なぜ、大航海時代に戦国の世は統一されたのか

読んだ本の感想。

村井章介著。2013年2月25日 第1刷発行。



江戸時代初期から戦国時代までを遡る。

室町幕府という中央権力が弱体化する中で、倭寇の働きが活発化し、やがて徳川家康という天下人による統一が起こる。豊臣秀吉の唐入りは、日本統一戦争とシームレスに繋がっている。

日本統一に必要な武器(鉄砲)や資金(灰吹法による銀採取)は倭寇による海上活動により伝来した。

第1章 家康 親善外交への転換
徳川幕府は、豊臣秀吉によって乱された冊封体制(中華皇帝が冊 = 文書で臣下を領土の一定部分に封じる体制)を再構築し、日本と大陸の国際貿易関係を復活させ、自らの正統性を立証しようとした。

日本では朱印状という貿易許可証があったが、明でも税金納入と引き換えに文引(渡海許可証)を与え、ポルトガルにもカルタスがあった。

結局、朝鮮とは朝鮮通信使が徳川将軍の代替わり事に江戸を訪れ、明とは正式な外交でなく中国商人との経済交流を進展させていく。

第2章 秀吉 強硬外交の衝撃
豊臣秀吉の朝鮮出兵は、それまでの日本攻略の延長にあり、対馬を介して朝鮮を、薩摩を介して琉球を従わせるものだった。関白秀次宛てに送った三国国割構想では、中華占領後の豊臣秀吉の居場所は首都 北京でなく寧波であり海上交通の要を支配する事が目的だったのかもしれない。

朝鮮政府に宛てた外交文書には、自らの母が妊娠中に日輪が懐中に入る夢を見た逸話が挿入されており、太陽の子としての神話を流布する事で支配権をアジアに広げる意図があったものと思われる。

第3章 鉄砲伝来 日本を変えた南蛮貿易
鉄砲が天文十一年(1542年)に伝来した話。

最初に伝来した種子島は、砂鉄資源と木材に恵まれ高度な技術を持つ刀鍛冶がいた。

第4章 寧波の乱 貿易実権をめぐる争い
1523年の寧波の乱によって勘合貿易が大内氏(博多商人)に独占された話。

室町幕府による勘合貿易は、当初は将軍家によって独占されていたが、財政難によって有力守護大名に勘合を売るようになり、大内氏は1453年に勘合貿易に加わり、1万8000貫文弱(現在の消費者米価で10億8000万円)の利益を出したとする。

対抗馬となるのは細川氏(堺商人)で、斯波氏、畠山氏ととも室町幕府の三管領家の一つであるために、大内氏に勘合を与えないよう画策し、1468年以後、大内氏は勘合貿易に参入出来なくなる。

<明応の政変>
1493年に細川政元が起こしたクーデター。第十代将軍 義稙は大内義興とともに1508年に上洛し将軍に復職。大内義興は管領代として実権を握り、細川氏の遣明船派遣の実権を奪い取る。

1518年に大内義興が管領代を辞して周防に帰国すると、実権は管領 細川高国が握るようになる。1521年に義稙が細川高国の専横に反発して淡路に出奔すると、前将軍義純の遺児 義春が第十二代将軍となる。

1523年に細川高国は新将軍 義春に働き掛け、大内氏の「正徳勘合」とは別に既に無効になっていた「弘治勘合」を用いた勘合船を派遣する。

大内氏の船団は、自らよりも先に入国手続きを済ませた細川氏の船団を焼き払い、指揮使の袁璡を博多まで連行している。

この事件以後、明は日本との貿易を断絶するが、大内氏は袁璡の送還を外交カードとして利用し、細川方の交鈔ルートを遮断し、1538年の第十八次遣明船派遣を独占し、厖大な利益をあげた。

<大内氏の滅亡>
1551年に大内氏の重臣 陶隆房が謀反によって大内義隆を自害に追い込み、1555年に毛利元就が陶晴賢(大内義隆の甥)を滅ぼし、1557年には大内義長を自害させて大内氏は滅亡する。

これは日本と明の正式外交関係断絶を意味し、倭寇の動きが活発化する。

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ABCDEFG

Author:ABCDEFG
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード