古代史の謎は「鉄」で解ける

読んだ本の感想。

長野正孝著。2015年10月30日 第一版第一刷。



著者は、前方後円墳を古代の公設市場と考える。朝鮮半島での戦争により、鉄や傭兵の交易が盛んになった事で巨大な古墳が造られ、朝鮮半島での戦争が終結した事で、新たな古墳が造営されなくなったとする。

第一章 鉄を運ぶために生まれてきた海洋民族「倭人」
一・一 鉄を巡る争いは漢の武帝の朝鮮侵略より始まった
朝鮮半島の鉄は、紀元前三世紀に戦国七雄の燕によって開始され、紀元前194年に衛氏朝鮮(燕や斉の亡命者と原住民の連合政権)が平壌を首都とした。

漢の武帝は紀元前194年に水軍を編成して朝鮮半島に侵攻し、鉄資源を支配した。武帝は漢四群(楽浪、玄菟、真番、真番)を作った。その後、朝鮮半島の王は中国に承認される仕来りが続く。

一・二 朝鮮半島の鉄―海は倭船、陸は高句麗の馬が運んだ
朝鮮半島の鉄は漢が国家統制し、長剣は倭や辰漢に、短剣は高句麗等に配られたらしい。日本に輸入された鉄剣は豪族の墳墓の副葬品として残った。200年~400年頃の墳墓出土刀剣を比較すると、筑前や豊後よりも、丹後や播磨、但馬、上野の方が多いため、鉄の路の存在が推測出来る。

朝鮮半島の西側は大河が島の多いリアス式海岸のため舟での移動が容易であり、東側は平原が多いため馬で移動したとする。

一・三 日本への鉄は小舟で対馬海峡から運ばれた
紀元前後まで朝鮮半島の鉄は、海峡周辺の倭人が手漕ぎの丸木舟を使用して対馬海峡を渡ったと推測。

一・四 対馬海峡を通る流儀―季節・船・天候
『三国史記』では、倭が新羅を襲撃する時期は、旧暦の四月~六月であり、寒い冬場は交易出来ない。また、天候を選ぶ重要性が卜骨の神頼みに繋がったとする。

一・五 地域格差がはなはだしい鉄の加工技術
紀元前四世紀~紀元前二世紀の北部九州で鉄器が使用され始め、三世紀頃には石器が使用されなくなり、鉄器製作が始まる。他の地域では鉄は普及していない。日本海沿岸の鉄器技術に差が大きいとする。

一・六 倭人とはどこの地域、どこの国の人間を指すのか?
著者は、倭人とは日本海を拠点とした海洋民族と推測する。一世紀頃までの中国人の倭に対する認識は、遼東半島以遠の、鉄交易と漁業に従事した人種であり、五世紀頃までの倭人は首都や王を持たなかったのではないか。

一・七 倭人はなぜ中国に朝貢し続けたのか?
奴国が漢に朝貢した57年は、楽浪郡が高句麗の襲撃を受けた10年後であり、交易網を保護して貰う狙いがあった?

第二章 「倭国大乱」前夜の日本海沿岸「鉄の路」
二・一 日本列島は水世界
弥生時代は寒冷化が進んだ小氷河期だった(気候変動から邪馬台国を考える:山本武夫、倭人をとりまく世界:辻誠一郎)。海水面は現在より数メートルは高く、瀬戸内海から舟で琵琶湖まで移動出来た。

二・二 ハンザ同盟に見る連携都市国家像
五世紀の「宋書 倭国伝」の武の上表では、東北から朝鮮半島までを国としている。著者は、多民族が交易理研で結ばれたハンザ同盟のような社会を予想する。

13世紀~17世紀のバルト海を中心とする商業都市連合。そのルートは、①北海沿岸ルート:バルト海からデンマークのリューベック、ハンブルク、さらにロンドンまでをつなぐ、②内陸ルート:デンマークのリューベックから、ドイツ内陸都市を結ぶ、③ライン川ルート:ドイツのケルンからイタリアのヴェネツィアに抜ける。

