フロンティヌス戦術書

読んだ本の感想。

フロンティヌス著、兵頭二十八訳。
2013年12月27日 第1版第1刷発行。



以下は、Wikipediaの「セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9

古代欧州の歴史トリビア集みたいになっている。

【用語】
レギオン:
ローマ軍の基本的部隊単位。3000人~6000人。密集した場合に一人の指揮官の大声が届く限界に一致。

コーホート:
レギオンの1/10単位の集団。一コーホートは300人~600人。

以下は、幾つかを抜粋。

第Ⅰ部 指揮官として用意周到たれ
Ⅰ 司令官の企図は秘すべし
マルクス・ポルキウス・カトー:紀元前195年
征服したスペインの諸都市が防御工事を行っているのを知り、「直ちに防壁を壊せ。さもなくば戦争だ」という文書を複数用意し、送達使が全都市、同日に文書を届けさせるようにした。受け取った諸都市は、要求が自分の所にだけ送付されたと考え、要求に従った。

ププリウス・ウェンティディウス:紀元前35年
キュレスティカ地方(ユーフラテウス川西岸、中心はゼウグマ市)のパルナエウスという地方有力者がローマ軍の情報をパルティア軍に売っている事を放置。そして、カッパドキア(トルコ南部)のタウルス山地から味方増援部隊を呼び寄せる間、時間稼ぎをするために、パルナエウスを通じて「ローマは、パルティア人騎兵部隊が最短距離を来るのならば高低差のある地形を盾に防戦するので問題無いが、平野部を迂回して来るのならお終いだ」という嘘の情報をパルティアに流した。
そのおかげで40日間の余裕を得たププリウス・ウェンティディウスは、万全の態勢で会戦し、勝利した。

Ⅱ 敵を調べ、計画を見破れ
スキピオ・アフリカヌス:紀元前203年
ローマから北アフリカのヌミディア人の王シュパケムに外交特使を派遣する機会に、特使ラエリウスに、中堅部隊長達を僕の体裁で付き添わせ、ヌミディアの軍備を偵察させた。シュパケムの陣地内で意図的に馬を放し、追いかけまわす振りをして敵陣地の弱点を観察したという。

Ⅲ 戦争の性質を決めていけ
アレクサンドロス:
自らの有力部隊を率いた時には必ず、合戦の場所として開けた平野を求めた。

ガイウス・カエサル:
ローマ内戦の時、老練の兵からなる部隊を率いていた。敵陣営が新兵ばかりと見ると、開豁地(広々とした平原)での戦闘に持ち込んだ。

テミストクレス:紀元前480年
ペルシャ軍がアテネに迫った時、地上戦では勝算が無いとして、アテネ市を放棄して、海上で決戦を求める事にした。

スキピオ:紀元前204年
カルタゴ軍がイタリア半島内に長期侵攻している時、ローマ軍をカルタゴの本拠地である北アフリカに送り込んだ。カルタゴ政府は軍を呼び戻したため、戦場を敵領内に移す事に成功した。

カエサル・ドミティアヌス・アウグストゥス:83年
ゲルマン人は叢林や錯雑地形に隠れてローマ軍を急襲し、攻撃後は森の中へ遁入する。そこで、ローマの辺縁境界線を120ローマ哩、外側へ押し出し、ゲルマン人から樹林帯を奪った。

Ⅳ 敵の充満している土地で味方部隊を率いるとき
アメリウス・パウルス:紀元前283年
ルカニア(イタリア半島南部)の海浜に沿って狭い道を行軍していた時、敵艦隊から投射機による攻撃を受けた。そこで、地元で得た敵捕虜を海に向かって並ばせて防壁にしたという。

ニコラストラトゥス:
アエトリア(バルカン半島南部、コリント湾に南面する地)の王。エピロテ人(アルバニアの辺りにいた)と戦争した際、某地点に姿を見せ、ある一本道を突破するつもりと敵に思わせ、その道を小部隊に前進させ、本隊は離れた別の道から進攻させた。

