帝国の構造

読んだ本の感想。

柄谷行人著。2014年7月31日 第一刷発行。



第1章 ヘーゲルの転倒とは何か
1 なぜヘーゲルの批判か
著者の書いた『世界史の構造』の目的は、ヘーゲル哲学を唯物論的に批判する事。

「歴史の終焉」はヘーゲルの思想。資本=ネーション(民族)=ステート(国家)の体制(資本主義による階級格差を、国家による援助で緩和する体制)が基本的システムとなり、そのシステムが変化しない事を指す?

「歴史の終焉」を否定するためには、資本=ネーション=ステートという三位一体を超える思想を用意する必要がある。

以下は、ヘーゲルの『法の哲学』による進歩段階?

感性的段階:自由
市民社会(経済)が提示される。

悟性的段階:平等
市場経済が齎す不平等を是正する存在として国家が見出される。

理性的段階:友愛
友愛がネーションによって見い出される。

⇒ヘーゲルの思想では、上記の理性的段階に至った後は、「歴史の終焉」として根本的な体制変化は発生しないとする

2 マルクスによるヘーゲル批判の盲点
マルクスによるヘーゲル批判について。

マルクスは、ヘーゲルの法哲学を観念的として批判した。政治を上位存在としたが、実際にはそれらは経済によって規定されているとする。

マルクスは、経済的構造が変化すれば、国家も自動的に消滅する、また、国家は共同幻想にすぎないので啓蒙によって解消出来ると主張した。そのため、共産革命では資本主義を廃棄すれば国家は自動的に消滅するため、一時的に国家権力によって資本主義を廃棄する事になるが、実際には国家がより強化される事となる。

さらに、マルクスは、ネーション(民族)は資本主義的階級対立に根ざしているので、それを解消すれば消滅するとしたが、現実にはファシズム(ナショナル社会主義)が発生した。

そこで、マルクス主義者は、国家の相対的自律性を強調するようになり、下部構造(経済)は軽視されるようになる。国家を上位構造と見做す事は、それを幻想とする事である。

しかし、著者は、国家やネーション(民族)は啓蒙によっては解消出来ないものであり、経済的土台に根ざしているとする。

3 生産様式論の限界
マルクスは、社会構成体の歴史を「生産様式」から定義した。生産手段を有する者の観点から歴史を見る。

氏族社会:
生産手段が共有されている。

封建制:
領主が生産手段を保有している。

資本主義:
資本家が生産手段を保有している。

上記は、ヘーゲルが「歴史哲学」で述べた事を唯物論的に言い換えただけとする。ヘーゲルは、世界史を一人だけが自由である状態から、万人が自由である状態への発展過程とした。マルクスは、ヘーゲルの段階論を受け継いでいる。

著者は、経済的下部構造と政治的上部構造という見方は、資本主義社会を分析する枠組みであり、それを資本制以前の社会に適用する事に無理があるとした。

著者は、『資本論』を資本制経済解明の書として、信用の問題を記述するために交換様式という観点があるとする。

4 交換様式の導入
交換を経済の基礎的土台として考える。以下の四つの型。

A:互酬
贈与と返礼。

B:略取と再分配(支配と保護)
国家の基礎。被支配者が支配者に服従する事で保護を得る。

C:商品交換(貨幣と商品)
商品経済。

D:普遍宗教(世界共和国)?

****************

国家は根本的には、交換様式Bであり、恐怖による支配によるが、交換様式Cの浸透により社会契約を重視するようになり、それが近代国家の観念とする。

交換様式Aは、交換様式Cの浸透の下で解体され(共同体の崩壊)、想像的にネーション(民族)が構築される事で共同体が再構築される。

さらに、交換様式Dは、交換様式Aを高次元で回復するとする。互酬的=相互扶助的関係の回復。それは願望でなく、義務として生まれるとする。

5 社会構成体と交換様式
社会構成態は、四つの交換様式の接合からなるとする。

氏族社会:
交換様式Aが支配的。

国家社会:
交換様式Bが支配的。専制国家(交換様式B)が、農村共同体(交換様式A)と都市の商工業(交換様式C)を統制する。

資本制社会:
交換様式Cが支配的。専制国家(交換様式B)は兵役や課税に変形され、農村共同体(交換様式A)はネーション(想像の共同体)に変形される。

上記を超える社会を交換様式D = カントが「世界共和国」と呼んだ体制とする。

6 前後の転倒
マルクスがヘーゲルの理論を解釈した時に生じた問題。

自らの主張する社会構造を必然と主張出来るか?

