文明を変えた植物たち

読んだ本の感想。

酒井伸雄著。2011年8月30日 第1刷発行。



第一章 ヨーロッパ発展の原動力ジャガイモ
じゃが芋の原産地は、南米の東コルディエラ山脈と西コルディエラ・ネグラ山脈の間にある標高4㎞のアルティプラノ高原である。紀元前3000年頃には栽培が始まり、ティワナク文明(9世紀~11世紀)やインカ帝国発展の原動力となる。

芋類は地下で大きくなるので気候変動の影響を受け難く調理し易いが、水分が多いために保存に適さず、重いために大量輸送にも問題があり、同量のエネルギーを摂取するには穀物の四~五倍の芋が必要である。

<チューニョ>
乾燥じゃが芋。
四月~九月のアンデスは乾季となり、一日に30度以上の温度差が生じる。気温差が大きい六月~七月にじゃが芋を野天に広げて数日放置し、じゃが芋が凍結~解凍を繰り返すようにして水分を出し易くして、足で踏みつけて水分を抜いて、さらにそのまま乾燥させればコルク状の澱粉質のみが残る。生のじゃが芋の水分を80%とすると、重量が1/5になり、保存にも適すようになる。

⇒輸送や貯蔵に便利になった事で文明が発生した?

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じゃが芋は16世紀半ばにはスペインで栽培されるようになり、1580年代にはイタリアに、1588年にはオランダ、1600年までにはオーストリア、ベルギー、フランス、スイス、ドイツ、ポルトガルにまで伝わっている。

食糧としてのじゃが芋普及に貢献したのは、プロイセンのフリードリッヒ大王(1712年~1786年)で、じゃが芋の強制栽培令を発布している。冷害によって麦類の凶作が続く中、じゃが芋は救荒作物として有用だった。

フランスでは七年戦争(1756年~1763年)でプロイセンの捕虜になったアントワーヌ・パルマンティエが、帰国してからじゃが芋普及に活動し、ルイ16世の援助によってパリ郊外のレ・サブロンの原野で試験栽培を行っている。

18世紀頃にはアイルランドでも栽培されるようになり、1754年に320万人だった人口が1845年には820万人になり、1845年~1849年のじゃが芋の病気流行で大打撃を受けた。この時、米国に移住した人々がじゃが芋の栽培を米国に広めたとする。

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じゃが芋は麦類だけに頼った人々を飢饉から解放し、飼料としても活用された。寒冷地でもそだち、種芋を植えてから三ヶ月程度で収穫可能。

スウェーデン王位アカデミーのシャルル・スキテスは蒸留酒の実験で1747年に、一エーカーの土地から収穫したじゃが芋のアルコールを566とすると、同条件の大麦は156としており、じゃが芋は大麦の三倍以上のエネルギーを持つ事になる(アルコールは原料中の炭水化物を発酵させて作る)。

さらに、じゃが芋100gの中には35㎎のビタミンCが含まれており、じゃが芋の澱粉が水中にビタミンCが溶け出すのを防ぐ事から、水煮したじゃが芋には生の60%のビタミンCが残るとされる。新鮮な野菜が不足する北部欧州で、じゃが芋は壊血病予防に活用されたと思われる。

さらに余ったじゃが芋を豚の餌として活用するため、19世紀半ばには冬期にも食肉用に牛や豚を飼育出来る環境が整い、新鮮な肉を食べられるようになった。欧州を臭い肉から解放したのは香辛料ではなく、じゃが芋だった。

第二章 車社会を支えるゴム
<車輪>
紀元前3000年紀頃のシュメール人の絵文字に車を表すものがある。メソポタミアの出土品等から、当時の車輪は三枚の板を横木で繋ぎ合わせてから丸く切り出し、中心に心棒を通したものと推測される。車輪を長持ちさせるために外周部に皮を打ち付けて摩耗すれば取り替える。

紀元前2000年紀頃には、何本かの木を繋ぎ合わせて外周部を作り、それを木製のスポークで支える事で軽量化が実現した。

紀元前1000年頃にはケルト人が、車輪の寿命を延ばすために車輪に鉄の外周を付けるようになる。鉄の代りにゴムを使用するようになるのは、1845年頃?空気入りタイヤの特許取得は1888年頃。

<ゴムの使用>
南米から伝わったゴムは、1770年頃に鉛筆の字を消せる事が分かってから、1772年に消しゴムが英国で販売された。18世紀後半には生ゴムが精油に溶ける事が分かり、生ゴムを溶かして運ぶ方法が考え出された。

さらに、1839年にチャールズ・グッドイヤーが硫黄を混ぜる事で生ゴムの弾性を温度に関わらずに保つ方法を見つけ、カーボン・ブラック(細かい炭素の粒子)を練り込む方法を1900年?にモート?が発見した。

