完全な人間を目指さなくてもよい理由

読んだ本の感想。

マイケル・J・サンデル著。2010年10月13日 初版第1刷発行。



遺伝子技術の進歩によって、医療用を超えて、人間の力を増強する事の倫理的問題について。

それまで所与であった遺伝的条件が操作可能となる事で、才能は感謝すべき被贈与物ではなく、自らに責任のある異形となっていく。著者は、支配衝動を抑制し、「贈与された生」という洞察を保護しなくてはならないとする。

親が子の機能をひたすら高めようとする事は、受容の愛と矛盾する。著者の考える道徳は、謙虚、責任、連帯から成り立つ。遺伝的特性が操作出来るようになると、それは支配の対象となっていき、偶然に委ねる範囲が少なくなる。すると、子供がどのように育つかに至るまでのあらゆる事柄が親の責任となり、個人が解決すべき問題になり、人間本来の脆弱性が考慮されなくなるとする。

しかしながら、著者は能力増強と医療行為の間の明確な線引きを行えていない。

子供への教育熱等、支配への欲求は既に顕在化している。

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人間の成果が遺伝子治療に依存するほど、達成された成果は当人を作り出した人物の達成となり、現代社会が想定する行為主体性(自由や責任)を変える。

生の被贈与性を承認する事は、自らの才能行使が完全には自らに帰属していない事を承認する事であり、世界が人間の欲求の通りには動かない可能性を認める事でもある(支配欲求の抑制)。

〇旧優生学
社会全体を改善しようという理想主義の側面を持つ。1883年にフランシス・ゴルトンによって「優生学」という用語が造られた。米国やドイツにも渡って流行し、1933年にドイツで制定された優生断種法は米国でも称賛され、一部の米国州では1970年代まで続いた

〇新優生学(自由市場的)
個人的利得を動機とする。強制に至らず経済的動機によって誘引する。1980年代のシンガポールでは高学歴者の出産を支援し、低学歴者には4000ドルと引き換えに不妊手術を受けさせた。

遺伝子技術の進歩によって自律を制限しない非強制的遺伝子増強が提唱されている。

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カントの発想では、道徳の宇宙は尊重に値する人格と、利用を許されている物件に二分される。人格を持つ者は、自らの意志に反して犠牲にされてはならないとするが、その根拠は不可侵性であり、功利主義的見解の枠外にあるはずとする。

リベラル思想の根源は、自由は人間が制御出来ない起源や観点に依存しているという思想で、尊厳は譲渡対象となるような所有物ではないとする。

人間には自らをも物件として取り扱う自由は無く、それは被贈与性に由来している。

<胚の倫理>
幹細胞研究に関する見解。

クローン胚を研究に利用する事には、①胚が人格である事、②人間の商品化という懸念があるとする。

クローン胚は生物学由来の人工物であり、全ての人格が胚であったとしても、胚が人格である事は立証されない。発達上の連続性があっても団栗と樫の木は別物だ。

人間の声明は段階的に発達する。

著者の提唱する仮想事例として、火災が発生した時に、①五歳の少女、②二十個の凍結胚のどちらかを救うとすれば、対手の人間は①を選ぶとする。

不妊治療においても胚が大量に放棄されているが、それを考慮する人間は少ない。自然妊娠でも全受精卵の半分以上は着床に失敗し、胚と人格を同一視する事には難点がある。

尊重の担保となるのは人格性ではなく、高度な価値基準とする。

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