Ⅴ 危険な状況下から離脱するには
クイントゥス・セルトリウス:紀元前80年~紀元前72年
スペインでの作戦中、敵の攻撃を受けつつ大河を渡るため、此岸に沿って半月上の塁壁を築き、そこに木材を積み上げて、火を放った。炎の障碍線に敵が阻まれている内に彼岸へ離脱した。

クロイーソス:紀元前546年
リディア(トルコ西部)の王。ペルシャ王キュロスとの戦いでハリュス河(トルコ最長の河川、黒海へ注ぐ)を渡る必要があったが、渡し船や架橋用木材の準備が無かった。そこで河流が蛇行している張り出し部の弧内に部隊を集め、蛇行をショートカットさせる濠を、部隊の後縁に沿って屈開させた。濠割が新水路として開通すると、河川本流の蛇行部の水量が低減したので、部隊は浅くなった川底を歩いて渡歩する事が出来た。

ガイウス・カエサル:紀元前49年
イタリア半島内部の内戦で、アフラニウスの軍勢と交戦中、退却の必要に迫られた。前衛と中衛に持ち場を維持させて、後衛部隊に深さ15フィートある、後方の安全地帯に達する交通濠を掘らせ、日没後に全軍を離脱させた。

イピクラテース:紀元前389年
トラキアで作戦中、低地に野営地を設定したところ、隣の丘に敵軍が屯集している事を知った。その丘から自軍の野営地まで下り坂で一本道。そこで、夜間、野営地に少人数だけを残しておき、主力は一本道の脇に沿って待伏させた。敵が一本道を下るのをやり過ごし、背後から攻撃した。

Ⅵ 行軍の途中で伏撃に対処する
イピクラテース:紀元前389年
行軍隊列が地形の制約により、縦に長く伸びた時、後尾を敵軍が攻撃しようとしていると報告された。そこで後尾の輜重隊を切り離し、軍の一部を周囲に隠れて待機させ、残りは前方を急がせた。
敵軍がイピクラテースが逃げたと思い込み、輜重を略奪している最中に伏兵で包囲攻撃した。

Ⅶ 需品の欠乏を敵に覚られぬうちに補う
ルキウス・カエキリウス・メテッルス:紀元前250年
戦象を運搬する船が無い時に、蓋が出来る素焼きの油壺を集めて縛り合わせ、その上に大きな板を張り渡し、筏に組んで象達を載せ、別の船で曳航し、イタリア半島からシチリア島まで象を渡した。

スパルタクス:紀元前73年
叛乱奴隷軍を率いた時、コリヤナギの細枝で編んだ板に生皮を被せて盾の代用品とした。

Ⅷ 敵陣営の精神的な団結を切り崩す
ファビウス・マクシムス:紀元前295年
四部族同盟(ガリア人、ウムブリア人、エトルリア人、サムニウム人)が反ローマ連合を結成した時、アペニン山脈を越えたセンティヌム地方に、要塞駐屯地を建設し、エトルリア人の町であるクルーシウムを攻撃させた。エトルリア人とウムブリア人は、自国の防衛が気になって占領地から撤収し、残ったサムニウム人とガリア人は撃退された。

ハンニバル:紀元前192年
第二次ポエニ戦争後、セレコウス朝アンティオコス王はハンニバルを保護し、対ローマ政策について助言させた。ローマはアンティオコス王の宮殿に外交使節を派遣し、王よりもハンニバルとの会談を頻繁に希望した。これにより、アンティオコス王をしてハンニバルは猜疑される事となる。

Ⅸ 兵士たちの反抗にどう対処するか
アウルス・マンリウス:紀元前342年
部下がカムパニア地方(ナポリの辺り)での冬営中に略奪を計画していると知り、冬営を翌年にするという嘘を広め、略奪計画を延期させ、その間に略奪を計画したグループを特定し、処罰した。

Ⅹ 機宜を失している欲求を回避する
クィントゥス・セルトリウス:紀元前80年~紀元前72年
部下のスペイン蛮族からのローマ軍との合戦要求が無謀と知らせるため、小部隊に軽戦を仕掛ける事を許可し、苦戦に陥ったところを援兵で救った。爾後、蛮族は指揮に従うようになったという。

