T・S・スピヴェット君 傑作集

読んだ本の感想。

ライフ・ラーセン著。2010年2月10日 初版印刷。



【あらすじ】
2000年代の米国が舞台。主人公は、米国北西部モンタナ州の牧場に住む12歳の少年。緻密な図を描く能力を持ち、それを雑誌等に寄稿している。

ある日、主人公に彼がワシントンDCのスミソニアン学術協会に送った図がベアーズ賞を受賞したという連絡がある。彼は成人と勘違いされており、スミソニアンでの基調演説を依頼される。

主人公は、自分に無理解な家族に黙って米国東部のスミソニアンに行く事を決意する。西部から長距離貨物列車に無賃乗車して、東部のスミソニアンに辿り着き、基調演説を行うものの、自分を広告塔として利用する大人達の思惑に気付き、父親と一緒に西部の故郷に帰る事になる。

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入れ子構造の物語だと思う。

物語の本筋の他に、膨大な脚注がほとんどのページに掲載されている。主人公は、弟の死等の重要情報を脚注の方に記述する事があり、何というか立体的な構造になっていると思う。

P46~P47:
小説というのは、図に描くには厄介なしろものだ。つくりものの風景が、現実の世界をそっくりそのまま図にするという重圧からの避難所を提供してくれることもないではなかった。けれども、そういう現実逃避は、常に、むなしさのようなもので中和された。ぼくには、フィクションの作品を通じて自分を欺いているのがわかっていた。おそらく、現実逃避の喜びを、欺瞞の自覚と釣りあわせることが、なぜ小説を読むかのいちばんのポイントなのだ。しかし、ぼくは、現実と創作を同時に、うまくぶらさげることがどうしてもできなかった。たぶん、同時に信じもするし、信じもしないという綱渡りをするためには、大人である必要があったからだろう。

⇒この言葉が本作品の肝であるような気がする。メガテリウムクラブ等の空想上と思われる機関の存在といい、作品は何かを暗喩しているが、それが何なのか分からなかった

〇ドクタークレアの小説
主人公は、旅の途中で母の部屋から失敬したノートを読む。その中には、母の書いた小説?が書いてある。主人公の父の祖母であるエマ・オスターヴィル(地質学者)の伝記という形態を取る。

主人公の母親は昆虫学者であり、女性でありながら学者をしている事による自らへの社会的非難をエマ・オスターヴィルに投影している?

主人公は、牧場主の父親と学者の母親が異なる型であるのに結婚している事を不思議に思っている。

父:テカムセ・イライジャ・スピヴェット
牧場主をしている。道徳基準はキリスト教。不言実行で不器用。

母:クレア・リネカー・スピヴェット
昆虫学者をしている。世界を限りなく小さい、おそらく存在しない部分でしか見ない人間と評されている。

主人公は、父の望むような牧場主になるのか、母のような学者になるかで揺らいでいるように思える。後半になって、主人公が両親は死亡し、モンタナ州立大学教授 テレンス・ヨーンの養子になったと名乗るのは、そのためだと思う。

ドクター・クレアの小説は、エマがヘイデン調査隊に同行し、「お水、ありませんか?」と問い掛ける所で終わっている。結局、彼女が牧場主と結婚した理由については直接的には語られていない。

〇主人公が旅路の途中で会う人々
多分、何かを暗喩している。

①トゥークラウズ
小柄な放浪者。インディアンの血統であるらしい。マツの木が冬に雀を保護したために、神によって冬季も葉をつけていられるようになった話をする。主人公に、ホーボーホットラインとして、流れ者のために列車の運行情報を流す電話番号を教える。

②ジョサイア・メリーモア
主人公がシカゴで遭遇する大男。自らを尊師、預言者、主と名乗り、主人公を救うために殺すといい胸に傷を負わせる。主人公に刺されて水没するが、死んではいないらしい。

⇒多分、何かを暗喩しているキャラクター。登場があまりに唐突だったため、とても不自然

③リッキー
トラックの運転手。人種差別的だが好人物と描写されている。主人公をシカゴからワシントンDCまで連れて行く。

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都会と田舎、宗教と科学、大人と子供、etcと様々な分断を描いた物語のようにも思える。

物語の形態は、T・S・スピヴェットが書いていると見せかけて、誰が別の人間が書いたのではないかと思わせている?

ドクター・クレアが、自分の心情をエマに投影したように、この物語自体がファンタジーであるのかもしれない。

P196~P197:
理論の上では、どちらの分野も―宗教も科学も―自然と対立するものではない(中略)それが普及に成功している理由だ。(中略)わたしの疑問はだれ、一つのテキストがあるなら、どうして、それを改訂しつづけないかということだ。テキストというのは、本質的に進化するものなのだ」
「でも、最初から正しかったらどうなの?」エマは尋ねた。「シスター・ルシールは、聖書は神の言葉からきているから正しいんだっていってるわ。神がモーセに直接お話になったんだからって。それで、神が造物主なら、どうして神が間違ってるの?」
「正しいなんてものはないんだ。ただ、それに近いものがあるだけだ」

P220:
才能ある人間は、自分の流儀を貫くようになる。彼らの知力は頑固さによってしか担保されないのだ。

P222:
わたしたちはしばしば゛進歩″と称する油断ならない生き物を追いかけてきたが、その途中で道徳性が失われてきたように思われるからね

⇒この辺りの記述は、多分、キリスト教について何か言っている

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