組織サバイバルの教科書 韓非子

読んだ本の感想。

守屋淳著。2016年8月17日 1版1刷。



第一章 人は成長できるし、堕落もする―「徳治」の光と影
<論語と韓非子の対比>
論語(孔子):
人間を信用してかからないと、良い組織は作れない

韓非子:
人間は信用出来ないから、裏切らない仕組みを作る

孔子は、良い組織を作るために、家族的信頼感で結ばれた組織を理想とした。徳のある人物(憧れの対象)が感化力によって周囲の人間を良くしていく。下剋上の世界では、愛の対象となる範囲が、国から村、家族、自分だけと収縮してしまうため、そのベクトルを逆向きにする。

以下は、徳治の問題点。

①徳を持った人間はいないか、変節する
②徳でしか上下が結び付かず、現場が暴走する
③上司の問題点を指摘出来ない

こうした問題点を解決するために登場したのが、韓非に代表される法家の思想とされる。





第二章 『韓非子』は性悪説ではなかった?
性弱説:
孔子は人間は教育によって決まるとしたが、韓非子は人間は環境によって定まるとした。韓非子は、国家の生き残りという目的を掲げ、それに適う人間のみで構成された組織を目指したとする。それはスポーツチームや株式会社に近く、そうした環境が人間を構成する。

韓非子は、孔子のように良い家庭や国を作ろうとするのでなく、乱世の中で生き残る国家を作る事を目的とする。人間が信用出来ないという条件の下で、成果を出せる組織。



<韓非の先駆者>
〇管仲(?年~紀元前645年)
斉の恒公の補佐として、以下の政策を行う。

・農業の保護奨励
・塩、鉄、金等の重要産業の国家管理
・均衡財政の維持
・流通と物価の調整
・税制、兵役の整備

〇子産(紀元前585年~紀元前522年)
鄭の穆公の孫であり、以下の施策を採用。

・農地の区画整理、灌漑用水の整備
・農民を五人単位(伍)に編成
・軍事費を丘賦という税金で庶民にも課す
・成文法の発布

〇呉起(?年~紀元前381年)
魏の文侯の下で西河の太守、楚の棹王の下で宰相を務める。以下の施策。

・法体系の明確化
・不要不急の官職廃止
・遠縁の公族の官位剥奪

〇李克(紀元前455?年~紀元前395年)
魏の文侯の下で、以下の施策。

・身分、官位を問わない信賞必罰
・農業生産奨励と、穀物価格安定
・『法経』六篇を作り、法体系を集大成

『法経』は、商鞅が魏から秦に持ち込んで富国強兵を達成した逸話がある。

〇商鞅(紀元前390年~紀元前338年)
衛の公族だったが、秦の招賢令で秦に行き、以下を実施。

紀元前356年の変法:
・五家を五人組、十家を十人組として相互監視する制度
・一家に二人以上の成年男子がいる場合、必ず分家独立
・軍功をあげれば爵位
・農耕と織物を奨励
・公族や貴族でも、軍功が無ければ身分剥奪
・詩書を焼き捨て、法令を徹底

紀元前350年の変法:
・雍州から咸陽へ遷都
・封建制から中央集権制へ移行
・農地改革
・度量衡統一
・父子兄弟の同室同居禁止

⇒中国の政治制度の雛形

〇申不害(?年~紀元前337年)
鄭の下級官吏だったが、紀元前375年に韓が鄭を滅ぼした事で、韓の昭候に仕えるようになる。15年間、宰相を務め、中央集権化を進めた。

〇慎到(紀元前395?年~紀元前315?年)
趙の人であり、黄老思想を学んで、斉が学者を集めた「稷下の学」に参じた。後に韓の大夫になったとされる。「勢」の概念は韓非に影響下らしい。