<ゴムの普及>
19世紀までの生ゴムは、アマゾン川流域のパラゴムの木から採取された。英国は、持ち出しが禁止されていたパラゴムの種子を1876年にヘンリー・ウィッカムに持ち出しさせ、1877年にはセイロン島でゴム栽培が始まる。

1889年には四トンだったマレー半島の年間生ゴム生産量は、1922年には世界生産量の93%を占めるようになる。1990年以降は、タイが生産量の世界一位で、1/3を生産する。

合成ゴムの研究では1933年に、ドイツのIG社がブナSの開発に成功し、米国も第二次世界大戦中に合成ゴムを開発し、1945年の生産量は82万トンである。

2009年現在の天然ゴム生産量960万トンに対し、合成ゴムは1200万トン。飛行機のタイヤ(高度一万m以上の低温と、着陸時の高温の落差)とコンドーム(0.02㎜の薄さ)には天然ゴムが使用されている。

第三章 お菓子の王様チョコレート
カカオ豆の利用は、紀元前1000年頃のメソアメリカのオルメカ文明に遡るという。高温多湿で育つカカオの豆は、以下の手順で利用される。

①発酵
果実から取り出した実を箱の中で放置し、果肉を液化させて実を取り出し易くする
②乾燥
カカオ豆の約55%は水分であるため、一週間~二週間で水分を抜く
③ロースト
苦味や弱くなり、香実味が生れる
④風選
実(ニブ)から殻(シェル)と胚芽(ジャーム)を除去する。実には脂肪が55%程度含まれるため、30度以上の高温で磨り潰すとペースト状になる。茶褐色のカカオマスの完成。

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チョコレートに砂糖を入れて飲むようになったのはスペインのカルロス一世とされ、1615年にフランスのルイ13世がスペイン王女アンヌ・ドートリシュと結婚するとチョコレートを飲む習慣がフランスに伝わる。1660年にマリー・テレーズがルイ14世に嫁ぐ頃にはチョコレートは上流階級の飲み物として定着していた。

1828年にオランダの化学者コンラート・バン・ホーテンがカカオマスから脂肪分の2/3を除去する方法を考案し、ココア粉の製造方法として特許を取得した。

英国のJ・S・フライ・アンド・サンズ社は、除去された脂肪分をカカオマスに加える事で、流動性のあるペースト = 固形チョコレートの元祖として1849年に発売した。

第四章 世界の調味料になったトウガラシ
紀元前8000年頃~紀元前7000年頃の唐辛子は、宗教上の儀式等に使用されたと推定される。やがて、蛋白質に塩味の単調な食事の中に、唐辛子の辛味がアクセントとなる事に人々が気付く。ペルーのアンデス山脈では同時期に唐辛子が栽培されている。

唐辛子は分類上は四種類に分類されており、ロコト(アンデス高地に分布)、南米大陸南部、アマゾン川流域、カプシコカム・アンヌーム(メキシコ原産)の内、カプシコム・アンヌームのみが世界的に普及している。

西洋では長らく観賞用の植物とされていたが、1806年~1807年の大陸封鎖令でアジアの香辛料が入手困難になると、唐辛子が香辛料として活用されるようになる。

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唐辛子の世界的普及に貢献したのはポルトガル人で、16世紀半ばには日本まで伝わっている。肉や魚にはアミノ酸のうま味が自然に備わっているが、野菜にはうま味が欠けているため、煮ただけでは美味にならず、澱粉質の単調な食事に唐辛子を使用する。澱粉質への依存度が高かったアジアやアフリカの国で唐辛子は短期間に普及した。

日本料理は、魚と野菜を中心に、素材の鮮度の味を引き出す料理であり、もともとがスパイスと縁が薄い。江戸時代に山葵を使用するようになったが、葱、芹、紫蘇、三つ葉が主で、唐辛子の普及は1825年にマイルドな七味唐辛子(辛味を中和するために胡麻や山椒、けしの実、蜜柑の皮の粉等を混ぜる)が売り出されてからだった。

江戸時代の辛味文化の中心である山葵と七味唐辛子は、客が使用程度を決定出来る事に特徴がある。

第五章 生活の句読点だったタバコの行方
タバコ属の植物は66の種があるが、その内45種はアメリカ大陸に生育する。喫煙用に栽培されているのは、タバクム種とルスティカ種の二種類だけである(両方ともアンデス高地原産)。

9世紀~11世紀に栄えたティワナク文明ではパイプを吸う太陽神の像がある。マヤ族やアステカ族にも喫煙の風習があったが神事であり、庶民が簡単に吸うもので無かった。

喫煙方法は種と関係があり、パイプの出土品がある地域はルスティカ種(乾燥すると細かくなり易い)の栽培地域と重なるし、噛みタバコ(南米北部沿岸、アマゾン川上流域)や嗅ぎタバコ(エイアドル、ペルー、ボリビア等)はタバクム種の栽培地域である。

