文系のための数学教室

読んだ本の感想。

小島寛之著。2004年11月20日第一刷発行。



経済学や社会学、現代政治等の根底にある「数学」についての本。

その本質は解析学(微分積分)であり、経済や社会概念に距離を定義する事で、「~に限りに無く近付く」という極限概念を当て嵌め、微分積分による関数化を行う。

距離には「三角形の二辺の和は残り一辺よりも長い」という特徴があり、数値の集まりにその特徴が満たされるなら距離を計測しているものとして、距離による定義が可能とする。

⇒様々な問題を微分積分により、数式で表現する

<積分>
積分を関数の面積を求める方法である。

積分を「日本全体の地価を求める方法」から理解する。

ステップ1:
実際に売買された土地の価格が、周辺地域の地価を代表していると仮定し、各都道府県毎の代表地の値段を集計する事で、近似的に日本全体の地価を計算する。

ステップ2:
より正確に日本全体の地価を計算するために、各市町村の代表地の値段を集計する事で近似的に日本全体の地価を計算する。分割を細かくした方が実体に近付く。

ステップ3:
さらに正確に日本全体の地価を計算するために、無限小の区域の値段を集計する事で日本全体の地価を計算する。

この無限小の面積を仮定し、それら全ての値段を足し合わせた「理想計算」が積分の本質である。

<微分>
微分とは、連続的に変化する関数を、階段のように変化する棒グラフのように考える作業。

上記の<積分>における地価の話に例えると、無限小の理想的地価を表す関数を探す事になる。微分によって極大値や極小値を求める事が出来る。

微分を「企業の利益を求める方法」から理解する。

ステップ1:
企業の時系列毎の利益額が連続的な関数で表されているとする。

ステップ2:
企業の利益額を年次毎の棒グラフで表現する。

ステップ3:
企業の利益額を無限小の期間毎の棒グラフで表現する。

無限小の期間をeとして、特定時点Xにおける企業利益を表す式をG(x)とすると、特定時点Xにおける瞬間的利益は、G(x+e) - G(x)と表現する事が出来る。eは無限小なので計算結果から削除可能であり、変数がxのみの式を計算結果とする事が出来る。

****************

<セマンティックスとシンタックス>
以下の論理を扱う2つの立場。

①セマンティックス(真偽で考える)
個々の文の真偽を考える。

②シンタックス(推論の繋がりで考える)
形式的推論の仕方だけに注目する。

日常会話ではシンタックスが重要視される。自分の主義主張と合わない意見を非論理的と考えるのはセマンティックな立場である。個々の真偽に拘る事で相手の推論の仕方を否定している。正しい事 = 自分にとっての正義を話す事が論理とは言い切れない。

セマンティックな論理学は19世紀のフレーゲに始まり、20世紀初頭のラッセルとホワイトヘッドによって完成されたとする。

セマンティックスな観点では、文は真と偽の二種類しか無いが、日常的思考では物事に明確な白黒が付く事は珍しく、20世紀の数学者フランク・ラムゼーは正誤の中間的状態もあると考えた。

哲学者ロバート・ストルネイカーはフランク・ラムゼーの思想を「確率」を利用して発展させようとした。しかし、条件付き確率を使用した思想は、数学者デビット・ルイスによって否定されたらしい。

<神の存在証明>
神を数学的に証明する試みについて。

デカルト:
以下の三段論法で神の存在を証明しようとした。

①神であるならば完全である
②完全であるならば存在する
③神は完全であるのだから存在する

仮に存在していないのなら、その点で欠けている部分があり、完全ではない。

スピノザ:
1677年に出版された『エチカ』にて、八個の定義(言葉の取り決め)と七個の公理(規則)から、幾何学と同じ論証方式で、定理11にて神の存在を証明した。

パスカル:
期待値という考えから、神を信じた方が得であるとした。

著者は、上記の方法論はシンタックス(推論の手続き)には問題が無いが、それは提供される個々の文の真偽とは別問題とする。

これは神の存在証明に限らず、数学によって基礎づけられている現代社会そのものが予定調和的に導出されたものであり、論理外部の経験や日常生活の補助が無ければ崩壊する事を示唆している。



<人間の実存性>
ヴィトゲンシュタイン:
世界を自らに降りかかる全ての偶然や必然とした。自分の生前や死後や他者の存在は確かめようのないものであり、世界は「私」であると考える(独我論)。そして世界の境目を「言語」として、言語的に捉えられる射程を世界 = 私の境界線とする。

私の認識全体 = 論理空間の中にある事実が世界である。神は語り得ぬものであり、世界から排除して私に拘る事になる。



ハイデッガー:
人間を「現存在」という名称で呼び、現に与えられた環境を他の「可能な」環境と重ね合わせ、相対化し、過去や未来を開く事が出来るとした。
そうして人間が生物学的環境から世界へ超越出来る事を、<世界-内-存在>とする。人間以外の存在は、現存在である人間が了解する事によって存在する(存在企投)。

⇒上記の二人の意見に共通するのは、数学も人間が了解する事によって存在出来るという思想?

近代以前の数学は神の意志に近付くための超越的思念だったが、20世紀になってからは「私」という尊い存在のための実在の証になっている。

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