倭国は高句麗と戦いつつ、交易ルートを維持したとする。

ニ・三 黒曜石と土笛が語る草創期の「鉄の路」
倭人の交易範囲を推測する。

黒曜石の交易ルートでは、隠岐の島の黒曜石は日本海岸を東に北陸まで達しているが朝鮮半島に運ばれた痕跡が無い。一方で一世紀から二世紀頃には朝鮮半島の鉄が到達したようで、この頃に多くの漂着難民が朝鮮半島から渡来したと予想。

⇒朝鮮半島から隠岐の島、出雲の航路

土笛陶塤という中国渡来の楽器は、①北部九州、②山口県響灘、③島根県宍道湖周辺及び丹後半島に分布の中心がある。出土の東限が丹後半島である事から、鉄の路の東限もこのくらいと推測。

二・四 卜骨遺構でわかる卑弥呼の世界
平安時代前期に五行陰陽道が普及するまで、動物の骨を焼いて吉凶を占う卜骨は重要な祈祷方法だった。航海安全を祈願した後は、卜骨を各地の貝塚に捨てるため、倭国の勢力範囲を推測する材料となる。

伽耶の金海府院洞貝塚を起点に、九州から鳥取、北陸の敦賀、邑知潟辺りを倭国と考える。紀元前後までは九州から山陰、丹後までだったのが、三世紀頃には能登半島付近まで勢力を拡張(石川県中能登町の宮古古墳群)。

二・五 なぜ離島や僻地から鉄のナイフが出土するのか
神奈川県三浦半島や、伊豆諸島の利島等から出土する鉄器について、偶然の漂着としている。

二・六 環濠遺跡はなぜつくられたのか
交易が柵を生んだとする。纏向や唐古には当初は環濠が泣く、農耕民族の遺跡に環濠があるとする。拉致や略奪を防ぐため環濠。

第三章 高句麗の南下によって生まれた「倭国大乱」
三・一 「倭国大乱」はなぜ起こったのか
一世紀~二世紀の倭国大乱について。
300年頃に奈具岡遺跡、途中ヶ丘遺跡、志高遺跡が消滅し、丹後では弥生後期に集落の様相が変化し、特徴ある墳墓が出現したという。

後漢書 東夷伝等では、146年~189年頃に、倭国が乱れたため卑弥呼を女王としたという記述がある。

著者は、一世紀に高句麗の南下が発生し、玉突き状態で難民が鉄を携えて日本に押し寄せて社会変革が起こったと推測している。

三・二 朝鮮半島の地形「西船東馬」が作った民族大移動
朝鮮半島は南北約850㎞、東西約350㎞で、半島中央に太白山脈があり、その東部は亜寒帯で牧畜にのみ適し、西部はリアス式海岸が続き農業や交易が盛んとする。

楽浪郡は、馬で太白山脈を越えれば簡単に襲う事で可能であったとする。

三・三 「倭国大乱」の引金は高句麗の楽浪侵攻
37年に楽浪郡が高句麗によって襲撃され、後漢は44年に奪還したとされる。その後、後漢は高句麗に接する地域を間接統治に切り替えたとする。外交窓口を残した撤退。

三・四 地図から消えた朝鮮半島東部の中小国家
以下の民族が高句麗に圧迫されて日本に逃れたとする。

夫余:
哈爾浜、斉斉哈爾等の平原の国。高句麗が楽浪郡を攻めた時は後漢に助けを求めた。その後、三世紀に高句麗の略奪を受け、鉄を作る技術を朝鮮半島全域に広げたとする。

東沃沮:
豆満江河口に位置し、一世紀には高句麗に臣属したとする。

濊:
朝鮮半島東側に沿った国。後に新羅となる。

挹婁:
ウラジオストク、アムール川の河口に位置し、夫余に従属し、その後は放浪の民になったとする。

三・五 難民達はどのように日本海を渡ったのか?
リマン海流:
沿海州や朝鮮半島東岸に沿って反時計回りに流れる寒流。流れに乗って対馬海流に乗り換えれば、朝鮮半島から山陰や北陸に漂着可能とする。

出雲半島や丹後半島は出っ張ている地形が目印になり、多くの難民を集めた予想。それが国情に影響?

