分断から結合へ

以下は、「スクールカーストについて思い出す事」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1486.html

アイドルの握手会という催しについて考えている。妹夫婦や会社の同僚がAKBの握手会に行く事が好きなので、握手会の話を聞く事が偶にあるが、聞く度に奇妙な気分になってくる。

妹はオタクに属する人間。スクールカースト下位に属するはずの人々が、スクールカースト上位に属しているであろうアイドルに奉仕?されている図が何だか奇妙だ。

インターネットが発達して、テレビの向こう側に存在していたはずの人々と、視聴者が直接接続される状況だと思う。

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恩田陸先生の初期作品、『六番目の小夜子』、『球形の季節』、『不安な童話』は物語の途中で終わる話だと思う。世界は、自分達の帰属する世界と、これから帰属する事になる向こう側の世界に分離しており、向こう側に移行する時点で種々の謎を残しながら話が切断される。

主人公達の属する現実の世界と、未知の将来との対比。作品世界におけるテレビは、現実世界に幻想的な世界を挿入する小道具になっている。

『三月は深き紅の淵を』以降の作品は、恩田先生が物語の続きを書こうとする試みだと思う。

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インターネットの登場は、普通の人々が介入出来なかったはずの世界に、普通の人々が介入する事を可能にした。

正義には二種類あると思う。法の正義と義理人情。

普通の人々はは共同体の倫理(義理人情)に基づいて思考し、正義や家族を優先する。対して、支配階級は法治国家における社会契約を重視する。

普通の人々は地縁や血縁に基づく共同体の維持を求めるが、支配階級は会社を潰したり、社会階層を入れ替えなくてはならない。それは普通の人々にとっての不正義となる。

それだから、政治や経営は選良達の談合によって決定され、普通の人々には彼等の正義に合うフィクションが提供され、その手段としてのマスメディアがあったのだと思う。国や会社の利益のために行われる施策は、「自分達は仲間である」という普通の人々の幻想を打ち砕くものであるから、社会一般からは隠蔽しなくてはならない。

インターネットの普及は隠蔽を不可能にした。現在の環境下で支持される人間は、「俺が何とかしてやる」と主張しながら共同体を設定し、その中に自らも入る事が出来ると思わせる人間である。

法治国家では全ての人々が平等とされるが、共同体の価値観では異物を排除しなくてはならない。それだから、異なる人々への論難はインターネット上での正義となる。

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