルネサンスとは、「知りたい」という欲望の爆発であり、造形美術を中心とした作品に結実する。

聖フランチェスコ:
罰で縛る従来のキリスト教でなく、愛を主張。修道院に入らずとも、一年の内に何回かは修道院で祈りを捧げればキリスト教徒であるとして、商人等の新興階級の支持を集めた。

フリードリヒ二世:
神聖ローマ帝国を宗教の支配下から解放しようとする。ナポリ大学を新設しキリスト教と無関係なローマの法律を学ばせた。

上記の二人ともイタリアで育ち、経済的に発展したイタリア都市の影響を受ける。都市は土地から切り離された独特の風土を持ち、血統に代わって才能が評価基準となる。教会や封建領主の閉塞を打破する形でルネサンスは始まった。

その特色は古代ローマ復興であり、建築物や芸術においてローマ風が見直され、イタリアが経済的に繁栄していた事も芸術を促進した。

P95:
哲学とはギリシア哲学につきるのであって、それ以降の哲学は、キリスト教と哲学の一体化という、所詮は無為に終るしかない労力のくり返しではなかったか

第二部 ローマで考える
十五世紀末から30年ほど、フィレンツェに代わってローマがルネサンスの中心になったとする。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ等の作品がローマを飾る。

キリスト教によっても人間性は全く改善されないという課題があり、マキアヴェッリは人間性は不変と考えて直視するべきとし、ルターは神と人間が直接に対し合う事を求めた。

ルター的思考では、信者の思想 = 神の意志となり易く大悪に陥る危険があるとする。

第三部 キアンティ地方のグレーヴェにて
グレーヴェで生まれたジョヴァンニ・ダ・ヴェラッツァーノが、カナダからフロリダ半島までの北米大陸を船で踏破し、ニューヨークの橋の名となった話。

探究心こそがルネサンスであるが、都市文明を主としたイタリア人には面を支配する植民地経営に適性が無かったのかもしれない。

第四部 ヴェネツィアで考える
十五世紀から反動宗教改革の時代を経て、芸術表現上の自由を認めるヴェネツィアは人材を集めた。

ヴェネツィア式の共和政では交易で財を築いた人々が実権を握り、メディチ家のような大金持ちは存在しない。交易上の中継能力、海軍力、情報力はヴェネツィアの自由を保障した。

ルネサンスの造形物を見分した著者の意見として、ルネサンスは芸術品、表現によって思想を他者に伝える生き方、善悪両方を自分の中に引き受ける一元論を残したとする。

善悪両方を抱える人間が中心になると、悪魔に責任転嫁できなくなり、精神の強靭が求められるようになる。詩人ダンテは、”精神の貴族”と呼んだ。

P186~P187:
芥川龍之介の書いた『澄江堂雑記』の中に、「歴史小説」と題された小文があります
(中略)
一時代の特色のみを、殊に道徳上の特色のみを、主題にしたものもあるべきである
(中略)
メリメの『イサベラ』もこれである。(アナトール・)フランスの『ピラト』もこれである

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