以下の2つの意見。

カント:
未来は予想の対象である。しかし、人間の理性は目標となる幻想(理念)を必要とする。

ヘーゲル:
現実こそ理念であり、歴史は終わっている。現実を受容するべき。

マルクスはヘーゲルを否定し、現在は終点ではないとした。しかし、自らの理想とする社会体制を、カントのような幻想的理念でなく、必然としたい。

ヘーゲルは現在が最終段階とした(事後の立場)が、マルクス思想は未来の社会体制を先取りし、それを人々に強制する権力を生み出す事になる(事前の立場)。

7 未来からの回帰
マルクス思想では、ヘーゲル(現在が最終段階)を批判し、且つ、共産主義が理念とならないように、歴史的必然によって共産主義が実現するという唯物論を主張した。

著者は、政治という上部構造が未来を予見する能力を持つという思想に無理があるとする。それでは、下部構造である経済を軽視する事になる。

そこで、下部構造である経済を「交換様式」で把握する。交換様式ならば、道徳や宗教も定義する事が可能とする(罪の意識は債務の意識)。

第2章 世界史における定住革命
1 遊動的狩猟採集民
交換様式A(互酬性)の起源について。

以下からなる。

①贈与する義務
②贈与を受け取る義務
③返礼の義務

遊動的狩猟採集民社会には、上記の原理は無かったとする。現存する漂白バンド社会には共同寄託はあるが、互酬擲交換は無い。絶えず移動する社会では、得た物を平等に再分配する純粋贈与が行われ、互酬的贈与が無い。互酬が成立するには、定住し蓄積する前提が必要になる。



共同寄託は世帯内部での行為であるが、互酬的高官は世帯間で機能する。氏族共同体を超えた連帯を創り出す原理。

2 定住の困難
定住における以下の困難。

①対人関係
遊動的社会では、出入りが自由であるので、対人的な葛藤を出ていく事で処理出来る。多数の氏族を共同体として統合するには、人々を固定的に拘束しなければならない。

②死者との葛藤
万物に霊魂があるという思想は、死霊という思想と結び付く。定住者は使者の傍で共存しなければならず、死者を祖先神といて仰ぐ組織を作り出すとする。

著者は、定住の契機を漁業とする。漁業は簡単に持ち運び出来ない漁具を必要とする。そして定住は備蓄を可能にし、不平等が始まる。

農業や牧畜も定住が前提にあり、定住する事により様々な変化が生じる。

互酬制は、贈与交換を強制する事により、富や権力の不平等を解消する原理とする。

3 互酬性の原理
互酬は共同体間の紐帯を作り出すだけでなく、権力や富の集中を妨げる。

⇒国家形成を抑止する

互酬原理は平等を実現するが、遊動的社会にあった自由を否定する(個人を共同体に結び付ける)。

4 定住革命
定住により、農耕や牧畜が可能になった事について。



5 互酬制の起源
互酬制システムの起源を神の命令を持ち出さずに説明出来るか?

フロイトは、部族社会における氏族の平等性(互酬制)を「原父殺し」に見い出そうとした。



定住化によって「国家」=原父が生じる可能性が生じ、それを妨げるのがトーテミズムである。トーテミズムとは、予め原父殺しを行い、それを反復する事。経験的に存在しないにも関わらず、原父殺しが互酬制を支える原因になる。

ある者が首長であるためには、贈与しなければならず、贈与していると富を失い、贈与出来なくなる事で一定以上の権力を持てなくなる。贈与の義務が王(原父)を妨げる(殺す)。

