戦争と飢餓

読んだ本の感想。

リジー・コリンガム著。2012年12月20日 初版印刷。



戦争の中心的要因としての食糧の役割は大きい。

第二次世界大戦において2000万人以上が飢餓で亡くなった。これは軍人の戦死者数1950万人に匹敵する。1930年代に先進各国が直面した、増加する都市人口を養う食糧の問題は、21世紀初頭では発展途上国にて発生している。

第二次世界大戦は食料政策に大きな影響を及ぼし、合理化と技術革新で農業部門を強化した米国が、戦後の食糧分野で支配的な地位を占めるようになったとする。

第1部 食糧―戦争の原動力
日独双方とも、社会秩序を壊す事無く、不平等を改善するために、農地確保(領土拡張)を選択した。

<ドイツ>
19世紀終盤以降のグローバル化によってドイツは、世界市場の一部になるか、既存秩序を維持するかの選択を迫られる事になった。

18世紀の欧州では食物の3/4は植物由来だったが、交通機関の発達によって食糧輸送費が下がると、特に1870年代以降は肉の摂取量が増加し、一人当たり年間16kgの消費量が、1914年には年間50kgまで増加した。

ドイツは、ビルマルクが設けた保護関税によって、エルベ川東部の農地を保護していたが、1890年代から関税障壁を撤廃した(1902年には保護関税を再導入)。

1914年にドイツは世界最大の小麦不足地域となっていたが、農業保護政策によって都市部への人口移動が遅れ、人為的に食料価格が高い事への抗議行動が勃発していた。

第一次世界大戦後のナチスの政策も食糧確保に重点を置いており、ヒトラーの著書『第二の書』では、米国西部に匹敵する領土を確保すべきとしている。しかし、1940年末までにドイツが支配した地域は、農業部門が戦争に備えておらず、海上封鎖の影響が大きかった。そのため、ドイツの対ソ戦は食料確保という側面がある。ソヴィエト連邦で使用されていたウクライナの穀物をドイツが確保する目論見。

<日本>
日本でもドイツと同様に、増加する都市部の工場労働者に供給する食料の問題を抱えていた。

第一次世界大戦後に肉の消費量が増加し、1919年から1937年に倍増した(一人当たりの年間消費量2kg、ただし魚介類は除く)。さらに、米の消費量が増加した。1914年には1890年と比較して一人当たり25%ほど米消費量が増加し、1929年時点では都市住民の消費する米の量は農村住民と比較して25%多かった。

第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて人口が30%増加した事もあり、食糧確保のために植民地が利用された。ドイツと同様に、保護と規制緩和の対立があり、産米増殖計画により1915年に5%だった米の輸入割合は1935年には20%まで上昇したが、米の価格低下によって国内農家は打撃を受けた。

1937年に農林省が「二十カ年百万戸移民送出計画」を立ち上げる。農林省の理想とする農地の広さは一戸当たり一町六反(約1.6ヘクタール)だったが、国内に農民が多過ぎるため、農業人口の31%は土地を割り当てる事が出来ない。そこで、ドイツと同様に植民地(満州)を開拓する事を目指すもの(百万戸は1936年当時の農業人口の1/5)。

⇒地主階級を棄損せずに、小作農を中産階級に引き上げる事を目指す

第2部 食糧をめぐる戦い
戦争は食料需要を増加させる。

若い男性は、一日に約3000㎉を必要とするが、訓練中の兵士は3429㎉、低温化で激しい任務に就く場合は4238㎉、猛暑下での戦闘には4738㎉を要する。肉体労働を担う後方支援要員も同様。

自由市場は戦時中は放棄され、国家が資源を管理する力が強まる。国内の食料を配分する配給制度が確立される。

<米国>
1930年代に農業の機械化が発生し、第二次世界大戦は食料品を売る場を提供した。農業労働者の需要が増し、1943年には350万人の農民が徴兵を免れたとする。人手不足が一層の機械化を促進し、1941年~1945年で農家が利用する機械数は二倍になった。

戦後も農業生産性は1980年代後半まで高まり、1940年代に一農家で約10人を養っていたが、1980年代後半には約90人ほどになった。

⇒第二次戦争終結時に農業が繫栄していた事が、米国優位の原動力となる

<英国>
農務省主導の農業再編が発生し、パン用小麦の国内生産を増やすと同時に、肉や乳製品などの高エネルギーの凝縮食品を優先して輸入した。
1930年代の英国が唯一自給出来る食料は牛乳だったが、小麦やじゃが芋への転換が進む。牧畜用草地4ヘクタールは12人を養うが、同じ面積の小麦畑は200人、じゃが芋畑は400人を養う。

牧草地を耕すためにトラクターの利用が促進され、1939年~1946年でトラクター数が4倍に増えた。

⇒英国は米国や英連邦の国々との貿易を維持していたので、国内消費カロリーの56%を輸入に頼りつつも、戦時体制を継続出来た

◎植民地への影響
一方で、英国の植民地への搾取的性質は強まった。連合国軍が駐留し、比較的報酬の高い仕事が生み出された事から、貧しかった経済に現金が流れ込み、消費財需要が高まってインフレが発生した。

英国国民は価格統制や配給制度によって戦時インフレから守られていたが、植民地管理下の人々は守られていなかった。例外は中東で、中東補給センター(MESC)が地域内の通商と農業を再編したとする。中央組織が食糧や必需原材料を一括管理し、必要な場所に再配分。