三・六 日本海を渡る知恵―準構造船の技術革新
朝鮮半島から500㎞を移動するには細見の丸木舟では不可能。五世紀初めから波除板を継いだ幅広い準構造船が登場するが、この技術は難民が齎したのかもしれない。

第四章 「倭国大乱」の実像と発掘された「鉄の路」
四・一 「播磨国風土記」の新羅の王子は漂着難民
播磨国風土記に天日槍命の物語がある。一世紀頃に淡路島に出来た製鉄遺跡五斗長垣内遺跡と関連しているかもしれない。

但馬地区にも、鉄製品を出土する東山墳墓群や立石墳墓群があり、九州を上回る量の鉄器を出土する地域が続出して古墳時代に繋がる。

四・二 鉄の副葬品を有する異形墳墓の大量発生
一世紀頃の日本の墳墓は縄文時代からの土葬や中国・朝鮮半島風の支石墓だったが、二世紀頃から四角い積石塚が増え、多様な墳墓に至る。

丹後では古墳時代でも異形の墳墓が増加し、漂着難民の影響が見える。

四・三 信州における不思議な大陸との交易
信州では、木島平村の根塚遺跡等の鉄製品を出土する遺跡がある。石川日出志は、『農耕社会の成立』で朝鮮半島南部から北陸、長野を経由して関東に至る交易ルートを提唱している。

四・四 川を上り南に向かった無数の光る塚
中国地方や北陸の谷筋にある円墳は、遊牧民の目印だったとする。それは洪水時の避難場所であり、休憩場所だったかもしれない。

四・五 なぜ、光る貼石墳墓をつくったのか
夫余や高句麗があった地域に、貼石墳は分布する。墳墓の斜面に石を貼って光を反射させ、遠方からも見えるようにした。遊牧民が渡来し、海岸から川岸に作った一里塚とする。

四・六 突然できた日本海の鉄の集落
丹後半島では、紀元前四世紀~紀元前二世紀に扇谷遺跡等の30カ所以上の古代製鉄遺跡があり、100年~200年頃にはおお風呂南遺跡等が大量の鍛冶後とともに登場する。

それらは小さな鉄器を叩いて作る遊牧民の鉄加工技術で、六世紀後半のたたら製鉄まで、日本では完全な製鉄技術は無かった。

四・七 国内港湾都市出雲―漂着難民がつくった港町
倭国大乱時期に、四隅突出型墳墓が広島県三次市に出現する。それは二世紀半ばに鳥取や島根、石川、富山の臨海部に広がり、総数は103にもなるという。

国際的な地域連携の可能性。

四・八 古墳と鏡、卜骨が語る出雲の不思議
出雲では、西谷墳墓群と対峙する形で、三世紀後半から東端に荒島古墳群が登場する。西谷が三世紀から四世紀頃に衰微するのに対し、荒島古墳群は700年頃まで続いた。

出雲半島の沖合にある隠岐の島の隠岐国総社 玉若酢命神社の主神は丹後王国と関わりがあるとする。丹後では古墳のほとんどが前方後方墳であり、独自性がある。

出雲の四隅突出墳を地方国家の特徴とし、鏡や卜骨が出土しない事と合わせると、独自の国家があったのかもしれない。

四・九 渡来人がつくった瀬戸内海東航路
出雲に着いた遊牧民の多くが、陸路で瀬戸内海の吉備に移り、三世紀には瀬戸内海海路を整備したとする。彼らが作る古墳には、目印や飲み食いの場所という機能もあったとする磯久。

四・一〇 鉄が結んだ丹後半島横断運河と丹後王国
浅茂川と竹野川を遡り、船を曳いて大風呂南墳墓群に出る、横断運河。鉄を運ぶ路と仮定する。日本海側最大の前方後円墳である神明山古墳は、竹野川の入口を示すとする。