それはかつての遊動的社会にあった平等を取り戻す試みであり、それ故に反復強迫的である。

6 遊動性の二つのタイプ
牧畜と狩猟は異なるとする。

農業が原都市で始まったという意見。



牧畜も原都市で始まったという意見がある。



以下が、狩猟と牧畜の違い。

①搾乳
②去勢

上記の技術は様々な情報が交換される原都市で生じたとする。やがて遊牧民は原都市を出て、狩猟採集民にあった遊動性を回復するが、狩猟採集民とは異質である。

彼等はしばしば結束して農耕民社会を服属させる。それは恐怖に強要された契約である交換様式Bとなる。国家が成立するには、外部からの征服という契機が不可欠。

恒常的に戦争の危機があるからこそ、首長が恒常的に権力を持った王となる事が承認される。

***************

<山地民>
焼き畑狩猟民。一度は定住した後に山地に向かった人々。狩猟採集民と違い、定住民と交易する。



メソアメリカでは、山地民が定住農民を征服して国家を作ったという。定住以後に生じた遊動性は、定住以前にあった遊動性を真には回復しない。国家と資本の支配を拡張する。

柳田国男は日本にも山人が実在するとした。



第3章 専制国家と帝国
1 国家の起源
マルクスによる以下の方法論。

①資本論:
資本主義経済を解明するために、「商品交換」が「貨幣交換」に転化し、自己増殖する貨幣としての「資本」に転化する過程、それが全生産過程を組織する過程を捉えようとした。

⇒資本主義経済を、交換様式の発展によって組織されたシステムとして把握する

⇒資本主義経済は信用の体系

②国家論
国家を、経済的下部構造としての生産様式の上部にある共同幻想とした。

政治と経済を明瞭に分離可能なのは、近代資本主義経済が成立した後だけである(交換様式C成立後)。交換様式Cが始まるには、交換様式Bが成立している前提が必要になる。それらは個人間でなく、共同体間で始まる。

契約不履行を処罰する機関が無ければ、商品交換は成立し難い。

2 恐怖に強要された契約
絶対王政は、交換様式Bを国家が独占し、交換様式Cの円滑な実施を支援する。

個人間の自由な取引の背景には、国家による恐怖がある。

3 帝国の原理
国家は多数の共同体を抱えており、共同体を支配する契機を必要とする。

帝国も多数の国家を統合しており、そのために以下の原理を持つ。

①法
諸国家間の交通・通商の安全を確保する国際法
②世界宗教
それぞれの民族を統合する普遍宗教。さらに国境があっても宗教的に寛容でなければならない。
③世界言語
音声言語を超えた文字言語等。

4 専制国家と帝国
専制国家とは、交換様式Bによって、交換様式A、交換様式Cを制圧するシステムである。

そのためには、上位下達システムである官僚制と常備軍が必要である。それらは互酬性原理の強い社会では成立しない。王朝が変わっても官僚制と常備軍というシステムは維持される。

以下は、アジア的専制国家に対する誤解。

①暴君
支配の正統性は、民の保護である。
②強固な支配
宗教、姻戚、官僚等が支配に必要である。

アジア的専制国家では、各人は自治的共同体の一員であり、共同体によって拘束される。王は共同体の所有者であるが内部には介入しない。自治によって支配する。

5 帝国と帝国主義
帝国は、交換様式Bが優越している世界システムで形成される。

帝国の周囲では、集権的国家に対する互酬原理が強く残り、中心に従属するか選択的態度が可能な周辺部を亜周辺と呼ぶ。世界経済は、世界帝国の亜周辺で成立する。

そこでは、王や領主、教会が抗争し、帝国のように広域圏を支配しても、帝国主義でしかない。帝国は交換様式Cが優位にある世界システムでは存在しえない。

以下の問題。

①多数の民族を統合する原理が無い
②帝国主義である

帝国主義は、国家の拡大としてある。帝国は、服従すれば同化する必要が無いが、帝国主義は交換様式Cに基づく同化を要求する。交易の自由があれば、略奪しなくても利益を得る事が出来る。

帝国の膨張が交換様式Bに基づくのに対し、帝国主義の膨張は交換様式Cに基づく。

6 ペルシア帝国とローマ帝国
ローマ帝国の帝国原理は、ペルシア帝国に起源がある?

