経済で読み解く明治維新

読んだ本の感想。

上念司著。2016年4月20日 初版第1刷発行。



第一部 飛躍的に発展していた「江戸時代の経済」
著者が提示する以下の定理。

①社会は「金」と「物」のバランスから成り立ち、物に対して金が不足するとデフレになる
②景気悪化は、救済を唄う危険思想の蔓延を招く

経済は国の肉体のようなもので、政治は衣服のようなもの。肉体が成長すれば衣服を新しくしなければならない。

<江戸時代>
①財政構造
400万石の江戸幕府が、3000万石の日本全体を治める。
②管理通貨制度
官府の捺印を施せば貨幣になる。
③百姓は農民に非ず
農業以外も行う。

経済発展に必要な、物流の自由、決済手段、商取引のルール整備は江戸時代以前に相当なレベルまで整備されていた。

日本史では、中央集権的国家を目指す勢力と、諸侯が分立した状態を維持する勢力の争いがあり、江戸幕府は300諸侯が分立した状態を維持する徳川家康が、中央集権的仕組みを志向した豊臣家を打倒した結果とする。

江戸幕府三代目までの将軍は、幕藩体制維持のために、東照宮建設、江戸の都市建設、京都の諸公卿への賄賂等を行った。1643年に日本の金銀の埋蔵量は底をつき、備蓄を浪費していくようになる。1666年に日本の耕地面積は最大化し、8代将軍 吉宗の頃には収穫量改善で農産物生産量がピークを迎えた。

徳川家光は一代で500万両を使用し、4代将軍 家綱は600万両を相続したが構造的財政赤字が発生しており、1657年の「明暦の大火」の4年後には385万両に減少。年間10万両の経常的財政支出も嵩んだ。1680年に就任した5代将軍 綱吉が相続した財産は100万両以下とされる。

元禄時代(1688年~1704年)の好況は、財政難を打開するために勘定吟味役 荻原重秀が行った慶長小判から元禄小判への改鋳(金の量を2/3にして、通貨発行量を1.5倍にする。500万両の通貨発行益)が原因とする。

しかし、全国的な徴税権を持たない江戸幕府が全国を支配する構図に矛盾があり、1703年の元禄地震、1707年の宝永地震、富士山大噴火、1708年の宝永の大火等の復興費用を賄う名目で行われた諸国高役金令(1709年)で、諸藩から100石当たり2石の割合で資産課税を行うが、集まった46万両の内、6万両しか復旧予算に使用されていない。

その後、新井白石による貨幣の金銀含有量を慶長時代に戻す揺り戻しがあり、8代将軍 吉宗も当初は米本位制を志向していたが、1736年に元文の改鋳を行い、金銀の含有量を半分に落とした貨幣を発行する事で100万両の通貨発行益を手にしている。

その後、1818年には水野忠成による文政の改鋳が行われ、1834年に幾度も改鋳が行われた事で化政文化の背景となる好況が生じる。

第二部 資本主義を実践していた「大名」と「百姓」
日本経済は江戸時代を通じて発展し、石高は経済活動の一部でしかなかった。1643年に金銀産出がピークを迎えると体制に綻びが目立ち、経済が政治の枠組みを超え始める。

幕府と大名の連合政権の本質は、互いが存在を認め合う事で共通の敵を殲滅する双務的同盟で、殲滅すべき敵である豊臣家を滅ぼした後は、新たな敵が出現しないように体制を強化する事になる。

戦争が少ない時代は需要を増大させ、1620年には仙台藩が江戸へ、1621年には小倉藩が大阪への廻米を直営事業として起業している。菱垣廻船は1619年に登場し、木綿、油、綿、酒、酢、醤油等を大阪から江戸に運んだ。

海外からの絹の輸入も増加し、1628年の奢多禁止令は、絹輸入による金銀流出を防ぐためだったとする。鎖国は、貿易量制限により国内の通貨量を維持するためだったのかもしれない。

<国際金融のトリレンマ>
・江戸時代初期の日本
①固定相場制:〇
②金融政策の自由:×
③資本取引の自由:〇

・鎖国後の日本
①固定相場制:〇
②金融政策の自由:〇
③資本取引の自由:×

金融政策の自由が手に入ると、貨幣を自由に発行し、インフレ率を操作可能になる。元禄時代の貨幣改鋳は、鎖国という資本取引規制のためだったのかもしれない。

・江戸時代末期の日本
①固定相場制:〇
②金融政策の自由:×
③資本取引の自由:〇

開国によって外国為替取引が自由化され、交換レートが金銀含有量を基礎にした固定為替レートだったため、金融政策の自由を失った。

<流通>
江戸時代初期の海運業は、海賊から物資を守る警備会社の要素が強かった。都市への物資大量輸送の需要が発生すると、河村瑞賢が、1670年に東回り航路の整備事業を始める。江戸から小湊、銚子、那珂湊、平潟、小名浜を経由し、荒浜(宮城県)に至る。

さらに1694年には、江戸十組問屋仲間、大阪二十四組問屋仲間が結成され、菱垣廻船は両組合に所属する事が義務付けられた。競合する樽廻船には、菱垣廻船が取り扱わない7つの荷物のみ運ぶ事が許可され、専門の商い集団が形成されていく。