<ドイツ>
米英とは異なり、人手不足が機械化によって解消される事は無かった。ポーランド侵攻の前から農民が都市に流出していたが、宣戦布告後、150万人が農村から軍隊に招集された。

空襲などにより、製造業の能力が低下し、19944年には農業設備製造が40%低下した。人手に頼る部分が多くなり、1941年秋には、ポーランド人等の強制労働者約250万人が、国内食糧栽培の20%程度を担ったとする。

⇒ドイツは東欧を食料供給源と計画していたが、実際には西欧の方が食糧生産効率が高かった。デンマークとフランスが戦時中のドイツに供給した食肉約152万トンは、ソヴィエト連邦が送り出した約73万トンより多い

ドイツの、ウクライナをドイツの穀倉地帯と見做し、西欧の占領国を短期の食糧源とした戦略が敗北の原因かもしれない。

<日本>
戦前の英国が重量比で食料の半分を輸入していたのに対し、日本は二割程度だった。しかし、貿易体制を維持出来なかったために飢餓が発生した。

英国では穀物輸入減少を補うために、畜産の一部を耕作に切り替えたが、日本は以前から耕作中心であり転換余地が小さかった。

一方で、国内に駐留する兵士数は1941年の100万人(米消費量:年間16万1000トン)から1945年の350万人(米消費量:年間74万4000トン)に増加した。兵士だけで国産米の半分を消費したとする。

****************

米国、西欧、日本では第二次世界大戦によって小作農社会が崩壊した。戦時動員で都会へ出た農村人口の大半は、戦後も農村に戻らずに工場労働者となり、戦後の経済復興を支える労働力となった。

日本とドイツは、生存圏を拡張する事で無く、市場経済に基づいた国際貿易に組み込まれる事により、食料不足を解消する道を選択する事となる。

第3部 食糧の政治学
戦争は栄養学の進歩とも関わっている。19世紀後半に食物が蛋白質、炭水化物、脂肪から出来ているという理解が成り立ち、1930年代後半には人間が必要とするカロリーの量と種類は年齢、性別、活動水準によって異なる事が判明した。

<日本>
栄養学を軍事に応用する試みがあり、1921年に兵食研究調査委員会が設置され、1920年代に兵士に年間13kgの牛肉が与えられた(当時の民間人の消費量は年間1kg)。

経理局衣糧課 丸本彰造の指揮下で、カレー、シチュー、唐揚げ、中華麺等が提供されたとする。日本食は地方毎に味の違いがあり、標準化された味を導入するには外国食が便利だった。

⇒戦争による供給減少により、兵隊食は質素になった

<ソヴィエト連邦>
第二次世界大戦によって亡くなった死者は全人口の15%、約3000万人とされるが、軍人は900万人程度とする。1942年~1943年にソヴィエト民間人が一日に摂取したエネルギーの平均は2555㎉とされ、英国やドイツより500㎉は少なかったとする。それまでの共産主義の失敗により、国民の多くが窮乏に慣れていた事が士気低下を妨げたと推測。

<米国>
第二次世界大戦において農業景気に沸いた唯一の国。軍需産業に成長によって賃金が増加し、戦前よりも労働者階級の肉消費量は17%増加した(富裕層は4%減少)。
他国よりも配給制度に慎重だった事から、栄養学者の影響力が限られたとする。それでもビタミンの必要性等は周知されたらしい。

多様な人種の国民を満足させるため、均質的な軍隊食が導入されるようになる。豊かな戦後世界が宣伝された事により、消費する権利のために戦う意識が生じる?

◉配給政策(英国とドイツ)
英国は配給は国民に平等に犠牲を払わせる制度としたが、食糧事情の厳しいドイツは効果的な分配を重視した。

ドイツでは、重労働を行う者に3600㎉、通常の消費者に2400㎉を配給した。英国では栄養学を導入せずに同一の分配を保証した。

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英国では、戦争によって上流、中流の食生活水準が低下したのに対し、労働者階級の水準は上がった。失業が減って賃金は上昇し、価格が統制されたため、肉や卵が入手し易くなった。

さらに栄養学の普及はビタミンやカルシウムの摂取量増大を齎した。

第4部 戦争の余波
第二次世界大戦後の世界は、1939年と比較して食糧総量が12%落ち込んだ。

その中で、唯一健全な経済を保った米国の地位が向上した。世界人口の1/3(8億人)が飢える中で、他国に食糧を供給し、米国製品が流通する国際市場が形成される。

余剰食糧を送られた第三世界は、1960年代の緑の革命を経過しても、先進国の保護主義政策により、農業生産物の輸出立国となれていない。

戦時中の日本と米国では、軍隊食が郷土食を避けて均質になるよう配慮されたが、この傾向が世界的に拡大される事になる(米食が日本食の中心食材となったのは、1930年代の大量徴兵により、米食に慣れた日本人が増大したため)。

世界各地に米国の料理が普及し、コカ・コーラやスパムが知られるようになる。米国の食習慣が世界中に広まる。

栄養学の普及も顕著であり、食料は身体に影響を及ぼす栄養素の総和と再定義された。それは加工された食品を過大評価する事にも繋がり、硬化油とコーンスターチの集塊を、低脂肪というだけで健康食としてしまう事に繋がる。

加工食品に依存した現代の食生活は過大な肥満の原因となり、肉や乳製品の需要増大は食料資源圧迫の原因となる。

混乱期においては自由市場は頼りにならず、国家による統制経済と配給制が施行される事になるが、これから食糧危機が発生した場合、社会の結束を守る圧力が各国政府にかかるかもしれない。

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