ペルシア帝国には他民族を包摂する帝国の原理があったとする。ローマ帝国が崩壊した後、アジア帝国の中心部に位置した東ローマでは官僚国家体制が継続し、亜周辺に位置した西ローマでは在地有力領主層が競合し合う状態が継続した。

それにより、西欧州では自律的な都市が栄え、交換様式Cの優位が成立したとする。

7 ヨーロッパと帝国
西欧州では、教会が統合原理として帝国形態を与えた。帝国でもキリスト教を利用するようになる。普遍宗教は帝国から生まれた。帝国形成が無ければ、諸民族は孤立的に散在して、各々の神を信じていたはず。

第4章 東アジアの帝国
1 秦帝国
殷西周は都市国家の連合体であり、互酬性原理が強く残っていたと思われる。

対して、秦は黄河、長江の二大文明を統合する帝国であり、互酬性を代替する思想を必要とした。

①儒教
老子が説いた「無為」は呪力、武力による強制の否定を意味する。また、孔子は暴力による統治を否定し、礼と仁による統治を唱えた。

②法家
権力を恣意的に乱用する権力者を法によって抑える。

商鞅は、氏族(世帯共同体)を家族に分解し、小農を単位とする社会を創った。それにより、税と徴兵を確保した。秦の政治は、交換様式B(血縁関係を超えた法による支配実現)を貫徹し、それが交換様式Cの発展を齎した。

官僚は非人格的な法に従い、旧来の互酬制に基づく権力と対峙した。法は、互酬性に基づく報復の連鎖的増幅を禁じた(等価交換の承認)。

2 漢帝国
漢王朝では、長安周辺には官吏を派遣する事で支配し、その他の地域には功臣を封じる事で支配する折衷的な郡国制を行った。

交換様式A回復による交換様式Bの補完。

そして、儒教を帝国原理とした。以下の意味。

①統合
様々な社会を包摂する原理。文化規範があり、それを受容すれば各地の多様性は許容される。華夷秩序は、文化度合いに基づく差別であり、異文化を包摂可能。
②正統性
天命の観念により、王朝を正統化した。
③官僚制
儒教を学ぶ場は、官僚養成所となった。

天命に基づく易姓革命は、血統と異なる正統性を提示し、異民族の征服者であっても安定や繁栄を齎せば支配に正統性がある事になる。

3 隋唐帝国
隋唐は、遊牧民が作った王朝であり、遊牧社会と農耕社会の統合を模索した。

秦漢王朝が解体した氏族共同体を再建するために、孟子が提唱した井田法(土地の私的所有と公的所有を組み合わせた)が北魏から行われ、集権制が志向された。仏教が国教となり、僧侶が官僚となる。

その後を継いだ宋では国際的文化が消えるが、農民が土地所有によって勢力を伸長し、科挙の受験資格が全人民に与えられた。宋は帝国とは言い難い。

宋は、遊牧民が作った唐から漢民族的要素のみを取り出そうとしており、朱子学(気と理の二元論)では夷荻に正統性が無いとして、漢民族のみを正統とした。

4 遊牧民の帝国
唐の課題を受け継いだのは、宋ではなく契丹とする。

遊牧民の多くは略奪に終始し、持続的な国家を形成出来なかった。遊牧帝国は、中央に彼等を脅かす帝国がある時のみ成立したが、隋以降は漢の文化を受容して国家形成を目指す事になる。

5 モンゴル帝国
モンゴル帝国の天命は、唐に由来する広範な通商を可能にするシステムを創り出す事であったとする。

モンゴルの軍事力は、騎馬民族の軍事力と、漢民族の技術を結合したものであり、また、海上も組織する事で大規模な通商網を構築した。

6 モンゴル帝国以後
モンゴル帝国では、中央集権制と部族連合を組み合わせた。

それ以前の漢や唐等は、中央集権的であったが、周辺部の遊牧民族を抑える事が出来なかった。モンゴルでは、各地の専制国家を互酬性によって統合した。

<アッバース朝>
ペルシア人の支持を取り付けるために、アラブ人の特権を否定して、ムスリムの平等な権利を認めた。やがてモンゴル帝国に敗れ、モンゴルがイスラム化して帝国を引き継ぐ事になる。

モンゴルに敗北した事を説明するために、以下の思想が生まれた。

①サラフィー主義(原理主義)
マホメットの教えを忠実に実現せず、ムスリム共同体が堕落したために敗北した。
②シーア派
イスラム初期の状態を理想化。
③神秘主義スーフィズム
個々人と神が合一するため、法学者や神学者、教団国家は不要とする。

第5章 近世の帝国と没落
1 ロシア・オスマン・ムガール帝国
近世の帝国は全てモンゴル帝国に由来する。

◎ロシア
交易中心都市キエフが、1238年にバトゥー・ハーンに征服され、以後、250年間統治される事で中央集権的体制が確立された。1480年に、モスクワ公国がキプチャク・ハーン国を滅ぼした事がロシア帝国の始まり。

