正常と異常を分かつ物語

読んだ本から。

正常から外れた異常は低い存在と見做される。

異常は不完全であり、見ている分には楽しいが、話し相手ではないし、会話能力にも欠けるとする。異常を観察するのは正常であり、正常は異常者を教化、訓育して理性化する権利があるとしている。

ほとんどの虐待は憎悪からでなく、躾が高じて発生する。正常者の命令に従わない異常者は罰せられるべきなのだ。

その背景にあるのは、理性的精神を貴ぶ社会であり、現代社会には参加者全員が健全な理性を持っている前提がある。理性礼賛が大勢となる時、禁忌が暗黙に設けられ、排除の論理として現れる。

正常な行動とされるのは、人間社会が無意識的に作り上げた約束事、社会コースに外れない行動である。奇声を発しながら机上を歩き回れば異常者とされる。或いは会社に真っ赤なスーツで出社すれば正気を疑われる。本質的な根拠は無いが、社会生活を円滑に進めるための約束事がある。

正常とされる生活は、約束事を守るために精神を抑圧する事を基本としている。

多くの人間が互いに意思疎通するためには、抽象的な外的環境である世界について共通の了解が必要である。哲学は、世界について観測者が人間である事を前提にしている。

以下は、理性を前提にした時に現れるもの。

①マニュアル
様々な行動を、何時でも誰でも出来る事として文書化する。文書に従えば、誰でも一定の目標に到達出来る事になる。精神を方法化して、技術を理性を持つ全ての人々に開放する。

②単線的な因果理解
世界に存在する事実には、それに対応する原因が先立って存在すると考える。線形的な因果理解は直線的時間観念と関わっている。輻輳的な関係性や確率論的理解とは馴染まない。

③二者択一
大勢の人間の意見を二つに集約して、単純な対立に置き換える。優勝劣敗の原理に則る。思考過程から余計な要素を除去し、単純な原理に従えば真理に到達出来る事になる。

様々な要素が存在する中で、手続きによる取捨選択を経て、確実性の高い多数で全体を代替する。確実性の低い要素は少数者として排除される。

多数者が横暴でないと考えるのは、理性による楽観的信頼の現れである。

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