アゲシラウス:紀元前369年
スパルタ軍を率いた時に、テーベの大軍と戦った。自軍を撤退させるために神託を利用し、高地まで後退してテーベ軍を破った。

Ⅺ 部隊の敢闘心を高揚させる
フルウィウス・ノビリオール:
サムニウム人の大兵団と決戦する前に、サムニウム軍の一個レギオンを買収する事に成功したと嘘をつき、士気を高揚させた。

ガイウス・マリウス:
シリアから預言者を名乗る女性を連れて来て、味方を安心させた。

クィントゥス・セルトリウス:
「ルタシニア」と名付けた白鹿を常に帯同し、彼の命令が神の意向によるものと、配下の蛮族に思わせた。

Ⅻ まがまがしき予示に怯んだ兵士たちの不安を拭い去れ
ティベリウス・センプロニウス・グラックス:紀元前268年
ピケント人(イタリア北東部のアドリア海に面した平野に住んだ)と対陣中に、大地震が発生した。グラックスはこれを戦機としたが、ピケント人は地震を神意として不安心理が収まらずに潰乱させられた。

カブリウス:紀元前391年~紀元前357年
アテネ軍が海戦に挑む際に、旗艦の甲板通路に落雷が発生した事を、雷神ゼウスの御力と主張した。

第Ⅱ部 野戦に臨んで知っておくべきこと
Ⅰ 合戦の時を選べ
プブリウス・スキピオ:紀元前206年
スペインでの転戦中に、敵軍が朝飯前に陣立てを整えたのを見て、自軍を後退させ、昼過ぎになるまで自軍に喫飯させた。カルタゴ軍が野営地に引き返し始めたところを狙って攻撃を命じたという。

ファビウス・マクシムス:紀元前295年
ガリア人やサムニウム人が攻勢の初盤のみ手強く、麾下のローマ軍は合戦が長引いても戦意を持久させるパターンを熟知していた。そこでガリア人やサムニウム人が攻撃してきた際は、必ず遅滞防禦をさせ、敵が疲れたところで前衛に兵を集めて全力で戦った。

グナエウス・ポムペイウス:紀元前66年
ポントゥス軍と戦った際に、敵軍が正面に月を直視しなくてはならない方位から攻撃した。敵軍からはローマ軍の全容が良く視認出来ない。

ユグルタ:紀元前111年~紀元前106年
ヌミディア王。ローマ軍と戦う時は戦闘開始時刻を夕方に近い午後にし、味方が苦戦に陥ったなら、宵闇に紛れて確実に自分が離脱出来るようにした。

ガイウス・カエサル:紀元前58年
ゲルマン族の王アリオウィストゥスには、月が欠けていて暗い夜には決して戦闘しない習慣がある事を利用した。

ウェスパシアヌス・アウグルトゥス:70年
ユダヤ族の安息日を狙って攻撃を仕掛けた。

Ⅱ 合戦の場をうまく選べ
マニウス・クリウス:紀元前281年~紀元前275年
ピュロスの率いる重装歩兵の密集方陣(パランクス)の弱点を、散開隊形にするか、狭い地積で混み合うように戦う事とした。

ウェンティディウス:紀元前38年
パルティア人の騎射に対抗すべく、パルティア人が距離500歩に近付くまで自軍を防禦柵の内側に留まらせ、距離500歩から一気に全力で前に飛び出し接近戦に持ち込んだ。

Ⅲ 戦闘のための部隊配列
グナエウス・スキピオ:紀元前218年
スペインのインディビレ町の近くでカルタゴ軍と対峙した。手強いスペイン蛮族が右翼に配され、左翼にはカルタゴ兵が配置されていた。スペイン蛮族はカルタゴの対ローマ戦争に付き合っているだけなので戦意が脆い。そこでローマ軍左翼を後退させ、右翼を前に出した斜線形(右翼に精兵を集める)とし、カルタゴ兵を逃げ走らせるとスペイン蛮族は帰順した。