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1450年~1540年、1645年~1715年には、太陽黒点の極少期があり、太陽活動停滞のために北半球の気温が1.5℃ほど低い間氷期だった。フランス革命が発生したのは1787年だが、江戸の三代飢饉である享保の大飢饉(1732年~1733年)、天明の大飢饉(1782年~1788年)、天保の大飢饉(1833年~1837年)があり、天明の大飢饉では100万人ほど人口が減少したらしい。

これは各藩が余剰米のほとんどを都市に売却していたため、食料の備蓄が無かった事も関係しているとする。そして飢饉を機に官製流通網を通じて地方廻船問屋(北前船、尾州廻船)が独自に米を輸送するようになり、運賃の自由化が進む?天明の大飢饉以降、遠距離の船が大型化して数を減らし、近距離の船が小型化して激増する現象が見られるらしい。

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1786年6月29日に田沼意次は、百姓は百石当たり0.42両、町人は一間当たり0.05両、寺社山伏は格式に応じて最高15両を毎年、5年間に渡って課す法令を出した(失脚の二か月前)。

集まった金を大阪表会所で大名に年利7%で米切手を担保に貸し出す。返済が滞ったら米切手は米に転換される。滞納すれば年貢を幕府に召し上げられるため、徴税権を奪う事に繋がる。

第三部 なぜ江戸幕府は“倒産”したのか?
米を年貢として徴収し、それを売却して現金を得る石高制は、米の価格が他と連動しなくなると上手くいかなくなる。江戸時代の米価は1石 = 1両前後で推移していたが、他の商品作物が高騰する事で米を給料として支給された武士階級が困窮するようになる。

明治時代に行われた地租改正では、課税の基準を収穫高でなく、地価の3%として税収が収穫高で左右されないようにした。第二次世界大戦後、地租は固定資産税となって税率は1.4%程度となっている。

<幕藩体制によるデフレ>
江戸時代の各藩は、江戸屋敷の維持や参勤交代の費用が恒常的に発生し、藩内で生産出来ない商品を輸入するために、常に一定額の金銀が流出する。金銀の流出超(貨幣不足)を避けるには、常に江戸や大阪が好景気で、各藩の物資を購入する必要がある。

しかし、幕府は貨幣の信用維持のために貨幣量を抑制し、結果的に都市の需要が抑制される事が多い。

財政問題と貨幣不足解決のために、各藩は藩札を発行するようになる。1661年に福井藩が発行したのが最初とされ、大抵の藩札は銀札だった(幕府が金の保有残高を重視したため)。

1700年代中頃には、藩札は全国的に普及し、裏付けとなる資産も金、銀、銅、米と多様化した。1871年の廃藩置県当時の藩札の残高は約9000万両であり、幕末の金貨、銀貨の発行残高が1億3000万両だった事を考えると、貨幣量を倍増させる効果があった事になる。

<薩摩藩と長州藩の藩政改革>
◎薩摩藩
1753年の木曾三川の手伝普請で40万両の巨額債務を負い、1801年には121万両の借金があった。当時の薩摩藩の歳入は年間10万両程度。その後も手伝普請等で、1833年には500万両の借金となる。

家老である調所広郷は、借金を250年かけて返すと一方的に宣言し、砂糖の専売や清との密貿易を行った。1837年に長崎での唐物販売が10年間に渡って禁止され、調所広郷は自害している。

それでも、薩摩藩は500万両の借金を整理し、300万両の収入を得た。

◎長州藩
1840年時点で141万両の借金があった。当時の長州藩の歳入は年間約6万3000両程度。1838年には士卒の俸禄の半分を上納させ、庶民への4.5%の増税を行い9万両の財源を確保。対外債務については、1844年に金利を3%に引き下げ、37年払いで完済すると一方的に宣言。

そして、製塩業、金融業、製紙業、綿工業を推進した。廃藩置県時には100万両の余剰金が残されたらしい。

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江戸時代後期においては、開国時の貨幣レート不備から海外に金が流出し、1860年には金貨の品位を1/3に下げて国際標準に合わせる万延の改鋳が行われる。

これは激しいインフレを引き起こし、米価1石当たりの平均価格は、1840年代で銀82匁、1850年代で銀104匁、1860年代で銀365匁、1870年代で銀411匁となっている。こうした通貨の信用低下は、藩札の信用を上昇させ、安定通貨となっていく。

<製糸業>
激しいインフレの裏側では、自国通貨安が発生しており、製糸業の海外輸出が盛んになっている。

太平天国の乱(1851年~1864年)や欧州における蚕病によって絹は供給不足であり、1859年の横浜開港では欧州産に比べて半値で購入出来た日本の生糸が販売された。

1865年には、総輸出額1746万ドル程度の内、1461万ドル程度が生糸の輸出によるものとなっている。

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明治時代に実施された政策は、中央政府による全国一律の課税や、開国、同一通貨による石高制廃止、金本位制への対応等、江戸幕府でも実現出来た政策ばかりであるが、体制の根幹に関わるものであったため、関ヶ原の論功行賞に囚われている政治体制を一新しなければ実現出来なかった。

明治時代は、揺り戻しへの道を完全に断った事で実現した。

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