日本史の謎は「地形」で解ける

読んだ本の感想。

竹村公太郎著。2013年10月21日 第1版第1刷。



第1章 関ケ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか
徳川家康の江戸転封は1590年。徳川家康は、利根川を遠くへバイパスし、水はけを良くすれば関東平野を水田地帯に変貌出来る事を見抜いたとする。

1621年には、利根川と西の流域を結ぶ約13mの赤堀川が開通した(下総台地の最も狭い部分、栗橋と関宿の間)。さらに1625年には赤堀川を約6m拡幅し、1654年には川底を約6m掘り下げた。1809年には約73mまで拡幅されている。

1600年の日本の農地面積は140万haであるが、1700年には300万haになっている。それ以前の約1000年間は120万ha~140万haで横這い。

第2章 なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き打ちにしたか
延暦寺の創建は788年。長岡京の東北の位置にあり、防御拠点だった。琵琶湖南岸の大津から京都へ山越えする逢坂を守る。

比叡山は京都への侵入口である逢坂を見下ろす位置にあり、1571年の延暦寺焼き打ちは、峠越えにおいて隊列が細長くなる軍隊の安全を確保するためだったとする。

著者は、1568年に足利義昭を奉じて織田信長が上洛したのは、比叡山の僧兵への備えだったとする。そして琵琶湖を制した直後に比叡山を焼き打ちし、その後に足利義昭を追放している。

第3章 なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか
鎌倉は狭く(最大人口は三万人程度)、全面の由比ヶ浜という遠浅の海岸は舟底が砂浜を突くために進み難く防御に最適。

794年に建設された平安京は、東西4.2㎞、南北4.9mの範囲に20万人ほどが居住した。都市の二倍の範囲を居住地とすると、人口密度は1K㎡当り4900人、現在の東京都の人口密度は5500人なのでかなり高い。その400年後の平安京の衛生状態は悪かったものと推測される。

疾病を恐れ、源頼朝は鎌倉に閉じ籠ったとする。不衛生にならないためには狭くて人口が増えない鎌倉が良い。

第4章 元寇が失敗に終わった本当の理由とは何か
日本では牛馬を去勢する文化が無く、平安絵巻に登場する牛車は、江戸図屏風からは消えている。

牛車が活躍するような乾いた大地は日本には少なく、モンゴルの騎馬勢は日本の泥に苦しんだのではないか。

江戸時代に制定された東海道53次では、41番目の宮から42番目の桑名まで海路で結ばれる。その間の約28㎞に濃尾平野の泥があり、交通困難。

第5章 半蔵門は本当に裏門だったのか
半蔵門は江戸城の裏口で、将軍が逃げ出す非常用の門と言われる(二重橋と大手門の反対側にある)。

しかし、著者は歌川広重の「山王祭りねり込み」に半蔵門の土手が描かれている事から、非常用の門であるなら、敵が攻め込み易い土手があるのは不自然とする。

甲州街道と江戸城を結ぶ正門とする。大手門は半蔵門と正反対の低平地にあり、そこを通る大名は坂を登らなくてはならない。天皇家も公式行事では半蔵門を通るらしい。

第6章 赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか
赤穂浪士47人の内、16人が半蔵門付近に潜伏していた(平川天満宮周辺)。

半蔵門へ向かう新宿通り(麹町通り)を守護するために、麹町周辺には徳川御三家や親藩の上屋敷があり、数多くの旗本がいた。

警備が厳重な半蔵門周辺に赤穂浪士が潜伏出来た理由として、江戸幕府による保護を主張する。

討ち入り前に吉良邸は東京駅八重洲口の呉服橋門から、両国橋向岸の本所へ移転している。江戸城郭内からの移転であり、これも江戸幕府によるアシストとする。

吉良邸討ち入りにより、養嫡男である吉良佐兵衛は上野介を守れなかった責任を問われ、吉良家は断絶させられている。

第7章 なぜ徳川家は吉良家を抹殺したか
吉良家は名門であり、朝廷と幕府を取り持つ高家という高職にあった。

1605年に徳川家康は愛知県の矢作川の流路を切り替えて、矢作川河口で塩田や干拓農地を広げていた吉良家の邪魔をしたとする。もとから、矢作川の取水権をめぐる争いが両家の間にあったと推測。

吉良家は1221年の承久の乱後に足利義氏が三河の守護となって吉良庄の地頭職を兼務した事が始まりで矢作川下流域を支配した。1441年には足利義教の暗殺によって吉良義尚が将軍代理を務めるほどの名門。

その後、徳川家康が吉良領に攻め込み、吉良家を従わせる事になる。徳川家康は征夷大将軍になるために朝廷との関わりを持つ吉良家を必要とした。その後の世襲でも吉良家が必要であり、それが復讐のエネルギーになったとする。

第8章 四十七士はなぜ泉岳寺に埋葬されたか
泉岳寺は1612年に徳川家康が創建した。

徳川幕府が赤穂浪士を忠義の志として宣伝するために、浅野内匠頭と同じ泉岳寺に埋葬した?