メテッルス:紀元前76年
スペインでヒルトゥレイウスと戦った時、敵軍が強兵を中央に集めるのを見て、自軍中央部を少し後退させて敵の最強部分との激突を初盤では避け、自軍両翼で敵軍全体を包み込み、全周から攻めて勝利した。

クサンティッポス:紀元前255年
マルクス・アティリウス・レグルスと対戦した時、前衛には軽装歩兵部隊を配置し、中衛に精鋭の決勝部隊を置いた。合戦では、前衛の軽装歩兵が進み出て投槍を投擲すると、すぐに中衛の内側に逃げて、そこから両翼へ移動する。軽装歩兵を追撃した敵は、決勝部隊と近迫し、側面からは軽装歩兵に取り囲まれる。

マルクス・アントニウス:紀元前36年
パルティア人の遠矢に対抗するために、テステュードという陣を作った。歩兵が密集して盾を頭上にかざし、前後左右を盾で重ねて隙間を無くし、遠矢に対する天蓋を構成した。

Ⅳ 敵兵に恐慌を起こさせるには
ミヌキウス・ルフス:紀元前109年
スコルディスキ人(今のグルグラードを中心に国家を形成した)、ダキア人と戦った際に、弟にラッパ隊を含む騎馬の小部隊を率いさせ、最前線の反対側でラッパを吹鳴させる事で、ローマ軍が周囲から迫っているように錯覚させた。

Ⅴ 待ち伏せを仕掛ける
レプティネス:紀元前397年~紀元前396年
カルタゴとの戦争で、自軍領内を意図的に荒廃させ、味方の仕業と思ったカルタゴ軍が加勢に駆け付けたところを殲滅した。

ハンニバル:
自軍も敵ローマ軍の野営地も燃料となる柴木を得にくいと気付き、意図的に畜牛の大軍を残置して撤収した。ローマ軍は牛肉を飽食したが、燃料不足で生肉に近いため、満腹後の消化には時間がかかる事となった。同夜、戻って来たカルタゴ軍はローマ軍に大損害を与えた。

ガイウス・カッシウス:紀元前51年
シリアでパルティア人と戦った際、ローマ軍に騎兵しかいないように見せかけ、主力歩兵を後方に隠した。ローマ軍騎兵が後退してパルティア軍を誘って錯雑地に至らせ、包囲した。

Ⅵ 敵を追い詰めず、猛反撃を喰わぬようにする
フリウス・カミッルス:紀元前349年
ローマに侵寇したガリア人を破った時に、敵兵がティベル河を渡って北方に逃げ帰る渡し船の便宜を図った。また、ガリア人がポムプティネ県を撤退した時は食料提供付きの通路をローマが用意し、「ガリア人の道」と呼ばれた。

ピュロス:
エピロテ(ギリシャ北西部)の王。「逃げる敵に容赦無く追い縋る事無かれ」を勧めていた。敗者に対して寛容という評判が拡がると、敵軍の指揮官が退却する決心をし易くなる。

Ⅶ 味方の寝返りや失敗はうまく隠せ
ルキウス・スッラ:
副官が合戦の初盤に寝返った際、それが自分の命令によるものと説明し、ローマ軍の恐慌を防いだ。

クィントゥス・セルトリウス:紀元前75年
イベリア半島のケルト人を味方にして、ローマのスッラ派と抗争していた時に、「右腕の勇将ヒルトゥレイウスが討ち死にした」という一報を司令部に齎した伝令を刺殺した。

ハンニバル:紀元前218年
イタリア半島に侵入した時、配下のカルペタニ人(イベリア半島原住のケルト人)が脱走した。ハンニバルは、自分の命令で編成から外したと布告し、信憑性を纏わせるべく、他の二、三の部隊を解散して出身地に帰した。

Ⅷ 不屈の剛毅を示して全軍の戦意を復活させよ
タルクィニウス・スペルブス:
サビニ人のセルウィウス・トゥッリウスと合戦中に、熱心に戦闘していない自軍の軍旗護衛小隊の軍機を敵軍に放り込み、軍旗を取り戻すべく奮闘させた。

