ルーマニア史

読んだ本の感想。

萩原直著。1993年10月15日 印刷。



以下は、Wikipediaの『ルーマニアの歴史』の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

歴史的に緩衝地帯として必要とされた国の歴史だと思う。

古代から、ローマと蛮人、オスマン帝国とハプスブルク家、ドイツとロシア、欧州とソヴィエト連邦という二つの勢力の狭間で必要とされてきた。

271年にローマ皇帝アウレリアヌスが撤退して以降、4世紀~10世紀に至るカルパチア=ドナウ地域の文学史料は欠落しており、国家権威は緩衝地帯維持のために必要で、自治的農村共同体が自然な姿なのかもしれない。

ゴート人、フン人、アヴァール人、スラヴ人と征服者は代わっていき、ブルガリア人は国家組織と864年~865年のキリスト教受容で大きな影響を与えた。

ワラキア公国、モルダヴィア公国として1476年~1806年まではオスマン帝国の属国として大きく影響し、それ以降はロシアの保護国となる。

大国に支配され中間層がいない傾向は継続し、1911年には人口0.2%の資産家が議席の41%を占め、形式民主主義と呼ばれる。1857年からは石油開発が行われ、1913年には世界四位の石油産出国となるが、その大部分はドイツ資本(27%)、英国資本等(8%)の参加する諸会社で行われた。

農民問題もあり、1895年には6500の大土地所有者が全耕地の半分を所有していた。特にモルドヴァでは請負農場主の大部分がユダヤ人で農村部の緊張が高まった。

第一次世界大戦後も戦勝国によって生み出された均衡システムに依存する政体は継続し、第二次世界大戦中に当初の枢軸国支持から連合国支持へ転換している。

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