四・一一 丹後と出雲は鏡を使わない別の社会だった
『三角縁神獣鏡の時代』(岡村秀典著)、『海を渡った鏡と鉄』(君嶋俊行著)では以下の分析がある。

①鏡の範囲
紀元前一世頃の九州の遺跡から漢鏡が多く発見されるが、当時の奈良盆地の遺跡からは鏡はほとんど出土しない。

②鏡ブーム
倭国大乱の頃に鏡ブームが発生し、奈良盆地にて鏡の出土量が急増する。

③山陰で出土しない
一世紀、二世紀頃の出雲では漢鏡は出土しない。

④瀬戸内海交易
古墳時代には全ての鏡が瀬戸内海に出土する。これは四世紀後半から瀬戸内海で鉄の交易が始まった時期と一致している。

四・一二 三角縁神獣鏡の謎は、謎ではない
著者は、三角縁神獣鏡は九州に渡った原盤がヤマトで大量に複製されたとする。

四・一三 鉄から見た卑弥呼の国―倭国と大和は別の国
奈良にある大和古墳群は、卑弥呼の時代には鉄の交易路から外れていたとする。四世紀初頭に作られた桜井茶臼山古墳には宗像神社があり、この時に九州からの鉄の路が繋がったとする。

第五章 「倭の五王」時代の鉄取引
五・一 舎人親王のたくらみ
神功皇后を舎人親王が創造した理由は、応神天皇がヤマト出身という物語を作るためとする。

五・二 「倭の五王」時代の倭国の範囲と国の性格
倭の五王は、413年~478年に歴代中国王朝に9回朝貢している。この時代の倭は、鉄交易によって結ばれた都市連合で、北は新潟や信州、日本海側は丹後や出雲、南は九州・南西諸島の範囲と予想。中央集権的王権は無かったとする。

五・三 敦賀王国を作った応神天皇
「日本書紀」は敦賀の王であった応神天皇を都怒我阿羅斯等という架空の人物にすり替えたとする。

敦賀には、一世紀頃の方形周溝墓の民族が渡来(吉河遺跡)し、敦賀市東部の山裾に七世紀まで古墳が作られ続ける。高句麗系の貼石の方墳とは違い、朝鮮半島南部の円墳に近い。

著者は、応神天皇を祀る神社が能登や敦賀、舞鶴、美浜にある事から、応神天皇を朝鮮半島南部から渡来した豪族と推測する。氣比神宮を拠点とする交易圏が、それまでの船を細かく繋いだ輸送法から、風と潮を利用した輸送法への変化に伴い出現したとする。

五・四 副葬品の武具から読み解く五世紀の国情
応神天皇即位は390年とされており、この頃から波除板を設けた準構造船が出現したとする。五世紀後半から六世紀の古墳から馬具や甲冑等が出現する例がある(宮崎県 島内横穴墓群等)。著者は、当時の日本に鉄製武具を作る能力が無いとして、九州、山陰、北陸、関東の豪族が朝鮮半島からの戦利品として持ち帰ったと推測している(他に兵を集めた見返り等)。

五・五 鏡と古墳から読み解く瀬戸内海の「鉄の路」
瀬戸内海航路開通を、463年の吉備の乱の記述(新羅と結託したという記述)や、瀬戸内海古墳等の鉄の遺構等から、雄略天皇の時代と考える。高句麗になびく都市が日本海沿岸に現れ、瀬戸内海航路を開発する必要性。

瀬戸内海で交易が行われるようになった時を四世紀中頃とすると、沖ノ島神事が始まったのは四世紀後半であり符牒が合うとする。

愛媛県今治市大三島(瀬戸内海最大の難所とあれる芸予諸島の中央に位置する)に鉄器を副葬品とする古墳が出土し始めるのも四世紀後半とする。

五・六 時代によって変わる鉄取引
    ―玉石、サービス、奴婢、鏡そして傭兵
倭国における紀元前後の輸出品は主に奴隷であったが、三世紀末には鏡と交換するようになったとする。