著者は、①魏から秦の系統(法を重視、呉起や李克、商鞅)、②鄭から韓の系統(術と勢も重視、申不害や慎到、韓非)が相互に関連したと考える。



第三章 筋肉質の組織を作るための「法」
韓非の先達者達の要素。

〇商鞅(法、賞罰規定)
権力者の家族等の責任が伴わない者に権力が付随しないようにする。法によって全員を均しく枠にはめ、私的影響力によって指示系統が混乱しない組織を作る。
信賞必罰によって、構成員が従わざるを得ない状況を作り出す。そのため、学者、遊説家、侠客、商人や職人等の組織全体の価値観と異なる人々を排除していく。

⇒国力の胆である農業・軍事の推進という評価軸に則り、恩賞を素直に欲しがり、罰に怯える人間以外は組織に不要とする

〇慎到(権力)
〇申不害(家臣操縦術)

第四章 二千年以上も歴史に先んじた「法」のノウハウ
刑名参同:
事前に申告した内容と同一の実績を求める。事前申告を上回る実績も良くない。部下の裁量権を小さくし、事前申告させる事で権力者が強制的に目標を押し付けたように見えないようにする。

韓非が目指したのは、完璧な結果主義の組織で、結果を評価軸にする。

・組織の方向性を利益を出す事に一本化
・命令系統の一本化
・上記の方針に従わない人間には辞めてもらう

そのための賞罰規定が法であり、必ず法を守るという信頼性を保つ事で、法を定着させる。

第五章 「権力」は虎の爪
権力とは、利害によって相手を操り、相手からは操られない事。

権力の源泉は、賞罰であり、部下に奪われてはならない。派生権力として、相手に想像させる方法もあり、実際には源泉を持っていなくても、権力者と近しい等の理由で、持っていると思われる状況を作れば権力を行使出来る。

第六章 暗闇のなかに隠れて家臣を操る「術」
君主が情報を漏らし、部下が合わせる事が出来ないよう好悪の感情を隠す。賢さを見せない事も部下の素を見るコツとなる。

以下の術。

①部下の言い分を互いに照合する
②違反者は罰っして威信を確保
③功績には必ず報いて意欲を出させる
④部下の発言に注意し、責任を持たせる
⑤疑わしい命令を出し、思いもよらぬ事を尋ねる
⑥知っているのに知らないふりをする
⑦白を黒と言って相手を試す

さらに、外部権力を警戒すべきとし、外部にある権力の源泉が利用されないようにする。人間は不思議なもので、権力者が強過ぎると制約によって自由を欲し、権力が弱いゆえに混乱状態が続くと権力者を欲する。歴史はそのように動く。

<第二次世界大戦後の日本企業>
欧米の会社は機能体であるが、日本の会社は村であり、論語的価値観からなる。

戦時下において、総動員体制を作るために、温情主義、滅私奉公を植え付け、「学べば成長出来る」という論語的論理から、学歴、勤続年数、忠誠度、性別等が評価基準となる。

入社当初は差をつけず、長期間で評価する。同期との間の僅かな差が競争心を煽る。和には、強調しつつ、競争するという二つの要素がある。











第七章 改革者はいつの時代も割に合わない
法治は多くの人の既得権益や人間関係を損なうため、導入には君主の危機感が必要になる。

説得は相手の聞きたい事を話し、理論通りにはいかないために難しい。法治を採用した君主が亡くなると、後を継いだ君主は反動に走る事が多い。

第八章 人を信じても信じなくても行きづまる組織のまわし方
韓非が自殺したのは紀元前233年前後とされ、秦王 政の側近だった呂不韋が自殺したのは、その二年前の紀元前235年とされるので、秦王 政が韓非の『法』に感激したのは専横に悩まされていたためではないか。法による統治があっても、術や勢が欠けていた。

