ジャガイモのきた道

読んだ本の感想。

山本紀夫著。2008年5月20日 第1刷発行。



短期間で食文化を変えるじゃが芋について。

第1章 ジャガイモの誕生
じゃが芋は、ナス科の植物でありソラヌム属(1500種以上あって約150種が芋をつける)であって、栽培種は7種ほど。世界で広く栽培されるのは1種。

近縁の種はペルーからボリビアにかけての中央アンデス高地に集中する。凍結と解凍を繰り返す毒抜き技術の開発がじゃが芋の食化を可能にした。栽培化は紀元前5000年頃と推定される。

第2章 山岳文明を生んだジャガイモ
人骨に含まれる蛋白質を分析すると、古代南米のチャウカヤン期(紀元前2200年~紀元前1800年)、ワバリウ期(紀元前850年~紀元前460年)、ハナバリウ期(紀元前390年~紀元前200年)の食事の多くはじゃが芋であり、玉蜀黍等は食糧の20%であったと思われる。

じゃが芋を干して長期貯蔵可能にしたチーニョによる文明化の可能性。インカ帝国最盛期の人口は1000万人以上で、2/3が山岳地帯に居住したとされ、じゃが芋の可能性は高い。

スペイン人の記録には、魚や海鳥の糞を肥料として灌漑を整備した玉蜀黍農耕と、人糞や家畜の糞を肥料にした山岳農耕が記録されているらしい。

第3章 「悪魔の植物」、ヨーロッパへ
1570年前後にじゃが芋はスペインに渡ったとする。高緯度地方での収穫量は少なかったが、1665年にはパリに姿を現し、18世紀に発生した幾度かの飢饉を通じて普及していく。

ドイツでは18世紀末から本格的にじゃが芋栽培が始まり、それまで黒パン中心だった食生活が、19世紀半ばにはじゃが芋中心になっていく。

<アイルランド>
16世紀末に導入され、北緯50度を超える高緯度であり、紀元前8000年頃の洪積世まで氷河で覆われていたために土壌が薄く、じゃが芋栽培に適していた。1754年には約320万人だった人口は、1845年には約820万人にまで急増。19世紀半ばの大飢饉では損害を被り、100万人が犠牲になったらしい(1911年の人口は440万人、アイルランド系の人口は全世界で7000万人程度らしい)。

第4章 ヒマラヤの「ジャガイモ革命」
著者が取材したチベットのパンカルマ村の話。

1969年のヒマラヤ登山解禁以降、多くの登山客がヒマラヤを訪れ、現金収入によって牛が購入され、肥料が得られるようになった事で生産性の高いじゃが芋品種が導入された。

1970年代にはネパールのじゃが芋開発プロジェクトが始まり、1975年には30万tだった収量が、2006年には197万tにまで増加。

<インド>
1960年頃からじゃが芋の大量栽培が始まり、2006年の生産量は年間2400万tで、中国、ロシアに次ぐ世界第三位のじゃが芋大量生産国。冷涼な冬に栽培時期が集中する。

第5章 日本人とジャガイモ
最上徳内が1786年に蝦夷地に渡った際にじゃが芋を持参し、虻田で栽培させている。

高野長英(1804年~1850年)は、救荒作物として、気候不順でも育つ蕎麦と、暴風雨に強いじゃが芋の組合せを『救荒二物考』で勧めている。

明治以降は特に北海道での栽培が盛んになり、日清戦争を経て発展した紡績業が糊の需要を高め、じゃが芋の澱粉工場が多く作られた。そのブームは第一次世界大戦後に終結し、第二次世界大戦後の第二次ブーム(製飴原料)も終わった。

食物としてのじゃが芋が一般に普及するには、淡泊な味を活かすために、肉と一緒に食べる方法を発明する必要があったらしい(肉じゃがやコロッケ、カレー等)。

第6章 伝統と近代化のはざまで
現在の南米における伝統的食生活について。

全食事の半分以上をじゃが芋が占めるとする。栄養分の大半が澱粉である事を補うために、肉類が用いられる。玉蜀黍は低地部の主作物で儀礼上の酒の材料等になる。

終章 偏見をのりこえて
じゃが芋に対する偏見の一つに、栄養素の多くが澱粉であるというものがあるが、中くらいのじゃが芋一つで、推奨一日あたりのビタミンC摂取量の1/5、カリウムの1/5を含む。

問題なのは80%近くを占める水分で、栄養を得ようと思えば、大量のじゃが芋を食べる必要がある(アンデス高地の農民は一回に1kg程度のじゃが芋を食べる)。

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