ハタケと日本人

読んだ本の感想。

木村茂光著。1996年12月10日印刷。



日本古代・中世における畑作について。

<ハタケという漢字>
「畑」や「畠」は漢字(古代中国で創出された)でなく、漢字の影響を受けて日本で作られた国字である。

中国での広大な畠作地は「田」と書き、耕地一般を意味し、日本のように水田に限定された意味ではない。朝鮮では「田」は畑を意味し、水田を意味する「畓」という字を作った。

古代社会において「畑」という字は使用されず、鎌倉時代に焼畑を意味するようになり、17世紀前半に検地帳の中で畑と畠が混在するようになり、寛永期(17世紀第二四半期)に「畑」で統一されるようになる。

<律令制度における畠>
豊臣秀吉の太閤検地によって畠地を支配の対象に組み込むまで、水田以外の地種は収奪の対象として位置づけられる事が少なく、国家による収奪が為される場合は、田地に換算されて編成されたという意見がある。

著者は、江戸時代に石高制が定着するまでは、畠作物も租税として徴収されていたと主張する。

律令制以前の段階は、日本神話等から五穀の栽培を前提にしたものと思われる。律令の不足を補うために発せられた格(単行法令)では五穀という言葉が見られる。

715年に発せられた詔では飢饉対策のために粟を栽培させている。これは臨時的政策として粟を租税対象にしたためかもしれない。そして、720年代前半~820年代頃までは大麦小麦(冬作物)の栽培が奨励され、その後は雑穀栽培が奨励される。

東西の違いでみると、古代~中世には西国は米、東国は衣料繊維によって税を納める傾向がある(西舟東馬)。

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