新世界秩序を求めて

読んだ本の感想。

高谷好一著。1993年1月15日印刷。



世界を理解するための枠組みとしての「世界単位」という思想。各地域が独自な価値体系を持って併存しているとする。

トインピー:
西欧中心の歴史観を批判し、中華やマヤ、インド等の諸文明と様々な文明があるとした。

⇒著者は、トインピーの思想は、社会を原始社会と文明社会に分類する点で不完全とし、東南アジア等が文明社会に入っていないために分析対象外になっているとする

ウォーラーステイン:
世界を一つのシステムとし、欧州を起源とする近代世界システムが世界を覆い尽くしているとする。

⇒著者は、原始社会がいずれは同化吸収されるという意見に異を唱える

*************

著者は、世界が幾つかの「世界単位」の集積とし、その上で多様性を考えるとする。特に他の理論では原始として分析対象外になっている東南アジアに注目する。

第一章 海域東南アジア世界
赤道直下の多島海を人々のネットワークがつなぐ。

18世紀のスマトラ東海岸に存在したシアク王国は、現代の国民国家とはかなり違う。

王国が支配したのはシアク川流域であり、王は交易を取り仕切る事を生業にしていた。王の出自の異人であり、地元民や軍人等と港経営をしていた。港町のネットワークとしての王国。

海域東南アジアの以下の歴史。

①南シナ海時代(紀元前)
銅鐸のような巨大ナベ型青銅器と船型棺を持つ文化圏が南シナ海から東南アジアに広がる。既に商業網が構築されていたらしい。

②扶南時代(2世紀~6世紀)
メコン・デルタを中心にカンボジアの祖となる王国が栄えた。柳葉という女王と混塡というインド人が結婚して王家が始まった伝承がある。
インドとの結び付きが強く、3世紀前半にはクシャン朝に使節を送っている。4世紀中頃には晋に朝貢しているが、王の名がチンダナというクシャン王家の称号の一つだった。5世紀頃には、東南アジアに他にもインド化した国が現れる。

③スリウィジャヤ・シャイレンドラ時代(7世紀~9世紀)
スリウィジャヤは、スマトラ南端のパレンバンを根拠地とする国。シャイレンドラ(730年~832年)は、その後に中部ジャワで栄えた王朝で767年には安南都護府を攻撃している。

④三仏斉時代(10世紀~14世紀)
シャイレンドラ崩壊後、幾つかの港が連合勢力を作り、それを三仏斉と呼ぶ。この時代、南インドにはチョーラとスリランカがあり、三仏斉はこれらと関係が深かったらしい。

⑤マラッカ時代(15世紀~16世紀)
1400年頃からマラッカ王国が出来る。中国とインドの中継貿易地点としてのマラッカが栄えた。マラッカは明の属領としてジャワやシャムの他勢力から自衛したらしい。さらに王がイスラムに回収する事でイスラム経済に参加した。

⑥ヨーロッパ勢時代(17世紀以降)
1511年にポルトガル軍艦16隻がマラッカ沖に到来。ポルトガルのマラッカ占領から約50年後には西回りでスペインがフィリピンに到着。16世紀末頃にはオランダが進出し、イスラム商人と連合し、17世紀にはジャワ海を中心に勢力を築いた。

英国はスルタンに植民地経営を認め、そのためにスルタンは経済的に強力になった。第二次世界大戦後、マレーシア連邦が成立するとスルタン達が国家元首となる。植民地時代でもスルタン達が英国を傭兵として雇っていたと考える事も出来る。

第二章 ジャワ世界
以下の理由からジャワ、バリ、ロンボクは農業に適した土地になっている。

①衛生環境
赤道直下にしては雨が少なく、熱帯多雨林でなくて落葉樹の混入する混合林が形成されている。

②肥沃な土壌
ジャワの火山の火山灰により地力が強い。

③豊富な水
2000mを超す火山により、麓の空気が長城に吸い上げられ、頂上で冷やされて水蒸気が凝結し、水として流下する。

著者は、ジャワの複数の文明が積み重なった重層性に注目する。

①基層ジャワ
紀元前数世紀からドンソン稲作(焼畑稲作)が存在した。汎神論的宇宙観が成立したと思われる。現代のジャワ人もイスラム教徒でありながら、諸々の神々に供犠する。

②ヒンドゥ文明到来
5世紀頃にヒンドゥ文明が到来。西ジャワからは5世紀のサンスクリット碑文が発見され、8世紀には中部ジャワでシャイレンドラ王家、マタラム王家が出た。14世紀にはマジャパピト王朝が栄える。ヒンドゥ文明はジャワでは衰えたが、バリでは健在。

ヒンドゥの世界観では、宇宙は何重もの山脈と海で取り囲まれた同心円状になっており、中央の山に神々がいるとする。ジャワのような火山島では受容し易い世界観だったかもしれない。その宇宙観は、ヒンドゥ文明の高い宮殿に反映されている。

③イスラム文明
13世紀にイスラム商人達が流入。スマトラ島西端のジャワは、13世紀末にイスラムを受容した。本格的にイスラム化するのは、イスラムの港が出来る15世紀中頃から。マジャパピト王国を滅ぼし、16世紀後半にマタラム王国が出来る。

ジャワには以下の三種類のイスラムがいるとする。

・アバンガン(内陸部の農民に多い)
汎神論を残す
・プリヤイ(旧王族に多い)
ヒンドゥ的宗教観を残す
・サントリ(海岸の商人に多い)
正しいイスラム教徒

④オランダ侵入
16世紀末にオランダが進出し、ジャカルタを根拠地に植民地を作った。1870年代からは旧王族を中心にオランダ風の教育を受ける事になる。それまで外敵を制圧する事で権威を発揚していた王室は、文化的に権威を守るようになった。

