“糞袋”の内と外

読んだ本の感想。

石黒浩著。2013年4月30日 第1刷発行。



以下は、著者のtwitterへのリンク。

https://twitter.com/hiroshiishiguro

著者の考える人生、人間、社会、自由等に関する意見。

人間は感覚器の集合であり、感覚器は体を覆う袋のようなもの。人間が認識出来る袋の中身は、体から出てくる糞だけである。糞は体の外側に出る事で、視覚や嗅覚、触覚を通して認識出来る。

自分で自分を認識する事は不可能で客観は存在しない。客観とは、誰からも同じ観測が可能であるという事で、自分が見ている他人と同じように自分が存在する事を確認するために他人と触れ合い、時には宗教を必要とする。宗教には、強制的に共有される前提がある。

客観が存在しない以上、人間が多くの人間が信じる事を自分も信じる事で帰属先を得る。だからこそ、「私」の意図は社会の中から生まれてくるのであり、社会と「私」のせめぎ合いによって自分が確定される。

技術は人間の能力を拡張するため、「私」の範囲も広がる。それは自分が薄まっていく事でもあり、「私」が拡大していくと同時に、「私」の役割が曖昧になっていく。あらゆる過程は、機械を信じる事によって成立する。

仮に人間に似ているアンドロイドが実現した場合、体の中身をいちいち調べる者はいないので、人間と同じように生活出来る。人間は脳内で発生する曖昧や複雑に名前をつけて社会で共有する。誰も「人間らしさ」を正確に説明出来ないが、社会の中に「人間らしさ」は存在し、共有されている。

それだからこそ、新しい発見は言葉や概念が未発達で不完全な分野で現れるはず。

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