モンゴル帝国による交換様式B(服従と保護の交換)を受け継ぐ。

◎オスマン帝国
支配者の称号は、スルタン(イスラム法の守護者)、シャー(セルジューク朝の継承者)、ハーン(モンゴル帝国を受け継ぐ)とする。帝国の原理で支配された(信教の自由、奴隷軍人制度等)。

◎ムガール帝国
支配者はイスラム教徒であったが、宗教を強制しなかった。しかし、ムスリム支配による不満のはけ口として、旧来の社会慣習が強固になったとする。

◎清朝
モンゴルとは異なり、海上通商路を持たなかった。また、チベット・モンゴルを超えては拡大していない。閉鎖的ではあるが、モンゴル帝国より安定した。

2 帝国の衰退
世界帝国は西洋列強の下で没落していくが、その境目を1800年頃とする。

3 ヨーロッパの世界=経済
世界経済は、世界帝国の亜周辺(影響を選択的に受け取る地域)にあった。

世界帝国の中心都市は政治が決定したが、世界経済の中心都市は競争によって絶えず移動する。

4 帝国の「近代化」
1800年頃を境に、衰退した世界帝国を世界経済が侵食するようになったとする。

以下は、帝国側の対応。近代国家は、帝国の存在しない地域で成立したシステムであり、帝国がその諸原理を適用するには無理があったとする。

◎オスマン帝国
1808年に即位したマムフト二世の改革等。

他民族を一つの国民に統合するために、ナームク・ケマル、ズィヤー・パシャは「新オスマン人」という概念を提唱した。最初期のイスラム国家は議会制を採用しており、イスラム法によって西洋に対抗出来るとした。



しかし、1876年に発布された憲法で全国民が平等になると、それまで非ムスリムが人頭税を支払って信教の自由や兵役免除が行われた事が無くなり、かえって不平等になった。



◎清朝
革命運動は、漢族ナショナリズムに訴えるものであったが、やがて清朝全体を受け継がなければ、中国における革命の正統性が無い事になる。1911年の辛亥革命で、孫文は「五族共和」を訴えた。彼の提唱した「国族」の概念は、「新オスマン人」に対応する。

5 オーストリア・ロシア
19世紀以降、帝国の保護を受けていた帝国周辺部が西洋列強に植民地化されるようになる。そのために「民族自決」のイデオロギーが提唱された。帝国を解体し、分散した民族を支配する。

◎オーストリア・ハンガリー帝国
オットー・バウアーが、オーストリアの枠組みを維持するために、文化的共通性という観点から民族を規定した(多民族が入り組んだオーストリアの状況に合致した理論)。
それをドイツのマルクス主義者カウツキーは批判し、民族は言語共同体、地域共同体と主張した(西欧の状況に合致した理論)。

◎ロシア
スターリンは、上記のオーストリアにおける議論を参考に、バウアーの観点を取り入れた民族論を展開した。ロシア帝国時代には、近代まで多民族が同等の権利を持っていたが、近代国家特有のナショナリズムが生じる事で、少数民族が弾圧される事になる。

6 中国
毛沢東は、マスクス主義に反し、農民による革命を考えた。中国では王朝の交替期に農民による反乱があり、均分化を掲げる新たな皇帝が出現する。

以下の政策的特徴。

①土地政策
それまでの王朝が試みた土地公有化の伝統継承。
②多民族統治
清朝における藩部を継承し、そのまま自治区とした。

著者は、中国で自由主義的体制が出来た場合、少数民族が独立するだけでなく、漢族も地域的諸勢力に分解するとする。分解して近代的国民国家が出来ても正統性が無いとしている。現代では、世界規模で広域共同体が出来ており、中国でも国民国家の観念を超えるべきとする。

第6章 帝国と世界共和国
1 帝国と神の国
西欧には帝国が存在せず、封建制は交換様式Aの互酬性と交換様式Bの主従関係を合わせたものとする。
国家は統合されておらず、教会としての同一性があった。やがて宗教改革によって教会が解体されると、主権国家(絶対王権)が現れる。



以下の2つの定義。

① 自立
主権は対外的に宗教的権威に対しても自立している。
② 優越
主権は体内的に全ての権力に優越する。

そして、主権国家は、他の国家の主権性を認めるべきとする。この観念が一般化したのは、主権国家でなければ侵略して良いという含意を含み、また、帝国の勢力域に主権を与える名目で征服する方便があったためとする?

