東大のディープな世界史

読んだ本の感想。

祝田秀全著。2013年6月21日 第1刷発行。



第1章 地球まるごと世界史
1 “世界史の要衝”エジプトを通過した5000年という時間
エジプト文明は、ナイル川の沃土を基盤に、ヒクソスの侵入(紀元前1674年~紀元前1567年頃)を経験すると、エジプト新王国時代(紀元前1567年~紀元前1085年頃)にはトトメス3世(紀元前1504年~紀元前1450年)がシリアを奪取し、その後のカデシュの戦い(紀元前1286年)におけるヒッタイトとの衝突に繋がる。エジプト王国は紀元前31年のアクティウムの海戦で終焉を迎える。

その後、サラディンのアイユーブ朝(1169年~1250年)によってカイロの首都化が進み、マムルーク朝(1250年~1517年)にカイロは東西交易によって繁栄するも、欧州によってインドとの香辛料貿易路の独占が崩れると零落していく。

17世紀後半には英国、フランスによってインド港湾都市の植民地化が進行し、東西世界の結節点であるエジプトは英仏の係争地となる。スエズ運河は1869年に開通し、運河建設による膨大な債務と、南北戦争終結による米国産綿花の市場流入によるエジプト綿花産業への打撃等から、民族主義が高まり、1881年~1882年にはウラービー・パシャの反乱が起こる。

エジプト民族主義は、1956年のスエズ運河国有化に結実する。

2 弾圧と迫害のなかでキリスト教が広がっていったのはなぜか?
キリスト教は領土拡張の限界に達した3世紀ローマで伸長した。ディオクレティアヌス帝(在位284年~305年)は専制君主政を導入し、コンスタンティヌス帝(306年~337年)は、330年にコンスタンティノープル遷都を行い、332年の「コノヌスの土地緊迫令」による小作人の移動禁止(奴隷供給減少による労働力確保)、325年のニケーア公会議によるキリスト教教義統一等の対応を行った。

「来世は暗黒が支配される」と言われた時代に、「信仰を強く持つ事で、神の国に入る」というキリスト教は魅力的で、抑圧や恐怖に怯える人々は来世での解放を望んだとする。

3 近世に世界経済を統一した銀の力とは?
16世紀スペインのポトシ銀が欧州に大量流入し、国際金融が盛んになり、中国での税の銀納も可能になった。銀は欧州から中国に流入していたが、産業革命を契機に銀は西欧に流れる事になる。

4 世界経済を再編成したイギリスはなぜ衰えたのか?
以下の展開。

①初期
30年戦争(1618年開始)、英蘭戦争(1652年開始)。

②中期
名誉革命(1688年~1689年)、英仏2次100年戦争(1689年~)、グレートブリテン成立。

③完成期
7年戦争(1756年~1763年)、産業革命(1760年~)

英国産業革命が世界と結合する契機は、1846年の穀物法撤廃で、自由主義による安価な海外穀物の輸入を可能にした。1845年ンのアイルランド大飢饉がその理由であり、海外との自由な貿易が可能になった。

産業革命が他国においても発生する中、英国は優位を保てなくなり、1957年には米国の通告によって第二次中東戦争から撤退し、英国の終焉を証明した。

5 反帝国主義運動が各国に吹き荒れた理由とは?
1894年に露仏同盟が締結されると、フランスからの融資によってロシアの資本主義が育成され、ロシアの南下政策による列強との軋轢が各地で戦争を引き起こした。
1905年に終結した日露戦争は専制政治に対する立憲政治の優位を印象付け、立憲政治を目指す運動が青年トルコ革命等に結び付いていく。

6 「冷戦」の本当の原因はなんだったのか?
第二次世界大戦におるソヴィエト連邦の目的はロシア帝国再興であり、戦後は米ソの主導権争いが発生した。

第2章 中華文明ワールド
7 朝鮮王朝が禁止したハングルを福沢諭吉が
復活させた背景とは?

