インド三国志

読んだ本の感想。

陳瞬臣著。1984年6月12日 初版第一刷。



インドのムガル王朝は、1857年のセポイの反乱によって滅びたが、第六代皇帝アウラングゼーブの死(1707年)の時には実質的に帝国は解体していた。

以下の三勢力による争いを経て、英国がマラーター族等の抵抗に勝ち、植民地化していた。

①西方帝国主義勢力
英国やフランス等。オランダや英国の東インド会社で活躍したフランソワ・カロンの逸話。

②土着勢力
マラーター族、ラージュプート族等。

③ムガル王朝
1765年のアラハーバード条約により、ムガル皇帝は年金を受けるだけの存在になっていた。

ムガル帝国は、八世紀にアラビア人がシンド地方を占領して以来、デリーを首都としたインド回教王国の後継に位置する国である。創始者バーブルのデリー入城(1526年?)は清による北京占領と比較される。

満州族に軍律以外の文明が無いのに対し、ムガルは回教徒としてサラセン文化やイランの芸術の洗礼を受けていた。そのため、ムガルは清のように現地化する事が困難で、特に宗教的対立を抱えていた。

第六代皇帝アウラングゼーブはインド全土をイスラム化しようとして、異端者の処刑、非回教徒への人頭税(ジズヤ)等を行った。

現代のボンベイ東部から東南部の西ガーツ山岳地帯に居住するマラーター族はヒンズー教として、英雄シヴァージー指揮下でムガル王朝の威令に対抗。それまで山地に居住するマラーター族は小グループに固まっていたが、ムガル帝国との対抗上、国家となっていった。

P59~P60:
三の力では歯が立たないことがある。相手が四であるからだ。そこで五の力を集めると、この四をそっくり奪うことができる。三のままでは得るものはゼロだが五に増やせば四が手に入る
(中略)
侵略戦争は古来自己制御が困難である。侵略で大きくなった組織は、もっと多くの滋養分を必要とする。したがって、それを獲得するために、別に新しい侵略戦争をおこさねばならない

P96:
力によって住民から税を取り立てる。その組織が「国」である。マラーター族はこれまで、ただの住民であり、もっている「力」をほかの国に提供していた

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