<会戦後に講ずる手管>
14 一勝の後、終戦につなげるための参考
クラウディウス・ネロ:紀元前207年
ハンニバルの弟ハスドゥルバルの軍をスペインで破った後、彼の首級をイタリア半島まで運ばせ、弟の増援を待っていたハンニバルの野営陣地内に投げ込ませた。

ドミティウス・コルブロ:60年
アルメニアのティグラノケルタ市を攻囲した際に、アルメニア人貴族ウァダンドゥスを処刑し、その頭部を投石機で城内に射出した。

15 負け戦のあとの挽回
ティトゥス・ティディウス:紀元前98年~紀元前93年
スペインでの合戦後、戦場からローマ兵の死体のみを夜間に埋葬させた。次の日、現地の蛮族が同胞の戦士体を回収しようとして、ローマ兵の死者の方が少なく見えるため、ローマ軍が優勢と思い、和睦する事で評議が一決した。

16 信用できぬ者たちから、むりやり忠誠心を引き出すには
アレクサンドロス:紀元前334年
トラキアを征服後、アジア遠征に乗り出す際に、トラキア王と同国の指導的高官を名誉貴賓待遇で自軍の遠征に同伴させた。トラキアには指導力の無い人間のみが残り、叛乱の心配が無くなったとする。

スキピオ・アフリカヌス:紀元前210年
スペインでの作戦中に、地元有力者の並外れた器量を持つ娘を婚約者アリキリウスの元へ送致した。その後、当該スペイン部族はローマの同盟者となった。

17 戦力に自信が持てぬとき、どう野営地を守るか
ティトゥス・クィンクティウス:紀元前468年
ウォルスキ人と戦った時、大半の兵を休養のために帰郷させた事がある。ラッパ手達に馬に乗って野営地内の一定コースを廻りながら吹鳴するように命じ、ウォルスキ人を警戒させた。

クィントゥス・セルトリウス:紀元前80年~紀元前72年
スペインを転戦中に、対手の騎兵隊が強いと見込んだ。そこで、夜、柵無しの空濠を掘開し、その塹壕線の前方にローマ歩兵の横対を布陣させた。敵が襲い掛かって来たところで、部隊を塹壕線内側まで後退させ、敵騎兵が塹壕内に落ち込んだ後で逆襲し勝利した。

18 退却にもちいる小技
トゥルポーン:紀元前134年
シリア王。自軍が負けた時に、退却路に金貨を撒き散らし、アンティオコス軍の騎兵が金貨を拾い集める最中に逃げ切った。

クィントゥス・セルトリウス:紀元前75年
クィントゥス・メテッルスとの合戦で退却する際、再度集合する地点だけを指示し、各将兵がばらばらに後退するようにした。

第Ⅲ部 要塞攻防の着眼
Ⅰ 奇襲をかける
マルクス・カトー:紀元前195年
スペイン戦線で敵拠点となっている町を通常は4日は通過に必要なルートを2日で踏破する事で奇襲して粉砕した。

Ⅱ 籠城者を欺け
ドミティウス・カルウィヌス:
リグリア人(イタリア北西部にいた)の都市ルエリアを攻囲した際、全兵士を率いて、市外周を隊列行進で巡らせる訓練を毎日、ルーチン化した。敵守備陣が訓練に慣れて警戒しなくなった時、城を攻めて要点を占拠した。

キモン:紀元前470年
カリア(小アジア南西部)の一都市を攻略する際に、住民の崇拝していたアルテミス神殿を放火し、住民が消火に夢中になっている間に、アテネ軍に町を占領させた。

アリスティップス:
テゲア市(アルカディア南東)の全住民が市壁の外に出るミネルヴァ祭に乗じ、スパルタ兵に商人の恰好をさせて市内に侵入させ、城門を内側から開放させた。

Ⅲ 敵の内部に裏切者を見つけて利用せよ
マルクス・マルケッルス:紀元前212年
シュラクサイのソシストゥラトゥスを内応者とし、エピキュデスという祭りに乗じてローマ軍はシュラクサイを乗っ取った。

