日本の弩

インターネット上の掲示板からのコピペ。

日本の歴史上、神功皇后が作らせた弩が最古の記録らしい。律令制の時代の日本の常備軍である軍団(天皇の直接扱える軍隊)は鎧や武器は兵士の自弁だったが、弩は専門集団を編成して国費で維持していた。「弩師」という役職が兵庫寮にある。

663年の白村江の戦いの敗北以降、唐の軍制を模倣していた時代は、弩が重視されていた。記録では、弩が配備されたのは、福岡や東北であり、「異民族」対策に対蝦夷や対新羅(海賊)との戦いに使用されたようだ。894年の対馬防衛で守備用の武具として使用されている。

弩が効果的なのは、数百人から千人単位で戦う集団戦闘の時で、奈良、平安の頃の大規模な対異民族の戦いでは、それなりに活用されたと思うが、白村江の戦いから百年もすると、唐・新羅から九州を防衛するよりも、東北で蝦夷のゲリラと戦う事が軍事上の主目的となる。

百人に満たない兵員数で、ゲリラ的な戦闘を行うには、携帯に便利な長弓の方が役立つ。東北は山がちで、蝦夷は山や森からゲリラ戦を仕掛けるため、平地・正規戦を想定していた唐の軍制はそぐわない。そのため、防人制度が健児制度に改められ、封建制の礎となる。

その後、荘園同士の領地を争う小規模な戦闘の繰り返しで、弩が有効な場面が減少した。武士階級が台頭し、長弓と騎射が主流となって、弩は急速に廃れたと見られる。

さらに、日本では弩の材料確保が困難。和弓が大きいのは、弓に向かない木や竹を材料に威力を出すためであり、平安時代の弩は、竹と木の合成弓で横幅が1m以上あり、運用に難があった。

弩のような横弓だとコンパクトで張力の高い素材(骨と腱もしくはバネ鋼)が必要になる。前者は日本の気候だとすぐに腐るし、後者はバネ鋼を量産する技術が無かった。そして、その技術を獲得した時には鉄砲の時代になっていた。

運用面でも、雨が多く湿度が高い日本だと、常に弦を張っている弩は、弦が痛み易いため機械式の弩は運用性に欠ける。

弩自体の問題点として、以下がある。

①射程が短い
弓の場合は矢に羽が三枚以上あるが、弩に使用される矢は構造上二枚しかない。そのため矢が回転せず、威力の割に射程が短く命中率に劣る

②上下への仰角が取れない
③左右への射角が取れない
弓と違い矢を抑えていないため、仰角を取るとずり落ち、左右に振ると落ちるため、平地で正面にしか使えない

④連射性に劣る
百年戦争の頃ののイングランド長弓兵は一分間に16発射撃出来たが、フランス弩兵は多くても4発未満しか射撃出来ない

⑤騎兵が使用出来ない
足で踏んで固定して引く事が多いため、馬上で再装填出来ない

⑥製造費用が高い
弓を台に乗せ、引き金をつけるからコストが高くなる



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