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新アルメニア史

読んだ本の感想。

佐藤信夫著。1989年3月23日 第1刷。



【アルメニア】
領土範囲は、約2万9800㎢(日本の約1/13)。大アルメニアは、グルジア・アゼルバイジャンを含むコーカサスを中心とする一帯で、カスピ海沿岸からシリア北部、アナトリア地方までの広範な地域の呼称。

国土の半分は約1800m以上の高度にあり、乾燥した低地では年間降雨量300㎜以下でアクラス川流域一帯の灌漑地帯で桑、綿花、煙草、葡萄等が栽培され、ティグリス・ユーフラテス川上流域では大麦・小麦の穀物が栽培される。

鉱物は銅が主要であり、石器時代には黒曜石が重要な産物だった。

【建国神話】
五世紀のアルメニア史家モヴシス・ホレナツィの『建国神話』では、バベルの塔崩壊後の争いを嫌気したハイークが約300人を引き連れて北に向かい、アッシリア平原を支配していた巨人ペルを破ってアルメニアの地を手にしたとある。

ハイークの子孫アラムは、クルド族の祖メディア人が住む東方を攻撃し、敵を首都アルマビルに連行して処刑したとされる。

【歴史】
〇先史時代
紀元前5000年頃の南部メソポタミア遺跡からは、遠隔地から交易によって齎されたと思われる品が出土しており、黒曜石の主な産地はアルメニア高原とされる。

〇ヒッタイト
ヒッタイト王スッピルリウマとアルメニアのフッカナーの間で締結された条約の記録がある。

〇ウラルトゥ王国
紀元前九世紀頃に形成され、紀元前六世紀頃まで奴隷制国家を維持したとされる。スキュタイの侵入によってティシェバイニ市が陥落する。インド・ヨーロッパ語族に属するアルメニア人は、紀元前七世紀~紀元前五世紀kロオに南コーカサスに侵入したらしい。

〇アルメニア初代王朝
ウラルトゥ王国滅亡後、支配地域はメディア王国に編入され、紀元前550年頃にニュロス二世によってアケメネス朝ペルシアに併合される。紀元前四世紀にアレクサンダー大王の中東遠征があり、その後、セレコウス朝シリアの支配下に入る。

そして、セレコウス朝のシリアのアンティオコス三世が、マグネジアの戦い(紀元前190年~紀元前189年)でローマに敗れると、大アルメニア王としてアルタクシアス(在位:紀元前189年~紀元前159年)、ソフィーネ王としてザリアドレスがローマ軍承認のもと即位式を行った。

その後、アルメニアはティグラネス大王(在位:紀元前95年~紀元前54年)によってパルティアから広大な領土を獲得する。アルメニアはローマの同盟国として、パルティアとの緩衝地帯に位置した事になる。

〇アルサケス王朝(66年~428年)
63年のランデイア条約によって、アルメニア王位はパルティアのアルサケス家が継承し、アルメニア領はローマの属州とする事が定められる。この時にゾロアスター教が広まる。

226年にパルティアの本家アルサケス朝がササン朝によって滅ぼされた後も、428年まで存続する。301年には聖グレゴリウスによってキリスト教に改宗し、ペルシアとの文化的障壁を形成した。

〇ペルシア知事統治時代(428年~630年)
アルサケス朝のアルタクシアス四世が、貴族達の不満によって退位させられ、ササン朝ペルシアから派遣される知事による支配が始まる。キリスト教維持のために、バハーン・マミコニヤンの叛乱(450年~451年)が発生している。

〇ビザンティン統治時代(631年~693年)
ササン朝ペルシアがイスラム帝国によって滅ぼされたため、ビザンティン帝国がアルメニアを支配した。

〇アラブ人統治時代(693年~885年)
イスラム勢力拡大によってその支配下に入った。メディナ政府がアルメニアに対する宗主権を確立した661年からとする説もあるが、一般的に派ウマイヤ朝にビザンティン帝国が敗れた693年からをイスラーム統治時代とする。

〇バグラトゥニ王朝(885年~1045年)
806年にアッバース朝はアショット・バグラトゥニをアルメニア領主とし、885年にはアショット一世がアルメニア王として承認された。アショット三世は首都をアルパ川渓谷に臨むアニに移した。

〇セルジューク・トルコと蒙古民族による支配(1048年~1453年)
セルジューク・トルコのアルメニア侵略は1048年からで、1071年のマンジケルトの戦いでビザンティン帝国軍を破ると、本格的な支配が始まった。

セルジューク・トルコは1194年に滅ぶが、1258年に蒙古軍がアッバース朝の首都バグダードを滅ぼして西進すると、イル・ハン国の支配下になる。

〇オスマン・トルコ治下(1453年~1916年)
イル・ハン国は1411年にティムールによって滅ぼされ、オスマン・トルコが1453年にビザンティン帝国を滅ぼすと、アルメニアも統治されるようになる。

1722年にロシア皇帝ピュートルがサファヴィー朝援助の名目で、デルベントを攻略すると、呼応する形でアルメニアに対トルコの叛乱が発生するが鎮圧される。

1878年の露土戦争でも、アルメニア人がロシア側兵士として参戦するも、ベルリン条約ではアルメニア領だったベッサラビア、カルス、ハットゥム等がロシア領となる。

〇アルメニア
1917年にトルコに攻め入ったロシア軍によってアルメニアが占領され、1920年にはトルコ政府がセーヴル条約によってアルメニア共和国を承認し、平和条約が締結された。その翌日に、民族主義政党ダシュナクツゥチューンと共産主義者からなる政府は、アルメニア社会主義ソヴィエト共和国成立を宣言した。

<トルコとの対立>
第一次世界大戦頃にトルコによる民族虐殺があったとして、第二次世界大戦が終結後、各地に散在するアルメニア人によってアルメニア問題擁護委員会が組織され、トルコに対する武力報復を提唱する者が出て来る。

1965年には、ベイルート、ロンドン、パリで「トルコに対する武力報復宣言」が出され、1973年~1983年ではトルコ人外交官が34名殺害されている。

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