善人ほど悪いやつはいない

読んだ本の感想。

中島義道著。2010年8月10日 初版発行。



構成に問題があると思う。前半部分は弱者批判、後半部分はニーチェ個人に関する考察であり、論旨が一貫していない気がする。

人々を少数の超人(強者)と多数の畜群(弱者、善人)に分けて、少数の立場から多数を批判する。しかし、強者とは幻想でしかなく、強くあろうとする態度そのものが典型的弱者の行為である。

超人を唱えたニーチェにしても、彼個人の事跡を探求すると一介の弱者に過ぎず、それは本書にて弱者を糾弾する著者の姿に重なる。

以下は、「目からウロコが落ちるニーチェ入門」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2161.html

<ニーチェの蹉跌>
ニーチェは学生時代には古典文献学の学者を目指し、24歳でバーゼル大学の教授となる。しかし、就任から3年後に出版した『悲劇の誕生』は学会から拒絶される。



博士号さえ取得していないニーチェをバーゼル大学に抜擢したのは、恩師のリッチェルであり、彼はボン大学において同僚のヤーンに大学人事で屈辱的な扱いをされてライプツィヒに籍を移した経緯があり、ヤーンの弟子を飛び越してニーチェを抜擢した事は報復の意味があったのかもしれない。

『悲劇の誕生』においては、間接的にヤーンを嘲笑する文章が差し挟まれている。

ニーチェは自らの『悲劇の誕生』が学会から無視され、ヤーンの第一弟子ヴィラモーヴィツによって攻撃されても表立って反論しない。

それは典型的な弱く鈍い男の反応であり、ニーチェの初期の著作である『哲学者の書』から『ツァラトゥストラ』まで続く学者への罵詈雑言に繋がっているのかもしれない。

⇒著者は、P183~P185でニーチェの学者批判を物書きとして単純で未熟とするが、それは著者自身への批判となってしまう。俺は負けないという宣言が自らの負けを認める事ならば、それは著者自身にも当て嵌まる

ニーチェは『悲劇の誕生』出版後に大学へ辞表を提出するが受理されず、講義を休みがちになり、その7年後に退職する。『ツァラトゥストラ』第二部「墓の歌」にはカインとアベルを下敷きに、神がカイン(ニーチェ)の捧げ物(『悲劇の誕生』)を拒否したとある?

そして、『悲劇の誕生』を賞賛した数少ない人間であるワグナーも、30歳を過ぎて女性に縁の無いニーチェを同性愛者と疑い、自らのお抱え医師アイザーにニーチェの同性愛傾向を診断させる。そしてアイザーは「同性愛の疑い濃厚」という報告書をワグナーに提出する。

それを知ったニーチェは激怒してワグナーとの交際を断ち、その直後から延々とワグナー批判を続ける。ニーチェは「他人に期待する者」に共通する残酷性を持ち、自らの救世主であった人々に僅かな欠陥も認めなかった。

<ルー・ザロメ>
以下は、Wikipediaの「ルー・アンドレアス・ザロメ」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%AD%E3%83%A1





『ツァラトゥストラ』第一部を書く直前、ニーチェ(当時38歳)は友人パウル・レー(31歳)の恋人ルー・ザロメ(21歳)に失恋した。その3年後にニーチェは発狂する

『ツァラトゥストラ』第二部「舞踏歌」には、女に翻弄される男の有様が描かれているとする。それは、『ツァラトゥストラ』第三部「第二の舞踏歌」においてさらに鮮明になるらしい。

ニーチェには、ワグナー夫人コジマのように男を支配する「強い女」に惹かれる傾向があり、そして女に見向きもされなかった。ニーチェが恋い焦がれる女性は高根の花であり、別の男との関係にあった。ニーチェは常に三角関係を望み、成就する見込みの無い女性に計画通りふられる?

それは自信の無い男性にとって、精神的被害を最小限に食い止める方策かもしれない。

<エリザベート・ニーチェ>
ニーチェを探求する際に、妹のエリザベートを避ける事は出来ない。



エリザベートは、38歳にしてギムナジウム教授で反ユダヤ主義者フォルスターと結婚する。ニーチェは反ユダヤ主義を嫌い結婚式には参加しなかった。フォルスターは南米ウルグアイに「ゲルマニア」という純粋ドイツ人の理想郷を建設するが失敗し、帰国したエリザベートは狂った兄を閉じ込めて晩年のニーチェを独占的に管理した。

それまでのニーチェの著作で天才の傷がつく箇所は全て削除し、それまでのニーチェの手紙を全て取り戻し(コジマは拒否したという)、ニーチェに不利な箇所は改竄した。発狂したニーチェは妹によって天才に仕立て上げられる。

その代表的成果が、エリザベートによって編纂され出版された『権力への意志』とされる。エリザベートはニーチェの伝記を書いてドイツ文学界の巨匠となり、二度もノーベル文学賞の対象となった。

そして、エリザベートはヒトラーが政権を掌握した後はヒトラーに接近し、ニーチェをゲーテと並ぶドイツ文化の象徴的存在に高め、ワイマールにニーチェ記念館を建設した。

エリザベートの行為は、悉くニーチェの美学に反するが、同時にニーチェが望んでいた事だったのかもしれない。

以下は、1889年1月6日にニーチェが同僚ブルクハルトに出した手紙の文章。

「拝啓、結局、私は神であるよりは、はるかにバーゼル大学教授でありたいのです」

誰からも評価されず、友達も離れていき、孤独なまま狂って死んだニーチェが、自身の分身(妹)によって権力者に取り入り、ワグナーのような俗物的成功を勝ち得た。晩年においてドイツを嫌悪していたニーチェが、分身によって「ドイツ文化の華」となる。

<弱者としてのニーチェ>



ニーチェは善良な弱者を軽蔑し、女は男を騙してセックスする目的で生きているとし、人権や平等、正義、公正等の現代社会における公理を薙ぎ倒そうとした。

しかし、高貴な人間は人間の卑小に興味を持たない。ニーチェは弱者である故に弱者を嫌悪する。ニーチェには強者にひれ伏し、強者との交際を誇る所があり、実は自尊心が無い。

強者に自分を明け渡し、満ち足りると騙されたとして相手を罵倒する。一旦は心酔したルターやショーペンハウアーを必死に扱き下ろす。そこには、彼らに夢中になった自らへの憤りがあり、それを不透明にしたまま相手のみを引き下げる。

ニーチェは自分より弱い者とも強い者とも付き合えず、自分と対等な存在もいないと孤立するしかない。友人は自分の理想という幻影に包まれた相手であり、相手自身を見ていないため、常に理想と現実の隔たりに苦しむ。自分の視点からしか世界を見る事が出来ないため、相手に失望する。

人間を観察しながらも、眼前の人間が何を考えているか、相手の視点から考える事が出来ない。

彼はまた共有が出来ず、友人が結婚すると以降は絶好状態になる。彼の女性憎悪は、自らを愛さない他に、友人を奪っていく事があるのかもしれない。

ニーチェは、柔和で品行方正、臆病で弱気であり、そうした自らの「反対物」を死に物狂いで求め、その果てに精神崩壊させた男である。どれほど強さを賛美しても、自らの弱さを根絶出来ない怨念。

*****************

<弱者が善人である事>
弱者とは自らの弱さを正当化する者である。自分の弱さが自分を防衛する理由と信じる。そして正当化するが故に、自らを責める他人を許す事が出来ない。

それは、弱者である故に善良という思想を生み出す。

そして善人という弱者は、自らが帰属する共同体から排除される事を恐れるために、共同体の方針に加勢していく。

匿名で他人を誹謗する弱者は、自罰的であるが、その批判は世間的な価値観に寄り添う。学歴や肉体美等の世間で賞賛される事を受容し、その欠如体を非難するが、差別発言等で世間的価値観の枠を超える事は少ない。

匿名のまま成功者を批判し、犯罪者を英雄視する事で社会の価値観に揺さぶりをかけた錯覚に陥る。

そのように弱者には保護者たる強者が必要であり、自らを守る制度を求める。強者には弱者を守る義務がある事になる。そして秩序が求められ、例外者は排斥される。

⇒こうした弱者批判に、自らを高貴に位置付けて対処する者がいる。しかし、高貴は理念であり現実性が無い。弱者から脱したいと願うものが善人として定義される?

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