2 ヘゲモニー国家
ヘゲモニー国家:
世界経済において、他国を圧倒する強い国。

世界経済においては、ヘゲモニー国家が絶えず交替する。



ウォーラーステインは、ヘゲモニー国家は自由主義的な政策を採用し、他の国は保護主義的になるとした。自由主義的な段階ではヘゲモニー国家が優越しているため、それは問題にならない。衰退すると、次のヘゲモニー国家をめぐる争いが起こる(帝国主義的段階)。

現代においては、1970年代に米国のヘゲモニーが揺らぎ、新自由主義政策によりヘゲモニーをめぐる帝国主義的争いが発生した。

3 歴史と反復
帝国主義的な時代はヘゲモニー国家不在を特徴とする。1990年代以後の新自由主義時代は、1870年代以後の帝国主義の時代と類似する。

1870年代に旧世界帝国が存在していたように、1990年代にそれが新たな広域国家として復活してきている。

しかし、以下の問題から中国やインドがヘゲモニー国家とはならないとする。

① 資源制約
② 人的資源制約
⇒中国とインドの農業人口が都市化すると、資源を過剰消費し、また、消費増加が困難になる

4 諸国家連邦
カントは、世界共和国の理念を提示した時に、その前段階として諸国家連邦構築を説いた。

諸民族合一国家では、実力による統制になるが、諸国家連邦ならば自律性を留めたまま徐々に国家間の自然状態を解消出来るとする。

5 自然の狡知
カントの世界帝国は、ライプニッツ、アウグストゥスの『神の国』を再構築しようとしたもの。神への愛 = 隣人愛によって成立する社会。

アウグストゥスの『神の国』は地上的平和を実現する事によって得られ、諸民族の差異が廃される事は無い。

カントは、アウグストゥスのキリスト教を代替する概念として理性を提唱し、自然が人間に与えた素質とした?非社交的社交性の概念。利己心の結果として交易が拡大し、簡単に戦争が出来なくなる等。

6 自然と歴史
カントの原理を交換様式から考えると以下のようになる。

地の国(自己愛に基づく):
交換様式B、交換様式Cに立脚する社会構成体。

神の国(隣人愛に基づく):
交換様式Dに基づく社会構成体。

カントが提唱する義務は、「他者を手段としてだけでなく、目的としても扱う」もので、交換様式Dは、このような自由の相互性とする。

交換様式Dは、交換様式Aの高次元での回復である。贈与の連鎖的拡大による平和状態?

第7章 亜周辺としての日本
1 周辺と亜周辺
日本は中華帝国に対する亜周辺にあり、中華の制度を選択的に受容出来たとする。

日本では、7世紀頃から律令制の根幹として公地公民制が実行され、やがて形骸化したが、律令制は廃棄されないまま残った。

武家政権に至っても律令制は武家の法を根拠付けるものとなり、明治維新(王政復古)も形式的には律令制に基づく。

律令制は、隋唐王朝の時期に周辺領域に広がった。その根幹をなす均田制は、国家が土地を所有し、農民に分配し、租庸調を確保するもの。

これは孟子が理念化したものの、遊牧民が作った北魏において開始された。周辺に始まる制度だから、周辺部族にも広がったとする。

2 ヤマトとコリア
日本の律令制は、コリアやベトナムと比較すべきとする。

大和朝廷における律令制思考の契機は白村江の戦い(663年)の敗戦で、冠位二十六階制定はその翌年である。

日本の律令制は、官位令はそれまでの貴族システムを言い換えただけであり、公地公民制もそれまでの共同体を言い換えただけである。

周辺であるコリアとの違いは、帝国との関係にあり、遠く離れた亜周辺である日本は、689年の飛鳥浄御原令で、王の称号を天皇としても、702年に則天武后は不問に付したという。日本は中華帝国の圏外と見做された?