キュロス(ダリウス?):紀元前518年
部下であるゾピュロスを鼻斬の虐刑に処して、敵であるバビロニア人へ追放した。以来、ゾピュロスはバビロニア人から仲間と信用されたが、最後にはバビロニアの都市をペルシャ王に進呈した。

Ⅳ 敵を貧窮に陥らせる
ファビウス・マクシムス:紀元前215年 or 216年
カムパニア(イタリア南部)の都市を荒廃させ、降雪が始まるや姿を消し、カムパニア市民が手持ちの種を全て畑に植えた後に戻って来て畑を荒らした。

Ⅴ 敵をしてこの攻囲は降伏するまで終わらないと信じさせる
クレアルクス:紀元前402年~紀元前401年
トラキアと戦った際、トラキア人使節がスパルタ軍にやって来るのに合わせて、使者から見えるタイミングで捕虜を殺し、それが食糧であるかのように各テントに配給させた。人肉食をする覚悟があるように偽装。

Ⅵ 敵人の注意を逸らせ
ププリウス・コルネリウス・スキピオ:紀元前155年
デルミヌスを攻める際、別の町をローマ軍に襲撃させ、デルミヌス守備隊が自分の街を心配し、住処のある町に戻らせる事で防備を手薄にした。

Ⅶ 飲用水源に対する工作
ププリウス・セルウィリウス:紀元前78年~紀元前76年
イサウラ市(小アジア中南部イサウリア地方首都)の住民が飲用水として依存していた河の上流で工事をし、流路を変えた。

アレクサンドロス(キュロス?):紀元前539年?
バビロンを攻める際、都市に流れ込むユーフラテス川の流れを分割し、一時的に干上がった河川を道路として市内に突入した。

クリステネス:紀元前595年~紀元前585年
クリサ(コリント湾に隣接する湾に面した小都市)に飲用水を供給している導管を切断し、クリサ住民が断水で苦しみ出した頃に、上水を復旧させた。その水にはキンポウゲの有毒乾燥根茎粉末が混入してあり、住民達は下痢になった。

Ⅷ 籠城者たちを畏怖せしめる法
ピリッポスⅤ世:紀元前201年
小アジア遠征中、ロードス島プリナッスス要塞を陥落させるために、城壁から見える所でトンネルを掘らせ、夜間に遠くから土を運ばせて積み上げ、坑道作業が進捗しているように見せかけた。

Ⅸ 予期せぬ方面から都市要塞を攻撃せよ
ガイウス・マリウス:紀元前107年
ユグルタ族との戦争で、ムルカ河畔の町を攻囲した。町は岩の台地上に位置し、裏側斜面は崖だったが、身体能力の高い兵を選抜し、裏側斜面でラッパを吹鳴させて敵を驚かせ、正面からも攻めた。

アルキビアデス:紀元前409年
小アジア北西部のキュージコス市(ピュザンティウム市?)を強襲する際に、ラッパ手に市の裏側で吹鳴させ、そこに守備兵を集まらせた。

Ⅹ 籠城軍を外へ誘い出す罠
マルクス・カトー:紀元前195年
イベリア半島でラケタニ族の町を攻囲した際、敵から見えるように同盟者として最弱と評判のスエセタニ族のみを残し、後は遠くへ去らせ、スエセタニ族に城塁攻撃を命じた。ラケタニ族がスエセタニ族を追撃すると、伏兵がラケタニ族を襲った。

Ⅺ いつわりの撤収
ウィリアート:紀元前147年~紀元前139年
ローマに対するゲリラ戦争の最中、3日間の行軍で退却したと見せかけた所から、1日で戻り、イベリア半島中部のローマ都市セゴブリガを痛撃した。

<籠城する側となったとき、どんな戦術があるか>
12 部下の徹宵警戒を督励するには
アルキビアデス:
アテネ軍司令官だった時、交替で歩哨に上番する兵に対して、時折、光によって合図するので、それに対して光の信号で応答するよう命じ、歩哨の緊張を保った。

