物語の中の世界

昨日の続き。

以下は、「欲望の現象学」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2445.html

内容理解度は5%以下だと思う。眠りながら書いてしまった。

時代精神を「小説」から考察出来るという考え方なのかな?

人間の思想は「模倣」によって成立している。

且つて強固な身分制が存在し、「神」が信じられた時代には、模倣対象が遥か高位に位置する聖人達で安定していたため、人々は一貫した行動様式を確保出来た。

また、遥か高みに位置する存在に嫉妬する事もない。

やがて身分制が崩壊すると、各個人が平等になり、皆の実力が比較されるようになる。

平等の結果として模倣対象が周囲の人間全てになるために、頻繁に認識が変転していく。

人間の思想は「模倣」によって成立するため、互いが互いを模倣し、互いが互いの障害となり憎悪が発生する。

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小説を通じて、上記の変化を記述出来るとする。スタンダールまでの小説においては、各個人が模倣する対象が一貫しているため、行動や思想が一貫している。

模倣対象が周囲の各個人になると、その思想は万華鏡のように変転していく。

プルーストやドストイェフスキーにおいては、内面描写や語り手の発言まで信用出来ず、場面推移を見守らなくては作中人物が本当に何を考えているかを推察出来ない。

⇒サディスム、マゾヒスムの定義や、貴族制崩壊の過程が良く分からなかった

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多分、現代におけるフィクションにも応用出来る思想。

以下は、「聲の形 再考」の記事へのリンク。今までで最も後味の悪かった漫画。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2400.html

この漫画においても、登場人物達の記憶や思想が場面によって変化していくため、内面描写や主人公の語りが信用出来ない。

登場人物達の年齢が、進路選択をする18歳(高校三年生)というのがポイントだと思っていて、身分制度が崩壊して久しい現代日本では、一般的な子供達が何者かになるために努力しなくてはならず、自分のやりたい事を見つけなくてはならない。

そして、誰もが自発的に欲望出来ない自分に悩み、他者を模倣する事になる。

作中世界における映画撮影や、恋愛動機は現実逃避のためであり、真剣に社会と向き合う事が出来ない。

主人公の抱える孤独感は、ドストイェフスキーのような「自分は一人だが、他人達は一緒だ」という感覚と似ており、他の登場人物達も同様の悩みを抱えている事が示唆されている。

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より現代的な特徴として、作中人物のみならず、読者までが記憶を捏造してしまった事が後味が悪い原因の一つだと思う。

小学生篇においては、皆がやっていた苛めが、主人公一人が行っていた事であるとクラス全員の記憶が捏造される。多くの読者はそこに違和感や嫌悪を感じる。

しかし、高校生篇において、主人公を裏切ったクラスメイトの一人である植野が西宮を責めると、多くの読者の記憶が改竄され、植野が主人公を裏切った事が無かった事になってしまう。

インターネットにおいて他の読者の感想を読めるため、他人を責める事によって自分が抱える後ろ暗い事を擦り付けられる事が証明されてしまう。

「失われし時を求めて」において、主人公マルセルは、現在の自己の死を予見しているし、それを恐れているが、結局は自己を忘れ去って過去の自己の存在さえ信じなくなる。

僕達はこの瞬間毎に死んでいく。

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欲望の現象学(P71):
ゴーチェの言うところによれば、フロベールの作中人物はいずれも≪一貫した性格やそれ自身の独自性といったものの欠落≫によって特徴づけられていて、≪したがって、それ自身では何者でもない彼らは、彼らが服従する暗示の結果によって何らかの物、一つの物、あるいは別なものとなるのだ≫。これらの作中人物は≪彼らが自分に提示した手本に比肩することは結局できない。けれども、自尊心は、彼ら自身に自己の無力さを認めることを禁ずる。自尊心は彼らの判断力を盲いさせて、自分自身について思いちがいをさせ、自分の目から見て、自分の人格にとって代わらせた像と自己とを同一視するように仕向けるのである≫。この描写は正確だ。だが、こうした自尊心の下には、それを統御する自己侮蔑、自己憎悪があることを付言しなければならないであろう。フロベール的主人公の客観的に見えている凡庸さは、彼らの滑稽な自惚れと一緒になって批評家の目をくらませる。そして批評家が、実はそうした主人公たちは、―すくなくとも彼らの中でもボヴァリー夫人のようにもっとも形而上的な主人公は―自分が不完全な者であると気づいている、そして、彼らの意識のもっともかくれたところで自らが最初に恐らくは唯一人宣告する断罪からのがれようと、≪ボヴァリスム≫に身を投ずるのだ、ということを知覚するのを妨げるのだ。ドストイェフスキー的狂熱の源泉と同様、ボヴァリスムの源泉には、したがって、多少なりとも意識的な自己神聖化の意図の挫折が見られる。

⇒多分、「聲の形」の登場人物達の特徴

恋愛感情というよりも所有欲であり、他の人間の所有でなければ良いと思っている。

以下は、まとめサイトの「【18禁】やらない子は依存症なようです」の記事へのリンク。

http://rss.r401.net/yaruo/site_list/archive_list/3562

西宮の人物造形は、上記リンクの主人公に近いと思う。

自尊心を完全に削り取られ、「痴漢してもらった」、「強姦してもらった」と思ってしまう女性。共依存になる救いの無い最後も似ている気がする。

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