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中国の大盗賊・完全版

読んだ本の感想。

高島俊男著。2004年10月20日第一刷発行。



全体を通して語られるのは、中国史における文化や知識に重要性だと思う。

時間と場所を超越して常に正しい「経典」があり、様々な現象に解釈と指針を与える。真理を記した書物を求める傾向。

新事態に遭遇しても、経典を読み返せば指針が得られる。19世紀後半の動乱期には、儒教的解釈を行う公羊学が流行し、儒教が権威を失うとマルクス主義が空白を埋めた。

マルクス主義は、絶対的に正しいとされ、あらゆる方面に応用可能だった。

経典は政府のみが解釈権を有し、一般人は従うのみである。それは歴史解釈でも同様であり、自らを過去の歴史的人物と同一視する権力者達によって歴史的事実は変化し続けた。

序章 「盗賊」とはどういうものか
中国史における「盗賊」について。

盗賊とは、官以外の武装した実力集団である。

中国の歴史的には、地方都市を守るのは地方官ではなく、各地方の名望家が私的に組織した郷土軍である事が多い。中国では地方官は土地と結び付かないように短期で転勤していくので、地元民との親近感が少ない傾向があり、各地の不満を土着豪族が吸収して「盗賊」になる事がある。

以下が「盗賊」が大規模化する要件。

①宗教的拠り所
②知識人
中国では文化を重視する傾向があり、礼儀を知らぬと格が落ちるため、偉くなるには知識人の秘書が必須となる。
③運輸人夫、行商人の加入
情報網確保。

中国の歴史上、こうした「盗賊」が全土を支配して国号や元号、暦を制定し、文武百官を任命して組織する事があり、中華人民共和国もその系譜に連なる。

第一章 元祖盗賊皇帝―陳勝・劉邦
秦の支配下が揺らぐ中、盗賊として皇帝になった陳勝(張楚を建国)、劉邦(大漢帝国高祖)について。

劉邦は皇帝になると権威付けのために儒教を利用した。

儒教では生活が実質のみでは禽獣と大差無いとして文(模様・飾り)を重視する。戦乱の時代は実質重視だが、平穏な時代には権威付けのために文が重視される。

第二章 玉座に座った乞食坊主―朱元璋
明の太祖 朱元璋について。

戦略構想の基礎となる「高築牆 広積糧 緩称王」(城壁を堅固に、食糧を貯え、皇帝になる事を急がない)は毛沢東に影響し、1973年に「深挖洞 広積糧 不称覇」という号令を発している。

漢民族復興という理念があり、学問文化の中心である長江下流域を本拠としてために、知識人が多く加入した。

第三章 人気は抜群われらの闖王―李自成
明を打倒して大順を建国するも、清に倒される。

参加する知識人が少なかった事が敗北原因の一つとする。

李自成ブームは、1944年に郭沫若が書いた「甲申三百年祭」や、姚雪垠が書いた『李自成』による。

郭沫若は、明王朝、盗賊、女真族が三つ巴になる状態を、1930年、1940年の中国の状態と照らし合わせ、女真族(日本軍)を打倒するために、国共合作をすれば良いという思想をリードした。

毛沢東は自らを李自成に擬えたため、姚雪垠の描く李自成は極度に美化され、毛沢東の江青夫人が朱元璋の高夫人に擬え照られて美化される等している。

第四章 十字架かついだ落第書生―洪秀全
太平天国を組織した洪秀全について。

24歳で科挙に落第してから狂うようになり、30歳でも科挙に落第すると新興宗教を組織する。

著者は、その戦いを洪秀全(盗賊)と地元の豪族(曽国藩)の醜い勢力争いとする。

太平天国は満人王朝に敵対する共産主義国家の側面があり、中華人民共和国に擬える事が出来るために美化された。

曽国藩の湘軍は、読書人を選んで将校とし、給料の半額を休暇帰郷や除隊の際に渡す等して、負け戦の時でも兵が逃げないようにした。水軍を重視した事も特徴。

第五章 これぞキワメツケ最後の盗賊皇帝―毛沢東
毛沢東について。

自らも詩作を嗜む等、秘書に頼らずに文人の資質を持った事を特色とする。教養の大半は中国古典に由来するが、マルクス・レーニン思想の本質を造反有理(下位者が上位者を倒す事)と定義している。

毛沢東の好んだ詩(詞)は、厳格な規則に従って、文字を埋めていく事を特徴とする。

自らがを知識人としながらも、1942年の整風運動を端緒として、文化大革命に至るまで知識人狩りを行っている。中華帝国では、自由に考えるのは皇帝一人。

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