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古代ローマの戦い

読んだ本の感想。

エリドリアン・ゴールズワーシー著。2003年5月30日 第1刷 発行。



ローマ帝国の衰亡を軍事の観点から読み解く。

初期ローマ帝国の強さの理由は、常備軍の強さと農民兵の数を両立した事にあった(他民族に市民権を与える事に寛容であったため数が多い?)。

その文化を生み出した背景は、本書の中では明かされないが、古代において多くの兵隊が戦意を保ったまま軍事作戦を継続出来る事は少なく、カルタゴやマケドニアを圧倒したのは敗北を続けても動員力が低下しないローマの攻撃性だった。

やがて、領土が拡大し、奴隷制が定着して中小農民層が没落し、大農場が一般的になっていくと、ローマの農民兵制度は綻びを見せる。カエサルの改革は、共和制による皆兵制度を、皇帝に忠誠を誓う私兵集団に転換する事にあり、広大な領土を民主制で統括出来ない現実から転換した。

私兵集団が各地に分立し、各地の蛮族達に数で太刀打ち出来なくなっても、ローマの威光が継続している最中は戦わずとも領土を維持出来たが、大規模会戦を行う能力は失われていき、やがて蛮族の侵入によってローマは浸食されていく。

ローマ崩壊は、軍事的敗北ではなく、制度劣化によって国内のインフラを維持出来なくなったためとする。

〇ローマ軍(共和制)
三列からなる戦列を組み、それぞれの列が十個の中隊に編成された。第一列と第二列は120名~160名の中隊。第三列は60名編成の中隊。第三列は予備部隊であり、敵の疲れを待って投入された。

〇志願兵
多くの属州に駐屯軍を置く事になると、市民軍制度では兵士の負担が大きくなり、マリウス(紀元前157年~紀元前86年)は、志願兵で軍団を形成した。

戦術的下部組織は、中隊から歩兵隊になり、各軍団は十個の歩兵隊(480名)で構成された。歩兵隊はさらに三中隊に分けられ、それぞれに百人隊長が配置された。

大規模会戦ではなく、属州を維持するための比較的小規模な戦闘では、独自の指揮系統を持つ小規模な軍の方が機能的だった(十個の歩兵隊を指揮する方が、30の中隊を指揮するより容易)。

<パルティア>
紀元前54年頃からローマと対立し始める。重装騎兵と軽装弓兵からなる戦略を採用し、遠方から精確を度外視して弓矢による集中攻撃を行い、乱れた敵に重装騎兵が仕留める。

騎兵の機動力に対してローマは投石や弓で対抗するも、遠方にあるパルティアへの侵攻は大規模部隊を必要とするため、パルティア遠征は現実的でなかった。パルティアの方でも封建的政治基盤により、大規模な遠征軍を編成出来ず、両者ともに防御的な戦いを行った(多くの戦いはアルメニア争奪戦である)。

<ササーン朝>
224年に興ったササーン朝は、封建的舞台で編成され、パルティアと同じく騎兵を中心とする軍を持った。パルティアとの相違は攻城戦能力の有無で、攻城塔や攻城槌等を有し、ローマとはニシビス、アミダ、ドゥラ・エウロポスのような国境線の砦の争奪戦を行った。

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