中世シチリア王国

読んだ本の感想。

高山博著。1999年9月20日第一刷発行。



以下は、Wikipediaの『シチリア』の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%81%E3%83%AA%E3%82%A2

プロローグ―もう一つの中世ヨーロッパ
ギリシャ、ビザンツ、イスラムの3つの文化が交錯したシチリアについて。

中世においては覇権争奪戦の舞台であり、旺盛な商業活動、文化活動が行われた。十一世紀にノルマン人が国家を築いたのは、境界線にある小国同士の争いを利用したためとする。

歴史的にシチリアは以下の役割を果たす。

①東方文化輸入基地
首都パレルモにある王宮は、「十二世紀ルネサンス」という中世欧州文化活動の中心の一つで、ギリシャ語やアラビア語の著作の多くをラテン語に翻訳した。

②近代行政制度の模範
世俗的官僚機構を有し、11世紀~12世紀欧州における世俗国家発展に影響下。

1章 地中海の万華鏡シチリア―錯綜する歴史
紀元前八世紀にギリシャ人の植民が始まり、東海岸にナクソスやシラクーザ、西海岸にセリヌンテ、セジェスタ等を建設した。紀元前三世紀にはローマ帝国の支配下となり、影響を受ける。七世紀後半に北アフリカ西部がイスラム教徒の支配下になると、その影響も受けた。

シチリアは、十世紀初めまでにビザンツ帝国からイスラム教徒の手に移り、十一世紀にノルマン人が南イタリアを訪れるまで支配が継続する。

2章 ノルマン人の到来―地中海とノルマン人
八世紀末から欧州各地を荒らしたヴァイキング達は、十世紀初頭にノルマンディ公国を作り、十一世紀にはそこが傭兵の供給地となる。十一世紀初頭のノルマンディ公国は人口急増により、新天地を求める人々が多かった。

オートヴィル・ラ・ギシャールの村にあるタンクレドゥスの息子達は、南イタリアで傭兵長として活躍する。

①鉄腕ウィレルムス:南イタリア征服
1035年に故郷を離れ、メルフィの町を拠点に活動。

②ロベルトゥス・グイスカルドゥス:南イタリア統合
1081年にはビザンツ帝国にも遠征。1085年に死ぬが、アプーリア公国を継いだロゲリウス・ボルサは、有効な統治機構をお店炒め煮多くの領土を失った。

③ロゲリウス:シチリア島征服
著者は、有効な統治機構を作り上げたと評価している。

3章 王国への道―シチリア伯領からシチリア王国へ
ロゲリウスがシチリア島を征服していく過程。

1060年から島内のイスラム教徒の内紛に付け込んで征服を開始し、1072年にはパレルモを陥落させる。征服活動には僅かな騎士のみを従え、役人にはビザンツ帝国に仕えたギリシャ系の人々が多く、イスラム教徒が使用していたアラビア語の土地台帳や住民名簿を利用したとする。

1095年にはロゲリウス二世が生まれ、初代シチリア王になる。

4章 地中海帝国の夢―ロゲリウス二世の新王国
1130年にロゲリウス二世がシチリア王に戴冠した背景には、軍事的支持基盤を欲しがったローマ教皇アナクレトゥス二世の動機があったとする。

1131年にはイタリア半島東部のアプーリアで反乱が発生し、1133年にイスラム教徒を中心とする国王軍を中心に反撃し、1140円ンまで秩序を回復した。

ロゲリウス二世のイタリアにおける領土は、アプーリア公国、ターラント侯国、カープア侯国という古い国々を単位としており、ロゲリウス二世の統治目標は、彼の地の軍事施設を自分の管理下に置き、首長の任免権を掌握していく事にあった。

以下の導入。

①地方司法官、地方侍従官
王の代理人として国王財産の保護管理と行政遂行を行う。

②ディーワーン・アッタフキーク・アルマームール
パレルモの王宮にシチリア行政の中心となる役所を設置。

ロゲリウス二世の統治下には、ラテン系司教(ラテン語で行うカトリックの祭式)とギリシャ系主教(ギリシャ語で行うビザンツ式典礼)が混在し、イスラム教徒までいた。

5章 強大な官僚国家へ―ウィレルムス一世と宰相マイオ
ロゲリウス二世の四男ウィレルムス一世(在位:シチリア王として1151年~1166年)は、ビザンツ帝国軍や教皇ハドリアヌス四世の軍などを撃退すると、国政を宰相マイオに委ねたとする。

マイオは行政の中央集権化を進めるが、1160年に暗殺される。その後、王国最高顧問団(3人~5人)が結成され行政権が集中するようになる。

6章 動乱から安寧へ―ウィレルムス二世善王の時代
ウィレルムス二世の治世は、王国最高顧問の一人ガイトゥス・ペトルス(アラブ人宦官)に委ねられ、暗殺計画によってガイトゥス・ペトルスはチュニジアに亡命する。王国最高顧問団の定員は五人~十人~三人と変動し、王国権力中枢が変化した事を伺わせる。

職務の専門化も進み、アラブ人官僚が行政の中核となった。

7章 南国の楽園―めずらしい果物の島、美しい建物の街
イスラム教徒が齎した灌漑技術や、レモン・ダイダイ・綿・桑・ナツメヤシ・ウルシ・ピスタチオ・メロン等の作物について。

中世シチリアは商業圏の中心で、東方へ絹と織物を輸出したらしい。

8章 異文化接触の果実
   ―イスラム、ギリシャ、ラテン文化の出会い

ノルマン王宮では、ビザンツ様式のモザイク画、キリストの宗教画、アラブ様式の天井が混在する。中世においては、アラビア語文献、ギリシャ語文献の研究も盛んで、十一世紀~十二世紀からけ西欧世界の知識人の多くが留学したとする。

王国内には異なる文化圏に属する人々がモザイク状に混在し、それをノルマン人が統合して一つの国家にしていた。王国内に併存していた文化集団が、隣接する大文化圏との交流を盛んにし、強力な王権がアラブ人を必要としたために排斥は抑制されたが、シチリア王国のアラブ人人口が減少し必要性が減じると、アラブ人への態度も冷淡になり、異文化集団に支えられた文化的・経済的繁栄も終焉する。

エピローグ―混迷の時代へ
1189年にウィレルムス二世が亡くなると、後継者をめぐって混乱が発生し、1194年には初代王ロゲリウス二世の娘コンスタンティアの夫であるドイツ王ヘンリクス六世がシチリア王といて戴冠する。

その子であるフレデリクス二世の治世下では、1220年代にイスラム教徒約2万人が半島部アプーリアちほうのルチェーラに強制移住させられ、キリスト教徒とイスラム教徒の併存は終わる。

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