SOY! 大いなる豆の物語

読んだ本の感想。

瀬川深著。2015年3月20日 初版第一刷発行。



2015年頃の話。

無職の原陽一郎(27歳)が、曾祖父の弟 原四郎の生涯を辿る。原四郎は、パラグアイで「Soyysoya」という会社を原世志彦の名で立ち上げ、遺産の一部を原家直系の嫡男に遺すとした。「Soyysoya」のエージェント薗大路は、原陽一郎が原家直系の嫡男である事に八割方の確信があるが、本人の納得のためにも身内の立場からの調査を依頼する。

終盤で、原陽一郎が筑波大学の後輩 安藤百に振られ、友人と参加していたフリーゲームTAKAMAGAHARAが米国の会社に買収され著作権管理が厳しくなる。

原四郎は満州に渡り、その後パラグアイに行った事が、祖父の弟の話や国会図書館での蔵書検索、南米からやって来た劇団員の証言等から推測されていく。

P34:
個々人を責める言葉はいくらでも用意されているけれど、それで社会に遍く存在する歪み軋みは説明できたものだろうか。あたりを見回しても、誰も幸福になっている気配がないこの社会で、いったい誰が幸福になっているというのだ

P51~P52:
近代に至るまでに国内に物流ネットワークを張り巡らせていた国というのは珍しい例外に属する。日本は江戸時代という奇妙な平安のさなか、五街道に加えて南北の廻船を整備するに至ったが、これは東アジアにおける幸福な偶然だった。たとえば朝鮮半島では南北の大都市であるソウルと釜山を結ぶ街道すら十九世紀まで整備されることがなかったし、東南アジアでは王朝の衰退のたびに王道は密林へと飲み込まれていった。道とは、たとえ一千キロを整備しても、たった一メートルが寸断されていれば用をなさなくなる代物だ

P120:
土地がいかなる価値を持つのか、その物差しに、中世以降の為政者はコメをもって当てたからである。どれほどのコメがとれるのか、そのことが土地を、その領邦を評価する基準となった

P182:
人類が主食とする作物はさまざまなだが、もっぱらそのままの形で食されるのはコメだけだ。碾いて粉にせずとも精米して籾殻や糠を取り除くだけでよく、加熱によって適度に粘るデンプンが心地よい食感を作り出す。うま味成分であるアミノ酸や糖類も豊富である
(中略)
この「うまさ」を強みに、たとえばインドネシアや中部アフリカやミクロネシアで、コメは旧来のイモ食を駆逐する勢いで普及してしまった。

P233:
漢民族の入植が進むのは、十九世紀、清朝の弱体化に伴ってのことだ
(中略)
歴史上初めて満州の地は大規模に農地として拓かれる。農民たちが耕し実らせたのは、高梁や粟のような雑穀であり、玉蜀黍であり、そして大豆であった。二十世紀前半には、満州は世界の大豆の七割を産するまでに至った

P263:
窮民救済の目的で始まった満州移民はいつしかお上の推進する国家的事業となり、移民そのものが自己目的化してしまう。それはこの移民がもはや農業のためではなく、満州という複雑で不安定な土地を維持するための施策に組み込まれてしまっていたからに他ならなかった

P284:
二十世紀、社会は統合的に動いていたんです、と薗は言う。みんなで大きい社会を作って、みんなで幸せになろうという発想です。それは結構なことでした。お金もヒトもモノの動きもグローバル化して、じっさい大量生産、大量消費社会はそうやって完成に至りましたからね

P424:
十四、五歳の美少女たちがコケティッシュな微笑をテレビの画面上に浮かび上がらせてから十五年が経過し、ほぼ同世代であった陽一郎が三十路を前にした若無職に成長してしまってからも、彼女たちの時はとどまって動かないままだ。そう、言われずとも、陽一郎たちはとっくの昔に日常の永遠を引き受けていたのだ
(中略)
世界など毎日のように滅亡している

P443:
これほどあちらこちらで世界が終焉を迎えているにもかかわらず、この世界そのものはかすり傷一つ負わない!

P496~P497:
「コメという『文明』の、言わば化外の民だったんですね、僕たちは」
(中略)
コメには、それに加えて必要なものが二つありました
(中略)
「魚と、大豆でしょう」
(中略)
コメに加えて味噌に豆腐、そして煮干し。これで一汁一菜ができあがる。豊葦原瑞穂国なんぞと称する人間たちの下支えをしてきたのは、北の民・豆の民であり、南の民・魚の民なんですよ

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