3 皇帝と天皇
律令制は、互酬的な人格関係に基づいた支配を、官職と位階を媒介とする非人格的な関係に変容させたとする。合議で決められた首長から専制王権への変化。

しかし、大王の時代の制度も保持され、701年の大宝律令では、祭司を管掌する神祇官が設定され、行政権力である太政官の上に置かれた。

これは中国の律令制にはないもので、天皇は権力の中心でなく、権威(祭司)として位置付けられた。

この事は日本の天皇は血統による正統性に基づいており、天命に依拠する中華皇帝とは異なる事を意味する(王朝交替を前提にしない)。

逆に、天皇自身が正統性の根拠となり、交替する権力者を法的に正統化する事になる。武家政権の権威も律令制に依拠し、例えば、1232年に制定された「貞永式目」は、律令制に依拠しつつ、それが及ばない私有地の管理をするものだった。

一方、コリアにおいては、新羅の滅亡や高麗王朝の成立等の易姓革命が発生しており、儒教的観念を強める事象があった。高麗では科挙が始まり、文官が圧倒的に優位になる。武臣政権が生まれるも、やはり尊敬されるのは文官で、日本とは対照的とする?

4 官僚制と文字の問題
日本では、律令制導入にも関わらず、官僚制国家が成立しなかった。

対照的に、コリアでは高麗王朝から科挙に基づく官僚体制が確立された。

それは周辺、亜周辺の問題だけでなく、文字の観点からも説明出来る。官僚制は、官僚が文字を独占している事に基づいており、日本では8世紀頃から表音文字の仮名が生まれた影響があるとする。

15世紀に朝鮮王朝の世宗が、ハングルを公布するが、官僚の抵抗により、公的な場では使用されなかった。

日本では官僚制が弱かったために万葉仮名が普及したとする。

5 漢字と仮名
中国周辺部では、漢字習得が困難であり、文法的にも異質である事から、表音文字が作られた。パスパ文字(モンゴル)、ハングル(朝鮮)、チュノム(ベトナム)等。

日本では、漢語を特権的に使用する官僚支配が無かったために、仮名が支配層にも普及したとする。日本では漢字を選択的に取り入れたために、コリアのように漢字を廃止せず、ベトナムのようにアルファベットを採用する事も無かった。

日本における漢字は内面化されており、公的、論理的、難解を表現する。対して仮名は、心情、感覚的、平易を表現する。

日本文学の特徴を、美的、直観的、断片的として、普遍的理念が無いとするなら、それは亜周辺性によって規定されているから?

6 日本の封建制
日本の封建制は、欧州と同じく亜周辺であるために生じたとする。帝国が生じないため、封土と服従という互酬的システムが生じた。

周辺のやベトナムで官僚制国家が生じたのと対照的に、武家政権となっている。武士の主従関係は、封を介した互酬的関係であり、集権的な官僚組織にはならない。

また、互酬的関係は軍事的に貢献した臣下に恩賞を与えないと継続しない。組織的な支配関係(交換様式B)である中央集権的体制が作られるには、戦国時代を経由する必要があった。

7 徳川体制とは何か
徳川体制の特徴は以下の通り。

① 根拠地
京都ではなく江戸に幕府を開き、皇室に形式的敬意を示す事で、鎌倉時代にあった武家と公家の二元性を取り戻した。
② 都市化
武士を都市に集め、事実上の官僚とした。
③ 中央集権
封建制(地方分権)であったが、参勤交代制度により極めて中央集権的だった。

欧州の絶対王政と異なる事は、鎖国と軍事技術発展の停止である。それは拡大主義の停止であり、秩序安定の意味があった。

徳川家康は、貨幣経済が下剋上を促進し、それが中央集権的国家に帰結し、徳川支配を崩壊させてしまうと思い、封建制を確保しようとしたとする。

8 明治維新以後
明治維新は、天皇親政による律令国家回復を目指す事で実現した。

明治政府は神祇官を復興させ、郡県制を採用した(封建制の否定)。その後、富国強兵政策が採用されるが、それは徳川幕府によって抑制された傾向の復活と言える。

著者は、日本において天皇制が残存した事を帝国・周辺・亜周辺から説明可能とする。日本が亜周辺であったからこそ、帝国の周辺では不可能な天皇を名乗る事が許されたとする。

そして、亜周辺である日本は帝国にはならず、帝国主義的にしかならない。内閉的孤立と攻撃的膨張の間を揺れ動くとする。

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