第六章 高句麗と倭国・大和の戦い―負けるが勝ち
六・一 倭国が朝鮮半島で戦った理由―「鉄の路」の維持
高句麗はツングース系騎馬民族が作った民族で、騎馬戦力を保有したとする。

著者は、高句麗が倭が維持している百済、新羅内の交易網への攻撃として、391年~480年に、倭と高句麗の戦いが起こったとする。「越境の古代史」(田中史生著)では、四世紀後半以降の倭は、朝鮮半島諸国から物の贈与を受ける代わりに軍事的支援を行ったとする。

六・二 強かった高句麗―騎馬民族の強さの秘密
平壌の安岳三号墳は、357年に死んだ高句麗の王侯貴族の墓であり、壁画から当時の高句麗の様子を知る事が出来る。鎧馬による武装。

広開土王碑には、391年に倭が高句麗に攻めたので倭を破ったとあるが、日本書紀では「百済が非礼をした」とした書かれていない。

六・三 倭が負け続けたわけ―馬、狼煙と海路の制約
朝鮮半島における高句麗の狼煙ネットワーク等。

日本海からは秋から春先まで補給を行う事が出来ず、船で交易路で動かすには海岸線に沿って20㎞毎に港が一つ要る。

六・四 古代高句麗ブームの到来
四世紀末に高句麗と戦った倭に、高句麗文化が流入したと推測。埼玉古墳群に属する稲荷山古墳からは高句麗特有の蛇行状鉄器を装着した馬形の埴輪が出土しており、酒巻古墳群の14号墳からは高句麗文化の影響を受けた人物埴輪が出土している(「みすら」の髪型をした男の埴輪)。

六・五 伽耶、百済救済のための瀬戸内海航路
高句麗に敗北した後、倭は半島東側の交易拠点を失ったとする。代わりに、高句麗や新羅の勢力が伸長し、敦賀の応神天皇や関東の毛国が受容したとする。日本海沿岸は新羅と倭国が共同で港を経営するようになり、蘇我氏台頭に繋がる。

倭国と百済は高句麗に対抗するため、大和と九州を結ぶ瀬戸内海航路を作るようになる。当時は新羅の王子来航から400年経過しており、吉備や淡路、河内湖を結ぶ経済圏があったが、西瀬戸内海は通れなかった。

日本海を通れなくなった百済が、瀬戸内海を使用するようになったとする。

六・六 水鳥の紋章の謎
水鳥を倭国水軍の紋章とする。応神天皇陵からは、水鳥が出土し、水鳥は伽耶のある部族の紋章であるらしい。

六・七 大和に鉄鋌と馬が運ばれたわけ
五世紀頃の高句麗との戦いを通じて、鉄や馬が交易されたと考える。

百済から大阪平野に馬が移送され、毛国勢力範囲だった信州や群馬にも遊牧民由来の牧が作られたとする。鉄製品製作も盛んになり、柏原市大県遺跡群が五世紀から六世紀に発展した。

六・八 謎の国・伽耶がつくった西大阪の工業団地
562年に伽耶が滅亡してから、伽耶人が少しずつ瀬戸内海を経由して日本に移住したとする。伽耶国の紋章は水鳥であるが、応神天皇の古墳からも水鳥の埴輪が出る。
工人の多くが大阪平野に移住したため、却って工業力が高まったとする。

六・九 鉄鋼王・継体天皇がつくったヤマト王国の骨格
527年の磐井の乱で、継体天皇は大和朝廷として初めて水軍を瀬戸内海に通した。

また、中国山地の砂鉄を利用する鍛冶技術が確立し、朝鮮半島と交易する利点が無くなる。白村江における大和の主力は、大和や信濃、静岡、東北のようであるが、兵站の不利から朝鮮半島での戦いは不利である。

これらが後の大和朝廷の骨格を形成した?