スペインの植民地だったイスパニューラ島では1560年頃からタバコ栽培が始まり、スペインが栽培を独占していた。米国での栽培開始は、1607年のバージニア入植に求められ、1611年にジョン・ロルフが現地のルスティカ種でなく、欧州人好みのタバクム種の種子を入手し、1615年から英国に輸出している。タバコ以外には植民地経済を維持する産品は無かった。

<葉巻>
タバコは薬草として欧州にもたらされ、ペストや頭痛に効果があるとされた。19世紀まではスペインのローカルな風習だったが、1808年にナポレオン軍がイベリア半島に侵攻すると葉巻がスペインに駐留した英国人やフランス人にも普及した。

<嗅ぎタバコ>
ルイ13世の治世(1610年~1643年)のフランスでは嗅ぎタバコが嗜まれ上流階級に定着した。しかし、フランス革命後は嗅ぎタバコは旧体制の象徴として衰退するようになる。

<パイプ>
進出先の北米でパイプが使用されていた英国でパイプ喫煙が主流になり、1618年~1648年の三十年戦争によって、パイプ喫煙が英国からドイツ、オーストリアにも伝わった。

<シガレット>
細かく砕いたタバコの葉を樹皮等で巻いて喫煙するシガレットは中南米が起源で、スペインに伝わり、紙巻タバコになる。紙巻タバコはスペインからトルコ、ロシアにまで広まり、クリミア戦争(1853年~1856年)には英国やフランスにも伝わる。

何枚もの葉を必要とする葉巻は高価だし、陶器のパイプは壊れ易かった。紙巻は自分で刻んだタバコを吸うという簡易が気に入られた。

<煙管>
日本にタバコが伝来したのは、天正年間(1573年~1592年)までで、伝わった当初は高価だったタバコを活用するために煙管が生み出されたとする。刻んだタバコを一つまみ火皿に詰めるだけで、葉巻のように何枚もの葉を使用しない。

ならず者がタバコを吸い交わす事で誓いを結んだため、1609年には最初の禁煙令が出されるが、徐々に容認されていき、むしろ換金性の高い農産物として栽培が推奨されるようになる。

第六章 肉食社会を支えるトウモロコシ
玉蜀黍栽培はメキシコで始まったと考えられ、紀元前6800年~紀元前5000年頃の地層から原始的な玉蜀黍が見つかる。現在のような玉蜀黍は紀元前1500年以降の地層から見つかる。

以下の優れた特性。

①収穫率
播いた種から取れる種の量では、18世紀初頭の欧州での小麦が五倍~六倍、江戸時代の稲が三十倍~四十倍なのに対し、トウモロコシは八百倍
②面積率
玉蜀黍は同じ面積の畑で小麦の三倍以上の収穫がある
③適応性
北はカナダから南はアルゼンチンまで栽培可能

新大陸の先住民は紀元前1000年頃には、玉蜀黍、インゲン豆、南瓜を同時に栽培していた。玉蜀黍に含まれる蛋白質のアミノ酸価は13と低く体内での利用効率が低い。蛋白質を補うために、インゲン豆(全体の20%の蛋白質)や南瓜(ピタミンAや脂肪分)が副食となる。

欧州での玉蜀黍栽培は、メキシコ中央高原の栽培種が持ち帰られて栽培される1520年頃で、16世紀末にはトルコまで伝わった。しかし、食文化までは伝わらず、ルーマニアや北イタリアでしか日常食として定着していない(玉蜀黍の粉を練り粉状にして食べる習慣)。対して、16世紀中頃に伝わったアフリカでは主穀物となる。気温や日照時間が中南米と似ていたためかもしれない。

玉蜀黍には必須アミノ酸の一つであるリジンの含有量が低く、蛋白質を補う副食が必要である。さらに旨味が強いために、返って主食にすると飽きる。

現在では玉蜀黍の生産量の40%は米国であり、その45%程度が飼料として使用される。1935年に開発されたビタミンDの合成技術は紫外線を浴びずともビタミンを補給する事を可能にし、抗生物質の登場と合わせて家畜飼育方法を変えた。

牧草中心だった時代には体重500kg程度に牛を育てるのに三年以上が必要だったが、現在は生後一年以内に出荷可能であり、豚もかつては一年以上の飼育期間が必要だったが半年で100kg以上になる。

玉蜀黍はアミノ酸組成面で問題があるが、100g当たり350㎉のエネルギー量があり、大豆粕やコーリャン等の穀物と合わせる事で配合飼料にしている。

青い内に刈り取った玉蜀黍を、葉や茎と一緒に細かく裁断して乳酸発酵した飼料は繊維質を含むために、バランスの良い資料であるらしい。

終章 コロンブスの光と影と
新大陸に欧州人が入植した事の影響について。伝染病流行による先住民人口激減や梅毒の流行等。

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