著者は、秦の問題を以下のように考える。

①後継者
韓非の組織では、派閥を作る事を防ぐために、皇太子が事前に周知し難い。後継者の伝達は、誰かを信じて託さなくてはならない。

②利の調達
賞罰によって人を操るが、古代中国の恩賞は土地であり、領土が拡大している内は恩賞に困らないが、新たに土地を獲得出来なくなると罰のみになる。

「陳勝・呉広の乱」は、国境警備の期限に大雨で遅刻しそうになり、罰である斬首を恐れたために発生したとする。厳罰によって刑無きに期すは、韓非の理想に過ぎず、信賞必罰は物理的限界を迎え易い。

<富士通>
1997年に富士通が導入した成果主義的人事制度は、①成果に応じた給与(信賞必罰)、②目標管理制度(刑名参同)という点で『韓非子』に近い。

しかし、全員が成果を出す事は想定されておらず、人件費抑制のために、人件費の総枠が最初から定められていた。そのため、相対主義となり、結局は年功序列によって上の部長から多く賞を得る事になったしまった。

『韓非子』の制度を導入するには、目標を達成したら与える賞の源泉が存在し、本人が納得出来る評価に連動して分配される事が必須になる。

利益への関与が数字で表せる部門なら良いが、間接部門や長期プロジェクトでは導入し難い。さらに、会社では人事や経営戦略が強い権力を持っており、富士通の人事部は全員がA評価となって不満を煽っていた。





**************

秦王朝の次の漢王朝も、七代目 武帝の時代になると賞の源泉枯渇が問題になった。そこで、儒教の「利で動く人間は恥ずかしい。高い志を持って国に尽くす人間が美しい」という価値観を打ち出すようになる。

前漢王朝の後半から儒教の影響が見られ、後漢王朝でも儒教の影響が強いために、外戚や宦官が権力を握ってしまい、三国志の時代となったため、『三国志』の英雄は法治を全面に出した者が多い。

<古代ローマ帝国>
賞の源泉として、権利を利用。投票や居住の自由等は、地位や身分が高く無ければ持つ事が出来ない。自由 = 権利の束であり、ローマ帝国に対して功績をあげて手に入れる仕組みになっていた。抽象的な権利を賞としたために、原資が尽き難い。

ちなみに、現代の米国では『韓非子』に近い制度が一般的であり、多様な文化的背景を持つ人々を纏めるために、金銭という価値観が重視され、パイの拡大が必須になっている。

個人の責任と権限を明確にし、職務は文章化され、日本企業のように協調性や忠誠心などの情意孝課等の評価要素は無い。



<法治定着>
紀元前221年に秦王朝が樹立して以来、中国の政治体制は以下の原理に則たとする。

①皇帝による専制支配
②郡県制度による直轄統治
③官僚による中央集権
④一君万民による独裁政治

法治という基盤の上に、儒教や仏教、道教が組み合わさって乗る。『韓非子』の考え方は、合目的でないはずの国家を軍隊や企業のように合目的にする事に矛盾があり、北方の遊牧民に対抗する必然性が法家的制度を維持させたのかもしれない。

欧州ではゲルマン民族流入による分裂以降、基本的に外部からの深刻な脅威が無い(国土の半分を明け渡すような事態)ために、一つになって対抗する意識が無かったのかもしれない。

統一された官僚国家の内部でのイノベーションには限界があり、各国が切磋琢磨した欧州の技術に追い抜かれるようになる。

第九章 使える権力の身につけ方
江戸時代における日本において、空間的なパイが拡大し難いため、時間的に継続する事を目指す気風が広まったとする。元禄時代以降の商家では家訓を作る事が一般的になった。





継続第一の組織の場合、前例踏襲が選ばれ易く、責任を負わないために権力を使って部下に押し付けるようになる。

上司としての以下の問題点。

①情報格差
②派閥によって対抗される
③論語的価値観

上記に対応するために、「自分にしか分からない人間」を作らないようにして、「他の人間も出来る」という状況を作り出す。外部コンサルタントを権威として活用する方法もある。

逆に部下としては、自分に依存させるよう「自分にしか分からない」という状況を作り出す事が権力に繋がる。







人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ABCDEFG

Author:ABCDEFG
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード