覇王の家

読んだ本の感想。

司馬遼太郎著。昭和54年11月25日 発行。





徳川家康の幼少期から小牧・長久手の戦いまでをメインに書く。

軍律や統治法は武田信玄を模倣し、国家統一は織田信長、豊臣秀吉に相乗る形で成就していく。

尾張(利益集団)と三河(忠誠集団)の国民性を対照的なものとして考え、商業という原価の何倍もの値段で物品が売れる世界にいる人間は、自分の能力を信じ、農業を主とする三河は忍従的美質を持ったとする。

利によって奮起する集団は利を求めて勢力を拡大し、忠を基盤とする集団は現状を維持しようとする。日本の拡大期が終了した時に、利益集団から忠誠集団に政権が移行した。

P20:
独創や創意、頓智などを世間の者は知恵というがそういう知恵は刃物のように危険で、やがてはわが身の慢心になり、わが身をほろぼす害物になってしまう
(中略)
物まねびの心得ある者は、古今東西のよき例をまねるゆえ、一つ癖におちいることがない

P43:
家康は信長の同盟者として信長に運命を託し
(中略)
三河者にとっては、商人のにおいのする尾張者よりも、おなじ農民のにおいのする甲州者により親近の思いがあった

P138:
三河武士団の頂点にすわるべき一個の機関であり、機関としての頼もしさをひとびとに感じさせなければならない存在であった

P174:
徳川家の陣法や軍制を一変し、ことごとく甲州流に変えるというほどの思いきったことまでした

P236:
家康は不幸なまでの地方主義者で、かれの領国である三河、遠州、そして駿河の三国の国境のそとに自分の欲望や想像のつばさをひろげようとしたことがない

P269:
信長や秀吉は貨幣経済に力点を置き、さらに国家貿易を考え、国家そのものを富ましめようとしたが、家康の経済観は地方の小さな農村領主の域から一歩も出ず、結局この家康の思想が徳川政権のつづくかぎりの財政体質となり、財政の基礎を米殻に置きつづけるようになり、勃興してくる商業経済に対抗するのにひたすら節約主義をもってし、そのまま幕末までつづく

P318:
秀吉と戦うにあたって、三河陣法を廃止し、甲州陣法に変えた

P334:
独創的な案とは、多量の危険性をもち、それを実行することは骰子を投ずるようなもの
(中略)
譜代の者が家政を担当する。閣僚を老中と言い、局長級を若年寄とする職名も、三河松平郷のころのままにして日本国の維持をやらせようとした

P418:
忠誠心が原理であれば、父の池田勝入斎は織田信雄に加担して秀吉の敵たるべき立場にあった
(中略)
尾張的な契約の原理で諸将も諸士も支配され影響されている以上、池田家の人数の場合も、いったん敗軍になれば主将のそばから散ってしまう

P481:
愛知県は旧分国では西半分が尾張、東半分が三河国にわかれる。三河は山が多いが、尾張は野である
(中略)
林業民や狩猟民をあつめて軍隊組織をつくり、水のある山麓にむかって戦闘による進出を開始したのが、松平氏勃興のはじめである
(中略)
三河衆のつよい団結の習性というのは、原型をそこにもとめるべき

P504:
農民社会そのものの印象をもった。この集団が、のちにさまざまな風の吹きまわしで天下の権をにぎったとき、日本国そのものを三河的世界として観じ、外国との接触をおそれ、唐物を警戒し、切支丹を魔物と見、世界史的大航海時代のなかにあって、外来文化のすべてを拒否するという怪奇としか言いようのない政治方針を打ちだしたのは、基底としてそういう心理構造が存在し、それによるものであった

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