ドストエフスキーの展開する超人哲学のルーツ

以下は、「『大きな物語が終わった』というのは大きな物語ではない」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1687.html

ドストエフスキーの「超人哲学」では、人類を凡人(服従的である人間)と超人(現状を破壊し、より良いものを実現する人間)に二分割する?超人は常識に反抗出来るとする?

以下は、『暴力はどこからきたか』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2545.html

『暴力はどこからきたか』を読んでいて、ドストエフスキーを思い出した。

序列が崩壊したゴリラやニホンザルの群れではドストエフスキー的状況が現出する。

年配のゴリラが多く死ぬと、若い雄ゴリラ達が雌を取り合って争い、他の雄の子を殺す事で雌を発情させる。

ニホンザルの群れにおいては階級が存在し、新参者ほど下位にある。序列を覆す行動をする新参者は群れ全体から攻撃される。それでは、新参者が群れ全体よりも強ければ何が起きるのか?その時、新参の猿は「超人」であるのかもしれない。

そして、ほとんどの猿にそれは出来ない。序列が崩壊した葛藤を自分よりも弱い存在を攻撃し、自らを被虐待者から虐待者に転化する。攻撃は自分よりも劣位な存在に向けるしかないし、それによって自分の階級を上げる事が出来てしまう。

ドストエフスキーの展開する超人哲学のルーツは、遥か太古の人間以前の段階まで遡るのかもしれない。

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