戦闘技術の歴史1 古代篇、5 東洋篇

読んだ本の感想。

2008年8月20日 第1版第1刷発行。



2016年1月20日 第1版第1刷発行。



以下は、「続90日が限界 」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2374.html

ローマにおける対騎馬戦術や、ササン朝における攻囲戦についての記述を集めてみた。

○パルティアの騎兵
パルティア人の祖先は、ヒュルカニア北部に居住するパルニ族で、アケメネス朝ペルシャに弓騎兵を供出した半遊牧民ダーハ族の一部族である。その後、パルティア人は騎兵だけで構成される軍隊を発達させ、貴族は重装騎兵、家臣は弓騎兵を務めた。

弓騎兵は攻撃を防ぐ盾を持たないために、近距離での投槍等による攻撃に弱く、また、夜間は馬を休ませる必要があるために夜襲に弱かった。投石兵による攻撃も有効な手段で、鉄菱を撒いて馬に傷を負わせる戦法が併用された。

ローマ軍は、自らも弓騎兵から成る支援軍騎兵部隊(アラ)を作り、3世紀には重装騎兵も加えた。

○ササン朝ペルシャの攻囲戦
ササン朝ペルシャの攻囲戦技術は、ローマ軍の技術(ヘレニズムに由来)から学んだものとされる。

「ドゥラ・エウロポス」の攻囲戦については、ほとんど推測するしかないが、攻囲用坑道を用いた実例とされる。その後、城壁を廻らせた都市の興亡は、欧州においては失われていく事になる。

********************

○中国における騎兵
中国の歴史を北部の遊牧帝国と、南部の農耕帝国の争いの歴史と解釈する。

軍事的な優位にある遊牧帝国が騎兵によって南部を征服するが、農耕帝国化する事で十分な馬を確保出来なくなり、他の遊牧帝国に征服される事を繰り返す。

例えば、淮河以北の中国全土を支配した金王朝は、1126年に中国南部に侵入した際には騎兵のみで構成された中核1万人程度の近衛軍を持っていたが、農耕地域を支配していく内に漢人歩兵への依存を高めていく。そのため、全軍が騎兵で構成されたモンゴル軍に敗北する事になる。

モンゴル軍においても、中華征服後に太僕寺という馬群を管理する部局を設けるものの、馬が足りない状態が続いた。そして、中国に定住して漢人化したモンゴル人は騎兵になる能力を持たず、中国南部からの反乱に敗北していく事になる。

その後の明においても、モンゴル軍の騎馬隊を模倣した軍隊を創造するが、やはり騎馬隊は弱体化していき、大量の馬を保有する女真人に征服される事になる。

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