ラテン・アメリカ史Ⅱ

読んだ本の感想。

編者:増田義郎。2000年7月15日 1版1刷 発行。



南米大陸には、スペイン語を公用語とする九つの共和国があり、総面積は日本の約47倍だが、人口は約2.5倍。北米大陸より西に位置するため、大西洋岸諸地域は歴史的に欧州と結び付いた。

歴史の特色は1500年頃を境に外の世界との接触をほとんど持たない先コロンブス期と、植民地支配された期間に分かれる事。

十六世紀の欧州は官僚機構や軍事制度の整備拡大に従って、多額の貨幣による支払いを必要としており、1545年、1546年のペルー、メキシコの大銀山発見は革命的意味を持った。

南米大陸においては19世紀初頭の独立以後も、対外関係の相手が欧州に限られ、英国の経済的影響やフランスの文化的影響が強い。十九世紀後半には、欧州を始めとする移住者が渡米し、文化に大きな影響を与えた。

二十世紀には富裕層による寡頭支配に対して、社会正義実現を主張するポピュリズムが盛んになるが、それは財政赤字拡大という問題を発生させた。

世界大戦中は戦場とならず、先進国からの輸入が困難になっために輸入工業製品を国産製品によって肩代わりする輸入代替工業(製造機械は輸入に頼り、工業化が進むほど輸入が増加する)が起こり保護貿易が主体となるが、国内市場狭隘という限界があり、1980年代からは市場開放が経済路線の基調となる。

<ブラジルの開発>
ポルトガル人によるブラジル領有の第一段階は、沿岸部に航海基地を設置する事に始まり、1530年代までに多くのポルトガル船がブラジルを訪れた。第二段階はフランスからの侵略防衛を目的とした計画的入植にある。

1549年には総督ゴヴェルナドール・ジェラルが任命され、カピタニア制(封建制?)が規制され、分権化傾向が抑制されていく。

ブラジルにおける特産品は砂糖で、先住民のインディオが天然痘によって激減していたためアフリカ人の奴隷が導入された。その文化的影響は食生活において大きく、ブラジル諸都市の食生活が欧州化したのは十九世紀になってからだった。

1807年のナポレオンによるポルトガル侵略を契機に、ポルトガル王室が1821年までポルトガルに滞在し、国王ジョアン六世帰国後も、皇太子ドン・ペドロ(ペドロ一世)を摂政として1822年に独立が行われた(帝政は1889年まで続く)。

十九世紀においては資本主義的価値観が確立されず、大土地所有と奴隷制を温存する気風が強かったとする。

<アルゼンチンの西欧化>
1880年代以降、アルゼンチンへの移民が急増し、1914年の国勢調査では外国人の比率が29.9%に達した。外国資本による投資も盛んになり、1913年の英国のアルゼンティン向け投資は全ラテン・アメリカ投資の35.8%に達した。

当時の欧州では工業化進展に伴って資本輸出の圧力が高まっていたし、人口急増によって移民の動きが活発化していた。アルゼンチンでは1876年の移民法が外国移民流入を活発化し、1879年の原住民掃討作戦がパンパの肥沃地を解放していた。

第一次世界大戦直前の世界牛肉輸出の中で、アルゼンチンのシェアは50%を超えていたが、この成長には外国資本が主導的役割を果たしていた。

アルゼンチンは農牧国として、工業国英国と補完的関係に立つ周辺国として世界経済に編入された。

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