水路の用と美

読んだ本の感想。

渡部一二著。2002年12月28日 第1版第1刷発行。



稲作社会を支えた水路について。

以下の歴史的経緯。

〇縄文期(稲作の始まり)
紀元前4世紀頃から、河川の下流域に発達した後背湿地や、谷地の湿地等の用水を得易い地域で稲作が始まる。

〇弥生・古墳期(灌漑・排水の原型)
鉄製農耕具が普及し、通水施設を構築して水田整備を行った。掛け流し灌漑として、上流の水田から次々に下流の水田に水利を導く。

〇奈良・平安期(灌漑溜池の築造)
区画に沿った形で用水路を整備する国家事業。香川県にある満濃池は、700年当初に築造された日本最古の大規模灌漑用溜池である。

〇中世(大型水利施設続出)
戦国時代になると、各国で河川段丘、洪積台地、上部三角州等にも水利施設が続出。江戸幕府は関東平野低地の開発を行い、多くの沼地が溜井となった。水利用の組織化も進み、水利慣行が成立した。

〇近世(河川制御技術の進展)
徳川幕府治世下の安定期に土木技術が発展。葛西用水、玉川上水等。測量技術も進歩し、等高線に沿って用水を流す横堰が梓川水系等で造られる。

〇近代前期(欧米技術導入)
明治時代以降、陽水ポンプ(氾濫低地の排水を可能にする)とセメント(灌漑施設の主要材料)が導入される。

〇近代後期(総合開発事業促進)
高度経済成長期に大型土木機械や施行管理の計画理論が導入されるが、自然破壊も問題になる。

〇現代(環境整備事業推進)
農業用水路から、水の多面的利用への転換。

********************

日本古代の水利用の基本は、自然界に存在する水を取水し、自然流下させ、稲作や生活用に利用する水路を作り出す事である。近世に至ると沖積平野の開発が進み、近世中期には河川の渇水流量全体を使用し尽して水源限界に状況に置かれる事になる。

河川流水の水位を意図的に上昇させ、灌漑に必要な推移を保つ井堰は、当初は流量の小さい小河川に作られたが、水需要が増加するとともに堰を設ける河川の規模が大きくなっていき、堰を築いては洪水の度に再建する過程を繰り返す事になる。

水を行き渡らせる水路網が形成される。開削時の目的が農業用水路だった水路の内、水勾配が緩やかで通水量が安定した水路は舟運用に使用されるようになり、水上交通網の一部となっていく。

また、人口が過密になっていくに連れて生活排水の浄化が意識されるようになり、生活に使用された汚水は隣接地の一角に貯められ、水生植物等によって浄化された後に排水されるようになった。

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