超・反知性主義入門

読んだ本の感想。

小田嶋隆著。2015年9月24日 第1版第1刷発行。



現代社会においては、「知性」を大義名分として課される義務や評価が人々を圧迫しており、そうした体制に反発する事を反知性主義と定義する?

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以下は、「メフィラス星人になれません」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2418.html

上記リンクにある疑問と同じものを、小田嶋先生の主張から感じる。何故、小田嶋先生は日本人のみを批判し、外国人を批判出来ないのだろう?

例えば、P57では朝日新聞にて従軍慰安婦に関する捏造報道を行った植草記者への脅迫行為を問題視している。植草記者の捏造は問題視せず、それに対する抗議の中から極端な事例を取り出して一般化し、植草記者への抗議そのものが不当な事であるかのように印象操作しているように思えてしまう。

以下の本「喧嘩上等! 反日国家の中心で反韓を叫ぶ」は、韓国語に堪能な著者が韓国のインターネット上で論戦を行う試みを描写したもの。小田嶋先生がこの本を読んだらどのように感じるだろう?




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超・反知性主義01:生贄志向
謝罪は理詰めの情報交換でなく、話を曖昧にする事を目的とするコミュニケーションだ。

失策の原因を尋ねる側は、論理的な原因でなく、震えたり泣き出す等の反応を求めている。叱責は溜飲を下げるために行われる。情けない姿で謝っている絵姿によって責任を追及する気持ちが和らぐため、説明責任を果たす態度は事態を悪化させる可能性がある。

インターネットを通じて大勢の人間が一つの現象を認識する時、「群衆」という架空の人格が誕生する。他人の恥辱は「群衆」にとって愉快な見世物であり、個々の構成員よりも「群衆」は口汚くなる。

さらに、「群衆」は情報収集意欲が高い。衝撃的な事件が発生すると、情報を貪欲に吸収し、起承転結や序破急で整理された物語に回収しないと落ち着かない。典型例よりも特例が重視されてしまう。

超・反知性主義02:絆志向
個々の構成員の自己犠牲を求める物語が好まれる。友情が不満を抑え、義理・人情が逸脱を防止する。

滅私奉公が美談として称揚され、個々の脱落は裏切りとなる。

超・反知性主義03:本音志向
「本音」は現実であるため、本音を容認しない人間は偽善者となる。「本音」は本音である事自体によって免罪される。

善悪と別に、本音と建前という座標軸があると、無条件に本音が神聖視され、露悪的な人間ほど信用出来る事になる。

そして、近年の日本において多くの人間が従う自国に関する同調の基礎は、「貶す」から「誉める」に転じた?人間は周囲の人間と同じように振る舞う事を強力に内面化しているので、愛国傾向が加速する可能性がある?

インターネットは露悪的な本音を万人に向けて公開する場を提供している。それまで隠れていた本音が共有財産(真実の言葉)として影響力を持つ。

巨大な賛同を背景に残酷が表現される。

超・反知性主義04:非情志向
他人の偽善を指摘する事で、何かを成し遂げた気持ちになる。

インターネット上の本音は、社会が上品ぶる事で保たれている社会的基盤を破壊するかもしれない。

多くの人間は自らと同じ情報を持てば自説に賛同すると思っているので、宣伝によって世界を動かす事が出来ると考える。しかし、「私の意見」は「あなたの意見」で「全ての人間」の意見であるという概念は、問題設定をした際に、自分自身を含む全員を加害者認定しないと論理が成立しないため、比喩的には自らの座る木の枝を切り落とす事になってしまう。

自己言及を含む議論は、自らを棚上げしなければ考える事が出来ない。神の視点はそのために必要とされる。

人類全体の共同意志を一元化出来るとしたら、それは「神」という事になる。

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ハードボイルドな物語では、「人間的な人間は、非人間的な人間に勝てない」という暗黙のルールがある。設定として非情なルールが共有される方が物語進行が劇的になり楽しい。

しかし、一般的幸福は決断力を欠いた人々が逡巡を繰り返す中で育つとする。

超・反知性主義05:功利志向
多くの現代人は目標を達成するために何かをしている。日々の無為に耐えるために、抽象的な目標を設定する事で単調作業の繰り返しに折り合いを付ける。

変革を主導する人間の全能感は危険であり、現場が生身の人間によって成立している事を考慮していないかもしれない。

そうした変革を主導する選良は後戻りが苦手とする。勉強の出来不出来によって評価されてきた人間にとって、偏差値信仰が崩れて価値観が多様化する事は世界の崩壊に見える。それは自分より格下だった存在が自らと対等に振る舞う事を示唆するからだ。

選良は自らが類まれな価値を持つ事を保証する思想の外側には出られない。呪縛から解放されるには堕落や挫折等の外部刺激が必要になる。

その一方で優秀でなかった人々は自らを敗北者と定義付ける思想の外側に出る事が容易い。

⇒知的に劣った人々の方が多様性を受容出来る可能性

⇒価値観を疑えない人間が変革を主導すると混乱が生じる

絶えざる変革ではなく、変わらない基礎が大切?そうした変わらない基礎が日常を支えている。

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