日本史の全貌

読んだ本の感想。

武光誠著。2011年9月15日 第1刷。



古代 日本国の起こりと貴族の時代
統一体としての初期日本は古墳に現れる。最初の古墳は、奈良県桜井市の纏向石塚古墳とされる。古墳には、弥生時代の墳丘墓のような地域性が無く、大和朝廷にならったものと思われる。六世紀には仏教が伝来し、当時の仏教文化は朝廷の置かれた飛鳥にちなんで飛鳥文化(飛鳥寺、四天王寺、釈迦三尊像等)と呼ばれる。

仏教以後も大陸文化の流入は継続し、国体も中央集権制が整い、遣唐使を通じて白鳳文化(薬師寺や法隆寺、興福寺)と呼ばれる唐風文化が栄えた。それは奈良時代の国際色豊かな天平文化(正倉院)につながる。

中央政権は初期には公営田等の朝廷が直接経営する領土を多く持ったが、貴族層が私有地を持つ流れを押し留める事は出来ず、10世紀には私有地の守護者たる武士が発生する。

その頃には日本独自の文化を尊重する風潮があり、11世紀初めには平仮名と片仮名の字形が一定になり、和歌が流行した。調度品として日本独自の蒔絵が生れるのもこの時期である。

中世 分裂から統一へ
11世紀の貴族対立である保元、平治の乱に加担した事で武家が勢力を拡大する。

源頼朝が諸国に守護や地頭を任命する権利を与えられ、個々の武士が持つ領地支配権を尊重し、幕府が裁判や朝廷との交渉を行う形の政権が成立した。

武家社会では一族の子弟に所領を分ける分割相続がとられていたが、鎌倉時代後期には実家の長である惣領の権威が後退し、守護等の有力武士の保護が求められるようになった。彼等は中小武士団を結集し、勢力を拡大し、鎌倉幕府に対抗するようになる。鎌倉時代は中央文化が庶民に浸透した時代でもあり、彫刻や絵巻物などの写実的なものが好まれた。

鎌倉幕府の次の室町幕府は、守護を通じた全国支配のために、地方武士を組織する守護の権限を拡大した(軍費調達のために守護に年貢徴発を任せる半済令等)。足利義満の頃の北山文化は、金閣寺や五山文学等、禅宗や中国の影響が強いとする。禅文化の広がりは、東山文化にも繋がり、幽玄、侘びという精神性が好まれた。

その後、室町幕府弱体化によって戦国時代となり、江戸幕府の支配が発生する。

近世 幕府支配下の安定の時代
1603年に征夷大将軍となった徳川家康が志向した政権は、兵農分離のもとで農村の自治を重んじた。日本全国を幕府の直轄領とする事は出来ず、1615年の一国一城令や武家諸法度等で大名を制限するものの、中央集権は出来なかった。

一方で農村の購買力は高まり、交通路の整備に伴い、三井(呉服)、住友(銅山)、鴻池(酒造)のように近代財閥の礎となる商人が台頭した。

文化的にも元禄文化として中下級武士や上流町人が生み出した文化を庶民が共有する文化が生じ、合理的な学問を広まった。

江戸幕府の支配力が低下していき、徳川吉宗が採用した年貢増徴策が小農民の生活を圧迫し、彼等の土地を吸収した大地主が台頭する。専売制や藩営工場を通じて農村で成長した資本家層を支配側に取り込む事は、小農民から少量ずつの年貢を取り立てるよりも効率的だったが、幕府は小農民の側に立つ政策を放棄出来なかった。

やがて外国勢力の到来によって新政府が確立する事となる。

近代 戦争の時代から国際協調へ
朝廷を中心とする新政府は、富国強兵を目指して西欧化を進めた。

外国貿易では綿織物業を重視し、国内で綿花を栽培し、綿織物に加工する体制が整った。そして日清戦争、日露戦争を通じて大陸に進出した日本は、韓国保護下や満州経営によって米国や英国の利権と対立するようになる。

開国による経済の発展は、安価な輸入品の流入等により、自給自足の形を破壊し、財閥の成長や社会主義運動を呼び起こす。義務教育によっても大衆文化が発展し、大量出版の時代を迎えた。

多くの大衆が文化の担い手となる事で、耽美派(谷崎潤一郎、永井荷風)、白樺派(武者小路実篤、有島武郎)、新思潮派(芥川龍之介)、新感覚派(川端康成、横光利一)等の多様な文学や芸術が栄えた。

日本は第一次世界大戦による欧州の没落により、ますます大陸に進出していく。自給自足によって戦後恐慌の被害をより直接的に被る人々は軍事による解決を望むようになり、満州事変や日中戦争、太平洋戦争が発生する。

戦争に敗北した日本は、米国を中心とする自由主義陣営に組み込まれ、冷戦下で高度経済成長を成し遂げる。

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