ハングルは諺文とも呼ばれ、1446年に朝鮮国王第4第世宗の時に制定されるが、16世紀初に使用禁止になる。漢字は真文であり、ハングルは俗文であるとされ、20世紀には清国の朝鮮支配を排除するために、複座諭吉門下の井上角五郎が発行した「漢城周報」では漢字ハングル文字が使用された。

8 近世の東アジアは倭寇のおかげでまとまった?
朝貢貿易に束縛されない倭寇は、元の滅亡を契機に伝統的貿易形態が崩壊した東アジアで活発化した。明国2代皇帝 建文帝(在位1398年~1402年)、1394年に征夷大将軍となり、1401年に建文帝から臣下の称号を拝受した足利義満、朝鮮建国の正統性を明に求めた李成桂は、朝貢体制再建(私貿易禁止)によって体制を再建しようとした。

9 朝鮮の歴代王朝は中国とどうつきあっていたか?
歴代の中華王朝は、唇と歯の相互安全保障システムとして、朝鮮とヴェトナムを覇権下に置いた?中華思想に基づく対外関係のため、明が滅びた後は、外交的には臣従するが、精神においては朝鮮が中華とする小中華思想があった。

10 明治国家にとって19世紀の江華島事件と琉球処分とは
なんだったのか?

中華思想に基づく伝統的国際秩序を解消し、近代外交サイトを樹立する狙い。

第3章 キリスト教文明ワールド
11 4世紀末にオリンピアの祭典が中止になった理由とは?
オリンピアでは紀元前776年以来、4年に一度祭典が開催されたが、ローマ皇帝テオドシウス帝(在位379年~395年)により、392年に全ての異教が禁止されると、393年にオリンピアの祭典はゼウスを祀る神事だったため禁止された。

12 イタリア統一の陰の功労者はマキャヴェリだったのか?
ローマ史論(共和制)と君主論(君主制)を書いたマキャヴェリについて。イタリア統一を望む現実論。

13 宗教改革のルターが19世紀ドイツ統一運動の
シンボルになった理由とは?

グーテンベルクがラテン語版聖書を印刷した1455年頃は、オスマン帝国の興隆によってギリシア系住民が欧州に移住し、1506年にイタリア留学をしたエラスムスは、1516年に『校訂版 新約聖書』(ギリシア語の対訳付き)を出版した。マルティン・ルターはこれに触発され、1517年に「95か条の論題」を出版し、大量印刷によって欧州中に広まり、多くの読者を獲得した。

1555年の「アウグスブルグの宗教和議」では宗教の決定権が君主から個々人に移行。

14 フランスの国歌とドイツの鉄血宰相が
EUの起源というのはなぜか?

フランス革命によるナショナリズム発生と、ビスマルクによるドイツ統一。独仏戦争の経験が、戦争を抑止するEUに繋がっていく。

15 イギリス産業革命がインドネシアから
始まったというのはなぜか?

1623年のアンボイナ事件により、英国がオランダによってインドネシアから後退した事で、1639年に英国はインドのマドラスに商館を建てインド進出に邁進する。

第4章 イスラーム文明ワールド
16 10世紀のイスラーム世界の
「天皇・征夷大将軍」問題とは何か?

8世紀半ばにイスラム教はスンナ派のアッバース朝(750年~1258年)を建て、カリフ(イスラムの指導者)を擁立した。10世紀に成立したシーア派王朝は二つあるが、ファーティマ朝(909年~1171年)はカリフを否定してイマームを宣言しエジプトを制圧して973年にカイロを建設。ブワイフ朝(932年~1062年)は946年にバグダード占領に成功するとカリフを保護して権威を借用した(大アミール)。

17 19世紀オスマン帝国のタンジマートがめざしたものは何か?
タンジマートは法治主義に基づいてイスラム国家から近代国家への移行を目指すもので、ミドハト憲法(1876年)に結実する。しかし、反動で専制政治が復活し、トルコ国民革命が発生する。

18 ケマル・パシャのトルコ革命がめざしたものは何か?
トルコ革命(1919年~1923年)について。トルコ民族を核とする国民主義運動で帝国の解体を阻止するために新オスマン人の完全平等社会を目指したタンジマートとは違う。

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