十字軍物語3

読んだ本の感想。

塩野七生著。2011年12月10日 発行。



前2作と比べて作者が力尽きてしまったように感じた。第三次十字軍以降の記述が薄い。

第一章 獅子心王リチャードと、第三次十字軍
(一一八八年 ― 一一九二年)

1187年のイェルサレム陥落を受けて第三次十字軍が組織される。法王代理は同行しない。記録にも奇跡や恩寵等の記述が無くなり、人々の気質の変化が伺える。

英国王リチャード二世、フランス王フィリップ二世、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ一世等が参加した。フィリップ二世は途中で帰国し、フリードリッヒ一世は事故死したため、実質的にリチャード一世とサラディンの争いになる。

リチャード一世は、それまでビザンチン帝国領で十字軍に非協力的だったキプロス島をカトリック派のキリスト教に変え、補給地として活用。イスラム教徒に包囲されていたアッコンを解放した後は、地中海沿いに海路での補給を続けながらヤッファ(テル・アヴィヴ)、アスカロンまで南下した。地中海東岸の海港都市を制圧してエジプトに圧力をかけて、イェルサレムへの補給を断つが、英国にて弟ジョンが反乱を起こしたという知らせを受け、妥協して撤退する。

キリスト教徒の巡礼の安全・自由が認められ、東地中海の海港都市がキリスト教側にある事等が講和条約で定められた。

第二章 ヴェネツィア共和国と、第四次十字軍
(一二〇二年 ― 一二〇四年)

1198年に就任したインノケンティウス三世が、法王代理が同行する十字軍によってローマ法王の影響力復権を成そうとする。

フランス貴族を中心にヴェネツィアから参加しようとするが、運送費用8万5000マルクが支払えず、ヴェネツィアに言われるままアドリア海沿岸のザーラやビザンチン帝国のコンスタンティノープル攻略を行う。

ギリシア正教会をカトリック傘下に置くという名分があり、コンスタンティノープルを中心にフランドル伯ボードワンを皇帝とするラテン帝国が樹立される。

以後、ラテン帝国皇帝の補佐役にはヴェネツィア人が加わる事になり、ヴェネツィアと敵対関係にある商人はラテン帝国内では通商に携わる事が出来なくなる。

ザーラの他に、アドリア海出口にあるドゥラッツォ、ペロポネソス半島にあるモドーネとコローネ、ネグロポンテ、東地中海の中継地点として重要なクレタ島等がヴェネツィア領になった。

著者は、二十世紀の価値観ではキリスト教徒同士の内輪揉めであるために評判が悪いが、ヴェネツィアによって聖地巡礼ルートが確保されて営利事業としての旅の快適度が増したであろう事を評価する。

第三章 ローマ法王庁と、第五次十字軍
(一二一八年 ― 一二二一年)

ローマ法王ホノリウス三世によって法王庁主導の十字軍が組織される。法王代理ペラーヨが中東に派遣されるも、攻め入ったエジプトのダミエッタで、ナイル川の増水を利用する作戦に翻弄され、イスラム教徒側と八年の不可侵条約が結ばれて終わる。

第四章 皇帝フリードリッヒと、第六次十字軍
(一二二八年 ― 一二二九年)

1220年に神聖ローマ皇帝に就任したフリードリッヒは、1223年に自領のシチリア島にいたサラセン人をイスラム信仰を維持したままイタリアのルチェラに移住させる、1224年にローマ法(法律が宗教に支配されていなかった時代の法律)を学ぶナポリ大学、サレルノ医学校(宗教を重視しない)を建設する等のローマ法王の心証を悪くする事を繰り返し、関係改善のために十字軍を組織する。

1228年には出発延期を行ったために、フリードリッヒはローマ法王グレゴリウス九世に破門されており、破門された指導者が率いた十字軍という事になる。

フリードリッヒはアユーブ朝スルタン アル・カミールと交渉によって戦い、以下の条件での講和が成立する。

①イェルサレムの帰属
イェルサレム東側の1/3をイスラム地区とし、残りをキリスト教側に譲渡する。

②周辺の支配
イェルサレムの周辺はイスラム側の領土とする。

③海港都市
パレスティーナの海岸における海港都市の領有権はキリスト教側にあるものとする。

⇒それまでイスラム教側だったシドンからベイルートまでの海港都市がキリスト教側の領土となり、アンティオキアからヤッファまでの海港都市全てがキリスト教側の勢力範囲となったため海路を使った巡礼、通商が盛んになる

フリードリッヒは長期間は中東に留まる事が出来ないため、交渉上は不利なはずだった。有利であったはずのアル・カミールが譲歩した理由は、イェルサレムがイスラム領である限りは十字軍が組織され続けるという深謀遠慮であったかもしれない。

ローマ法王グレゴリウス七世は戦わずに講和した事が不満で、イェルサレムを聖務禁止に処したが、巡礼者達は従わずにイェルサレムの聖墳墓教会で祈りを捧げ、人々の意識が変化していく。

ローマ法王グレゴリウス七世は、南イタリアにあるフリードリッヒの領国に攻め入り、フリードリッヒは急遽、欧州に帰国しなければならなくなる。

第五章 フランス王ルイと、第七次十字軍
(一二四八年 ― 一二五四年)

フランス王ルイ九世が組織した十字軍。

1244年にシリアの一部族がイェルサレムを占領した事で、ローマ法王インノケンティウス四世が十字軍を提唱。総勢2万5000人でエジプトに攻め込む。

エジプトの元奴隷兵士マメルークの襲撃によって軍全体が捕虜になる未曾有の事態となる。中東に在住していた聖堂騎士団や病院騎士団、チュートン騎士団も打撃を被り、中東在住の十字軍国家の勢力も減退した。

第六章 最後の半世紀(一二五八年 ― 一二九一年)
十三世紀に勢力を拡張したモンゴル族によって1258年にバグダットが陥落する。1260年にはアレッポ、ダマスクスが陥落し、エジプトにまでモンゴル族が迫る。

エジプトの主権はアユーブ朝から、元奴隷のバイバルスが率いるマメルーク朝に移行しており、アイン・ジャールの戦いでモンゴル軍を破る。

マメルーク朝は、バグダット陥落時に殺害されたアッバス朝のカリフの親族を招いてカイロでカリフとし宗教上の権威によって統治した。

そのためにマメルーク朝は、より宗教的にならざるを得ず、商業利益を無視した攻撃を十字軍国家に行い、1291年にはアッコンが陥落し、中東の十字軍国家は壊滅する。

欧州では1270年にルイ九世によって第八次十字軍が組織され、チュニジアに攻め込むが失敗する。

P403:
国内の政治では、まじめに心をこめて行えば、多くの場合結果は良と出る。なぜなら、既得権階級の反対を無視して強行しても、結果が良ならば多くの人が納得するからで、それは利害が国益という形で一致しているからである
しかし、国外との政治になると、利害が不一致であるほうが当り前の国や人が対象になっていくる。この場合、まじめに心をこめたからと言って、結果は良と出るとはかぎらない

第七章 十字軍後遺症
中東の十字軍国家壊滅後、病院騎士団はキプロスやロードス島、マルタ島と居住地を変えてイスラム教徒への海賊行為を行うようになる。

聖堂騎士団はフランスに戻るが、フランス王フィリップ四世によって1307年に逮捕され、異端審問にかけられ処刑される。

その理由は以下の通りとする。

①十字軍阻止
聖堂騎士団の中に新十字軍を組織する動きがあり、無謀な遠征を阻止する必要があった。

②財政難
ルイ九世の十字軍遠征等により、フランス王家は聖堂騎士団から多額の借金をしていた。

③責任転嫁
フランス王は、第二次、第七次、第八次と十字軍を組織しながら失敗しており、責任回避のために具体的な転嫁先を必要としていた。聖堂騎士団がイスラムと通じており、十字軍国家を異教徒に売り渡したと拷問で認めさせれば責任を回避出来る。

第七次、第八次の十字軍を組織したフィリップ四世の祖父ルイ九世は、1297年に聖人に列せられており、聖堂騎士団を犠牲の羊にすれば責任帳消しは完全になる。

中東では、イスラム教徒とキリスト教徒の経済的結び付きは途切れず、1302年にヴェネツィア共和国はマメルーク朝と通商協定を結ぶ。オリエントの高級品はイスラム世界では購入層が限られ、欧州都市国家で台頭する中産階級に販売した方が旨味があった。

以降もキリスト教とイスラム教の戦いは継続していくが、宗教戦争とは言えず領土や利権をめぐる抗争である。そうしたなかでも「正」に対する欲求は人々の中に残っている。

〇アヴィニョン捕囚
1306年から70年ほど、ローマ法王がフランス王に拘束され、フランスに移住した事件。

法王選出の枢機卿会議はフランスのアヴィニョンで開催され、フランス王が望む聖職者がローマ法王となる。1077年にローマ法王が神聖ローマ皇帝を屈服させた「カノッサの屈辱」とは違い、法王の権威低下が示される。

著者は、ローマ法王が神聖ローマ帝国を弱体化させ過ぎたためにフランス王が強化されたとする。フランス王家は、十字軍に参加して戦死したフランス国内の有力諸侯の領土をフランス王直轄領とする事でも勢力を拡張した。

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