第七章 解けた前方後円墳の謎―古墳は鉄の公設市場
七・一 『日本書紀』にもない不思議な王墓
記紀には、王権・王墓の話が無い。「○○の陵をつくった、葬った」という程度の記述。

七・二 四角と円の結合を求めた日本型公設市場
三世紀中頃から七世紀まで、5200基の前方後円墳が全国で作られたが、長さ200m以上のものは35基、その内32基が奈良、大阪、兵庫、残りは岡山に2基、群馬に1基である。それらは全て水路の近くにある。

それらは経済的原理が働き、畿内から流行として伝播したと思われる。単なる陵墓でなく、人や舟が集まる市場。

朝鮮半島南部の円墳と、遊牧民の角墳が融和して前方後円墳になったという意見。

七・三 遊牧民の塚の役目は終わった
    ―そして、四角も円もなくなった
三世紀まで造られていた小さい墳墓が作られなくなってから、しばらく時間を置いて前方後円墳時代が到来する。公設市場としての塚の集約化?

七・四 丹後からヤマトへの「鉄の路」
近畿の四世紀頃の鉄器は、奈良県桜井市のメスリ山古墳、大阪府茨木市の紫金山古墳、京都府南丹市の園部垣内古墳、大阪府藤井寺市の津堂城古墳等の副葬品は、ほとんどが武器であるが漂着難民が持ち込んだ物と推測する。

佐紀古墳群は、大和川の源流佐保川と、淀川の上流木津川の分水嶺に位置し、二つの川を掌握する舟運の拠点である(奈良の都が出来た場所)。丹後からの鉄の供給ルートとなり、鏡を輸出した可能性(木津川市山城町椿井大塚山古墳から三角縁神獣鏡が32面出土している)。

当時の奈良は水運が発達しており、「日本書紀」の崇神天皇の条にある「官軍が進んだ時に、この地で草を踏み均した」という均した(ならした)が奈良の語源という説があるが、舟を通すために樹木を伐採し、舟通しを作ったと考える。阿倍比羅夫による658年、659年の遠征は、石神神宮から舟通しを通って敦賀を経由して北上した?

七・五 大和の五大古墳群は地の利を得た巨大公設市場
以下の特徴。

①大和古墳群
天理・桜井にある最初の古墳群。当時の奈良盆地は大湿原で、この地は湿原の端に位置し、大和川と山側の交易路の中継場所であったらしい。鉄を交易していた痕跡が無く、吉備からの円筒埴輪の対価が研究課題とする。

②馬見古墳群
大和側の支流が本流に集まる狭隘部を睥睨する拠点にある。大量の鏡が出土する。

③古市古墳群、百舌鳥古墳群
一部を除き、高句麗との戦争後に造られる。瀬戸内海航路が開通し、交易規模が大きくなる。古市古墳には大溝があるが、外洋船から大和側を上る小舟に乗り換えるために、船を寄せる機能を持った水路だった?

七・六 前方後円墳はなぜ普及したか?
    ―交易の実利を得た公設市場
全国的に前方後円墳が普及する。宗教宗派祖霊を同化させる共通規範を持ち、公設市場、接待や宿泊の場としても機能した。古墳には需給バランスが働き、ある地域で古墳数が一定量になると、埋葬者が出ても群集墳になるケースが出てくる。

七・七 前方後円墳はなぜ巨大化したか?
伽耶や百済の軍備のために、大和の古墳に鉄の多量副葬(備蓄)が拡がったとする。戦時需要のために、公設市場の古墳が河内平野に下りて、大きな古市古墳群と百舌鳥古墳群が出来る。

応神天皇陵の誉田御廟山古墳からは、金銅製製金具や鮮卑系の馬具等が大量に出土するが、瀬戸内海航路でなければ運べない量。

奈良盆地での水運から陸送への積み替えの需要が増加ししたため、五つの古墳群が兵要地誌上の拠点に百年以内に造られたとする。

七・八 前方後円墳はなぜ消えたか?
前方後円墳は六世紀末に、鉄の自給確立や、朝鮮半島での戦争が無くなったために需要が落ちて新しい古墳が造られなくなったとする。仏教伝来により、旅の形と埋葬も変化した。