江戸市内には町境の要所に木戸があり、夜間は扉を閉める。東海道の高輪の大木戸は重要であるが、赤穂浪士討ち入り後に札の辻から高輪に移設されている(1710年?)。

泉岳寺は高輪大木戸と品川宿の間にあるため、多くの旅人が滞留し、赤穂浪士がピーアールされる。

第9章 なぜ家康は江戸入り直後に小名木川を造ったか
小名木川は、江東区を東西に流れる。

隅田川(荒川)と中川を結ぶ水路として作られ、船堀川(新川)、江戸川(利根川)を通じて塩田のある行徳まで行けた。

著者は、小名木川を海の波に影響されない移動路とする。利根川から千葉一体、隅田川を上って埼玉、さらに江戸川上流を制する。

第10章 江戸100万人の飲み水をなぜ確保できたか
虎ノ門堰堤の貯水池を活用。

1653年の玉川上水完成以前は、貯水池の水を活用した。

現在、東京都は利根川から一日に240万㎥の水を導水しており、大量の水を使用している。

第11章 なぜ吉原遊郭は移転したのか
1657年の明暦大火を切っ掛けに日本橋付近から浅草の日本橋への移転。

浅草は、関東の大湿地帯の中で中州上の小高い丘にあり、1000年以上の歴史があった。徳川幕府は、荒川を制御する際に構築した日本堤と隅田堤を維持するために、吉原遊郭を移転し、人口を増やす事で住人による維持を実現したとする。

徳川吉宗は隅田堤両脇に桜を植えており、料亭が隅田堤周辺に誘致され、歓楽街とする事で水漏れ防止要員を確保した?

第12章 実質的な最後の「征夷大将軍」は誰か
征夷大将軍というシステムは、農耕民族による狩猟民族迫害という宿命を内包する。

しかし、江戸末期には征夷大将軍は最高統治者を表す官職名になり、夷を征伐する意味は失われていた。

著者は、最後の夷を関ケ原の戦いにおける西軍総大将 毛利輝元とする。毛利家の領土である中国地方に平野は少なく、狩猟民族であったとする。その後、毛利家は長州に押し込められ干拓と塩田に勤しんで農耕民となっていく?

夷 毛利輝元と戦った徳川家康が最後の征夷大将軍?

第13章 なぜ江戸無血開城が実現したか
江戸時代の江戸は情報基地であり、船によって全国と結ばれていた。情報非共有による日本分裂を回避するために江戸城は無血開城したとする。

第14章 なぜ京都が都になったか
京都は日本列島の地理的中心であり、日本海側と太平洋側との連絡が容易。京都は内陸部にあるようでいて、淀川等を使用して各地に船で移動出来る。

交流軸は栄える。

<交流軸としての滋賀県>
1963年に名神高速道路が開通、1972年には北陸自動車道が開通。北陸自動車道は太平洋側と日本海側を直結し、滋賀県の米原で東名・名神高速道路に合流する。

高速道路開通前の滋賀県の一人当たり製造業粗付加価値額は全国中位だったが、1980年には全国第5位になっている。

第15章 日本文明を生んだ奈良はなぜ衰退したか
飛鳥時代の奈良はシルクロードという交流軸の延長に位置した。

奈良盆地から大和側が柏原に流れ込み、そこから河内湾に行けるならは交通の便が良かった。794年に桓武天皇が大和川流域の奈良から、淀川流域の京都に遷都し、琵琶湖を活用したネットワークを構築。

交流軸から外れた奈良は衰退した。

明治時代になって近畿と大阪、伊勢神宮を結ぶ鉄道が敷設されてから奈良は栄えたとする。

第16章 なぜ大阪には緑の空間が少ないか
都市の緑地は権力者が作るとする。

パーレビ王朝が作ったテヘランのバリアスル並木道、清王朝が作った北京の景山公園等。

大阪は庶民の町であり、緑が少ないとする。

権力者は広大な土地を獲得し、その土地を長期間保持出来る。

第17章 脆弱な土地・福岡はなぜ巨大都市となったか
福岡には稲作が発展するための沖積平野が無い。

現在の福岡は340㎡の地に約150万人が居住する。巨大河川が無いために筑後川から福岡導水を通じて毎日18万㎥の水が送られる。

しかし、大陸との交流軸として発展したとする。



第18章 「二つの遷都」はなぜ行われたか
794年の平安遷都、1603年の江戸幕府開府は、資源確保が目的とする。

4世紀頃に都となった奈良は、大きな湿地湖を有し船を活用出来たが、奈良盆地を抱える大和川流域は小さく、水と森林を活用し難い。

平城京内外に約10万人が居住したとすると、一人の人間が年間に使用する木材は江戸時代で20本~30本であり、10本に節約しても奈良盆地で年間100万本の立木が必要になる。資源確保のために大和川より大きい淀川流域に移転したものと推測。

江戸への遷都も、1600年時点で大阪、京都でそれぞれ約40万人を維持する木材を確保する困難が理由かもしれない。

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ABCDEFG

Author:ABCDEFG
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード