全てが僕になるまでに

読んだ本から。

不具は一つの差異を表現し、模倣の誘惑を生む。

例えば、子供達の集団内にどもりの子供が存在すると、他の子供達はその真似を始める。そして、真似はからかいから迫害へと変わっていくはず。

あらゆる物語の本質はそこにある。

全ての物語において、悪役は後から来た異邦人であり、そうでなければ他とは異なる差異を持つ存在。

物語は現実を反映しており、悪役は様々な集団内で嬲り者にされる者が持つ特徴を持っている。同一種の動物が集まって群れを構成する時に、迫害されるのは群れの一律性から外れた動物。若過ぎる、あまりに年老いている、或いは他の何らかの理由で規律正しく動く事が出来ない。

劣位と見做された者達は他の部分と区別され、根絶しなくてはならないとされる。地上の天国の実現は、罪人を消去するか強制的に転換する事によって可能になるとする。

不思議な事に、消去し転換する方法として、必ず根絶すべき犠牲者の方法論と目されているものが採用される。憎むべき者であり、消し去らなければならない悪なのに、それを根絶する方法は悪役と同じもので無ければ納得されないのだ。

それは環境が変化していく時に顕著だ。変化の中で自分が消えていく。どこかの知らない誰かになってしまう。そんな気持ちの悪さに対して、誰もが前に進まず、後退する事を選ぶ。安心したくて、知っている自分に戻ろうとする。

そのために劣位にある者。自分よりも後退している者を模倣する。模倣は強力に人々を誘惑し、劣位にあるはずの者が集団の基準となっていく。

*****************

昔から疑問に思っていた事がある。

人間は自由なようでいて自由でない。行動や思考には定められた規則があり、その枠の中でしか動けない。

規則の一つは模倣だ。憎むべき存在が生まれた時、どのような人間もそうした存在に汚染され、自分が汚されたのと同じ方法で報復しようとする。

僕が存在する事で引き起こされる他の人々の行動は気味が悪いくらい同じだ。それは僕が周囲に与える印象が同じものである事を示している。

僕が存在する事で、周囲の人間全て僕に感染していくのかもしれない。自分中心の世界観だとそうなる。劣位にある場合、周囲から汚染されない。自分より上位にある者を完全に模倣する事は不可能だからだ。

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