ジャワ世界は、幾つもの外文明に洗礼されて文化を作ってきた。その様子は日本に近いかもしれない。海域東南アジアでは核になるものが存在しないが、ジャワ世界では文明が折り重なっていく。

第三章 大陸東南アジア山地世界
19世紀に始まる若い世界単位。交易網を担う商人王が、領域支配をする王国を築いた。

焼畑民が最も、この世界単位を具現するらしい。

焼畑民は広大な森に小集団で住み、閉鎖的な傾向がある。一方で谷底には水稲を作る村もある。由来は南中国からモンゴル動乱の時代に移住した人々であるらしい。さらに南からはタイ族が拡散しており、以下の三種類の社会が成立している。

①高冷地
漢、チベット系の人達を主力とする。

②交易
タイ系の人達を主力とする。

③焼畑空間
汎神論的社会。

近年?では焼畑耕作は縮小しており、土地所有の概念が発生している。らしい。

第四章 タイ・デルタ世界
タイ・デルタは19世紀まで人間の居住とは無縁の水・陸未分化地帯であったが、バウリング条約で英国がシャム王国に貿易自由化とデルタ開田を要求し、開発が始まった。

ラーマ5世(在位1868年~1910年)の時代に干拓は完了した。

以下の歴史。

1767年にアユタヤー朝がビルマの侵攻によって崩壊すると、将軍だったタークシンが、現在のバンコク対岸に新しい都を開く。1782年にタークシンがラーマ1世に殺され、チャクリー王朝が始まる。ラーマ4世(在位1851年~1868年)の時代には欧州化が始まる。

タイ王室は、その正統性をアユタヤー王朝の後継者となる事で確保しようとし、統治洋式から王宮設計までアユタヤーを模倣した。アユタヤーは仏教であったが、クメール文化(ヒンドゥー)の流れを汲んで巨大で豪華な文化を持ったらしい。

それがラーマ5世の時代に欧州に倣い、チャクリー改革として大蔵省を創設する等して、小型家産国家から領域国家へと変身していく。ラーマ4世の時代には河川流の所有者だった王が、領地を支配する。

現代に至っても王の権威があり、軍隊が革命で政府を倒すと、王が承認する事で正当性を得る。

第五章 中国をどう見るか
中国社会は多様なものの集合である。

①黄土
水が得られれば理想的農地となる。
②砂漠
交易を行う通路。
③草原
騎馬民族集団が住む。
④森林
黄土地帯の南にある照葉樹に覆われた山地。

支配装置として重要なのは、儒教の「仁」の思想。

仁とは愛であり、自分が生きたいのと同様に他人も生きたいのだから、まず他者を生かして自分も生きようとする。多様な中国の中で黄土農民は常に圧倒的多数であるため、彼等を生かす事が仁となる。

これは支配者に都合の良い考え方で、草原の武人と砂漠の商人を抑え込む事が出来る。黄土にいる天子を中心に、黄土農民が政府を支える宇宙観が中華の特質である。

中国の歴史は以下の2つに分けられる。

①宋代までの古い中華世界
灌漑を整える事で農地を作る。初めて中華を統一した秦は渭水から出た戎荻であるために由緒正しい農業国と認められなかったが、西アジア文明圏と接触し、騎馬民族と交流した事で優位に立ったとする。

灌漑農業による食糧生産、オアシスを使用した交易、草原の武力が中華王朝の特徴。秦の王都である咸陽(渭水の北岸)は、黄土・砂漠・草原の結節点に位置している。漢や唐が都を作る長安は咸陽の対岸にある。

②明代以降の新しい中華世界
アッバース朝のバグダッドで興った近世経済が唐代に中国に渡り動乱が起こる。長安や咸陽でなく東京開封府が首都となる。
砂漠のシルクロード一本の交易路が、草原や海上にも通じ華北の遼や金、江南の南宋が興る。
青磁や南宗画、朱子学という文化が生まれ、自らを無にしていく森の発想が取り込まれたとする。青磁や水墨画は白磁や北宗画よりも刺激が少なく、見ていると引き込まれていく。朱子学は静止の中に自らを無にしていくとする。

そして江南デルタ開拓が完了し、元を経て成立した明朝は、江南の人口、草原の武力、海路の情報を結び合わせる北京を首都とする。

第六章 「世界単位」の捉え方
気候や植生が人々を規定する。

例えば、森林に住む人々は見晴らしが悪い空間で自然を受け入れ、理性では計り知れない何かを直観し、人間は超越的存在に生かされているという観念を持つ?

対して、砂漠や草原で恐ろしいのは人間である。多くの人間が開放的空間で集合するため、規律を保つために法律が重視される。

森林には巨大な闇があって理解出来ない存在を考えるが、見晴らしの良い砂漠では理性を信じる。

現代では、誰もが国民国家を持つべきという思想があるが、第二次世界大戦後に独立した国の多くは、一つの単位をなす必然性を持たず、生態や文化を考慮されていない。

人々が同一の世界観を有している地域単位としての世界単位を再考するべき。

第七章 「世界単位」の共存
世界には砂漠の思想、森の思想、都市の思想が三つ巴になっており、現代は都市の思想によって支配されているとする。

都市の思想は砂漠の思想と似ているが、神を信じない点で異なる。それは見通せない森に恐怖を抱く森の思想とも違う。

著者自身が多様な思想の共存について結論を出す事が出来ていない。

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:ABCDEFG
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード