個別化的価値観と結束的価値観

インターネット上の記事からのコピペ。

犯罪被害者を責める心理を、道徳基盤理論(Moral Foundation Theory)に関する以下の2つの価値観から考える。

①個別化的価値観:
人に危害を加えるべきではないし、人々は平等に扱われるべき

②結束的価値観:
集団を大事にし、権威に対する忠誠心や純潔を重んじる

上記②の結束的価値観への承認が高いほど、加害者よりも被害者を批難する傾向があるとする。

心理研究では、被害者に向けられる言葉が少ないほど、被害者への共感が増す可能性が示唆される。実験的に、ある状況に関する文章の大部分で、主語として使用される加害者と被害者の位置を操作する

パターン1:被害者を焦点とする文章
「被害者は加害者によって近寄られた」

パターン2:加害者を焦点とする文章
「加害者は被害者に近付いた」

⇒パターン2の加害者を焦点とする言葉を聞いた被験者は、被害者の責任に言及する度合いが減少した

******************

被害者を責める心理として、メルビン・ラーナー(1980)の『公正世界誤謬(just-world fallacy)』がある。人間全般に「全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる」という信念に基づいており、信念を脅かす者に対して攻撃を加える。

結束的価値観への承認が上昇するほど、自分が生活している社会に対する、公正世界誤謬は強まる。被害者が存在する事で、正しくて権威あるはずの社会を傷つけるため、「正しい社会なのに不幸な目に逢うとは、被害者に落ち度がある」と考える。

そうした人達は、行動の主語が自分自身ではなく集団や偉い人になる(世間はお前を許さない、社会ではやってけない)。

「何の落ち度も無い人間が酷い目に遭う」という事には本能的恐怖な恐怖が伴う。自分は被害者とは違うと考えなければ、自分も同じ目に合う可能性に怯えなくてはならない。そこで、被害に合わない自分は正しい絶対者で神の側という優越感を持たなくてはならない。

そのため、被害者が純粋被害者であるためには、一般的な社会ルールに従った行動をしている事を明確に示す必要がある。そして、完全に被害者と出来る人間は少ない。犯罪被害者となるには、経済や人間関係、名誉、etcという様々な要素が関わった結果多い。両極端な例を挙げれば繁華街で通り魔に殺された人、ギャングの抗争に興味本位で飛び込んで殺された人では、前者には同情論が多くなり、後者には自己責任論が多くなるはず。

被害者に向けられる言葉が少ないほど、被害者への共感が増すのは当たり前で、後者について「訃報、A氏(38)」とだけ聞かされれば、同情を覚える人間が増える筈。

年齢による変化もあり、「村」のような派閥が少ない小学生では、「加害者が悪い」という論調が目立つが、派閥が形成されて世間体を気にし始める高校生くらいからは「被害者も悪い」という論調が目立ち始める。

社会意識が発達するに連れて、結束的価値観への承認が高まっていく。

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