八世紀には隋、唐の駅制、延喜式で道路が整備され、船の一部が馬の輸送になり、古墳ビジネスの必要性が薄れた。

七・九 古墳の環濠は港であり防御柵であった
古墳の環濠は安全のための機能。古代地中海都市のガレー船の港でも、柵は無いが城壁と港の水路が防御と輸送機能のバランスを持って建設されている。

七・一〇 埴輪の役割
埴輪は岡山県を中心とする吉備地方(岡山県から広島県にかけて)で発生したという。最初は円筒埴輪で、著者はパーティションとして、円筒埴輪を動かせる壁として使用したと考える。

第八章 「現場の常識」で歴史を見直そう
八・一 文献学と現場主義の対立
著者は、現場のカンから、古代の船は対馬の西側を通ったとする。17世紀の朝鮮通信使の航路は東側である(帆船時代)。出発点は和多都美神社とする。

四隻後半から馬や甲冑の運搬が発生して帆船時代になり、五世紀半ばからヤマト政権が交易船を通せるようになる。

八・二 言葉のトリックに騙されるな
「通る」という言葉の概念の幅について。

軍隊や大規規模な交易を行うような「通る」を可能にする瀬戸内海航路。

八・三 「ヤマト政権ありき」に疑問を感じるべき
日本海側と朝鮮半島西海岸に点在する都市の倭国の存在。

八・四 能登半島にも、船を陸で曳く道があった
ハンザ同盟では、12世紀の北欧に君臨した赤髭王バルバロッサに資金提出させ、ユトランド半島を超えるために、エルベ川からバルト海に94㎞のシュテクニッツ運河を造っている。

著者は能登半島においても応神天皇が運河を造っていると推測する。

八・五 歴史的水路を顕彰するヨーロッパ、目をつぶる日本
水路輸送の接点に公設市場が出来る理論を日本史に応用すべきとする。

継体天皇は畿内の水路を整備し、淀川水系の樟葉、筒城、弟国と都を移し、20年後に大和に入ったとする。武烈天皇が数年毎に三度の遷都を行ったのも水路や道路整備と関係すると考える。

八・六 葬られた倭国の卜骨祭祀と騎馬民族の四神崇拝
海洋民族倭国の祭祀は航海安全の卜骨祈祷であり、丹後・出雲は遊牧民族の流れを汲む四神崇拝に近い世界と考える。

八・七 祭祀場に化けた倭国時代の港の船宿と望楼
弥生時代や縄文時代の神殿や祭祀用設備は、望楼であるとする。

一世紀や二世紀の日本は巨木が簡単に入手可能で、室町時代までは鋸が無かったので板壁を作る事が難しかったため、柱は丸太のまま使用された。柱の太さに驚くが、中世の大規模建造物ではない。

八・八 古墳の台所・トイレまで水の祭祀―「何でも祭祀」
古墳は最初は祖霊儀典の場であったが、やがてビジネス集会場になったとする。三重県松阪市 宝塚古墳では水を流す施設、水槽のような施設があるが、もてなしの宴会を行う場だったかもしれない。

八・九 「邪馬壹国論争」―もう神学論争はやめよう
卑弥呼を西日本の海洋都市国家共通の利益である鉄の安全輸送に貢献した巫女と考える。渡海すべき対馬海峡付近の日本海にいたとする。そこで卑弥呼の倭国は九州から日本海であったとする。

当時は「国家」が無く、陳寿が間違えて卑弥呼を女王と呼称したとする。当時は山陰道も瀬戸内海も通れないので、近畿に邪馬壹国が存在した筈が無いと推測。さらに大和古墳群(邪馬壹国近畿説の有力な証拠とされる箸墓古墳がある)に鉄が届いていない。

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