イピクラテース:紀元前393年~紀元前391年
コリントに布陣した際、居眠りしていた味方歩哨を刺殺した。「眠りこけていた者を、そのままずっと眠らせてやった」。

13 書信の送達と受領の方法
ポンティウス・コミニウス:紀元前393年~紀元前391年
ローマ市がガリア人から包囲された時、カミッルスに救援を請うために、国事犯を処刑するのに使用されていたタルピーイアの懸崖を降りる事でガリア人を欺き、ティベル河を泳ぎ渡り、カミッルスの居るウェイイに辿り着き、使命を果たすと逆コースでローマに戻った。

ヒルティウス:紀元前43年
アントニウスに包囲されているムティナ市のデキウス・ブルトゥスの元に、薄い鉛板に信書を刻み付けたものを伝令兵の武具に括り付け、スクルテナ河を泳ぎ渡らせる事で届けた。
暗闇に閉じ込めた鳩に手紙を結び付け、夜間、ムティナ市高塔にて明りを付けて待っているデキウス・ブルトゥスの元に光に引かれた鳩が行くようにもした。

14 援軍や糧食補給を請うには
ハンニバル:紀元前216年
カシリヌスをハンニバルが攻囲した際、郊外のローマ軍が市内を貫流するウォルトゥルヌス川の上流から穀粒を詰めた壺を流した。ハンニバルは川の岸から岸まで鎖を張り渡して壺を阻止したが、ローマ軍は木の実を川面に撒いて食糧補給を維持した。

ヒルティウス:紀元前43年
ムティナ市がアントニウス派の軍隊に封鎖された際、壺に塩を詰め、羊の生肉をスクルテナ川に投じる事で籠城軍に補給を行ったという。

15 物資が豊富にあるように敵に印象づける法
トゥラシュブルス:紀元前611年頃
リディア南西岸にあったミレトスをアリュアッテス王が攻囲した際、敵が派遣した勧降使を持て成すため、市内の広場で祝宴を張り、食料が欠乏していない振りをした。

16 秩序への反抗や戦線離脱の脅かしに向き合う
ハミルカル:紀元前260年~紀元前241年
ローマ居住人地域での作戦中、外人部隊であるガリア人が脱走しないよう、信用出来るガリア兵達を脱走兵に偽装させ、匿ったローマ人を殺させる事で、カルタゴへの忠誠心の無いガリア人が地域住民に警戒され、脱走し難くなるようにした。

ハンノ:紀元前261年
シチリアでの作戦中、ガリア人傭兵4000人がローマに寝返ろうとしている事を察知し、件のガリア人傭兵達に俸給が上がる事を約束すると同時に、近郊での物資徴発を命じた。同時に、ローマ軍司令官オスタキリウスに、カルタゴ軍が現地略奪を行う情報を流し、ガリア人を殺させた。

ディオドトゥス:紀元前168年
トラキア地方の要衝アムピポリス市を守備した際に、不穏なトラキア人2000人を客に呼び、海岸に寄港している二隻の商船を分捕って構わないと伝えた。欲に動かされたトラキア人が市外に出たところで市壁を閉じて危険分子を締め出した。

17 被包囲状態からの反撃突出
ハスドゥルバル:紀元前251年
カルタゴ軍を率いるハスドゥルバルがパノスムス市を攻めた時、市内のローマ人は市壁に僅かな哨兵のみを配し、守備兵が寡少であるようにみせかけた。侮ったカルタゴ兵が詰め寄せた所でカルタゴ軍に損害を与えた。

カエサル:紀元前54年
ガリア人アムビオリクスの軍と戦う際に、怯んだ不利をして通常よりいい加減に構築された狭い陣地内に全軍で引き退いた。ガリア戦士が殺到し、集団戦闘に臨めない無秩序に陥るのを待ち、ガリア人を撃砕した。

18 攻囲されても動揺を見せるな
ハンニバル:紀元前211年
ローマ軍は、ハンニバルが野営した土地にある農園主の債権を保証した。有事発生前の代価を正常な商取引として支払う事で、ハンニバル軍を居座らせるつもりが無い事を示した。

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