戦争と文明

読んだ本の感想。

A・J・トインビー著。昭和34年10月15日 初版第1刷発行。



諸文明の挫折は、戦争から始まるとする。

本書での軍国主義とは、武力が問題解決の唯一の手段と信じる精神である。

国家があり、他国との関係上は戦争に備えなければならないから、軍国主義は必ず生じる。そして、群雄割拠の戦国時代は一強国によって統合され世界国家となる。

軍国主義は必ず手を広げ過ぎて我が身を滅ぼすのであるし、戦争に勝つ事を目標に他の活動が疎かになる。

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かつて宗教的狂信によって行われた戦争は、神の失墜によって国民的狂信による戦争に変わった。信仰に根ざさない寛容は人間の精神に拠点を保つ事が出来なかった。精神は真空を嫌うため、宗教という悪霊が出て行った場所に、国家という新たな悪霊が居座る事になる。

軍事的徳が賛美される社会的環境では、社会的諸力が自然の諸力と区別されないし、自然の諸力が人間の手に負えないものと見做される。犠牲者の観点からは、病原菌の流行と敵国からの侵略は区別できず、その廃止の可能性は空想し得る程度でしかない。

西洋文化の源泉は、①キリスト教(ギリシア文明社会の内的プロレリアート)、②部族信仰(ギリシア文明社会の外的プロレリアート)、③国家信仰(支配的少数者への崇拝)であるとする。

キリスト教が力を失うと、他の二つによって全体主義的局地的国家が誕生していく。

<スパルタの例>
軍事を重視過ぎた結果、他の面における人材育成に失敗し、勢力を失ったとする。

スパルタの軍国主義化は、紀元前八世紀に全てのギリシア都市に提出された人口増加という問題への対処である。他の諸都市が海外に植民地を建設したのに対し、スパルタは近隣のメッセニア人を侵略(第一次メッセニア=スパルタ戦争は紀元前736年~紀元前720年頃)し、メッセニア人の反抗(第二次スパルタ=メッセニア戦争は紀元前650年~紀元前620年頃)を経て、支配のためにその後の百年をかけて軍国主義的制度を整備し、紀元前550年頃にリュクルゴス制が提唱される。

スパルタ市民は全てが国家から分割地を支給され、働かなくても生活を維持出来るようにし、全精力を戦争技術向上に捧げる事になる。

そしてスパルタはアテナイがスパルタの公奴と同盟を結ぶ可能性を危惧し、ペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)を戦い、勝利はしたが新たな問題に直面する事になる。

スパルタは広い多文化領域を支配しなくてはならず、それまで培ってきた軍事的才能以外を持つ人間を育成しなければいけなくなった。さらに勝利の結果、貨幣経済に巻き込まれ、スパルタの身分制は大きく揺さぶられた。

そうした環境変化があってもスパルタはリュクルゴス制を維持したが、制度は次第に劣化し、我慢している少年を死ぬまで鞭打つような制度になっていく。

<アッシリアの例>
軍事力拡大に勤しむも、多方面に敵を作って滅亡した国。

アッシリアは軍国主義国家として戦争技術改善に取り組み、紀元前825年頃の壁画と、その二百年後の壁画を比較すると、歩兵用の楯を持った騎兵が甲冑騎兵になり、サンダルよりも行動し易い長靴を履くようになり、戦車も乗員数が増えている等の改良が行われている。

最大の改良は、テイグラート・ピレセル三世(在位紀元前747年~727年)かサルゴン(在位紀元前722年~紀元前705年)が始めた常備近衛兵の制度である。アッシリアはパピロニア世界の辺境にあって、ザグロスとタウルスの山地に住む蛮族に対抗するために軍力を高めたらしい。

⇒ローマの事例から類推すると、アッシリアの常備軍設置は社会解体が進んだ事の兆候と見做す事が出来る。マリウス時代のイタリアで常備軍設置が必要とされた理由は、農民層が遠隔地への遠征のために土地から切り離され没落したためである。土地から生計を得る事が出来ない人々が革命を起こさないように農業に代わる仕事を与える必要があった。

破局の切っ掛けは、アッシリアが紀元前745年にバビロニア地方に侵略した時に始まったとする。その後、反アッシリア運動が発生し、①紀元前731年~紀元前721年にバビロニアのカアルデア部族が政治的に統一、②カルデア人とエラム人の同盟締結し、アッシリアとの長い戦争が始まる。

そして、アッシリアは紀元前614年~紀元前610年に発生した戦争で滅亡してしまう。

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P161~P162に、防御に関する意見が記述されている(『科学理論と宗教』E.W.バーンス著のP474~P475からの引用)。

防具の発達は、進化において魅惑的ではあるが破滅的である。

あらゆる生物が甲羅を固くする戦略を採用するが、そのために動きが鈍くなって菜食を主としなくてはならなくなる。その結果、滋養になる動物性食物を取る敵と比較して不利になる。

⇒中華帝国と遊牧民族の関係に似ている

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軍国主義者は内乱によって滅ぼされる。

アレクサンドロスがダーダネルス海峡を通過して11年と経たぬ内にアケメネス朝を蹂躙したが、その後の42年はマケドニア人同士の争いが発生した。その1000年後には同種の現象がイスラム教徒の間で発生する。

さらに、軍国主義は防衛のために設置されても、それを権力奪取のために用いる傾向がある。

アッシリアはバビロニア世界を東部や北部の蛮族や南部や西部にいるシリア文明の先駆者たるアラム人から防衛する役割があった?が、境界外への敵に使用していた武器を自らの同族に向ける事になる。

754年に、フランク王国のピピンが同胞たるロンバルディア人を攻めた事も同様で、異教徒のザクセン人との戦いに集中出来なくなった。戦争は後まで続き、シャルルマーニュ大帝は773年~774年にイタリア遠征を行い、ロンバルディア諸公国との紛争に巻き込まれる事になってしまう。

ティムールも同様で、イランやイラク、インド、アナトリアに攻め込んだために、ユーラシア大陸制覇という目的から遠ざかる事になった。

⇒辺境が内域を征服する事は困難。文化的に自らよりも先進的な国と同化する事は出来ない

古代中国に当て嵌めると、西部の蛮族を防ぐ役割を果たしていた秦が、闘争の場を内域とした事で、短期間に滅亡した事になる。

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軍国主義による勝利は世界帝国を誕生させるが、精神的退廃も伴う。

勝利者として、物質的な快楽を無制限に享受する事が、人間としての唯一の目的としてしまう?その後は弱い敵に負ける事になる。自軍は勝利からは大した利益を得られないが、敵は負ければ終わる状態だからだ。

殺戮によって手にした権力を維持するには残虐な手段を使用するしかない。

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