今日が終わってしまった

食べて寝て本を読んでいる内に一日が終わってしまった。体感では、1時間くらいしか経過していない。

「考える事」について考えていた。

何かについて考える場合、考える対象を「主観」と「客観」に分けて、客観的情報と思える事に集中する。主観的情報には、レッテルを貼り付ける事によって「客観」として処理する。

客観的に考える事の問題点として、考える範囲が以上に狭い事があると感じる。主観的情報を排除した結果、情報量が不足する。

だから、大抵の場合、論理の外側にある事柄を「絶対的真理」として無意識的に導入する。主観を排除した結果、自らの先入観に気付かない。

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「主観」と「客観」の乖離の一例として、以下の2つを同様に考える事が出来ない事がある?

①「私」の物が「他人」に盗まれた
②「他人」の物が別の「他人」に盗まれた

上記①を考える場合、反応として「怒る」か「赦す」かの2パターンがあるはず。この時、寛容になる人間は怒りを感じる人間に優越感を覚える事が多いはず。

問題になるのは、上記②を考える場合で、盗んだ原因や盗まれた理由を考えてしまうはずだ。客観的になってしまう。客観視は思考形式の一つであり、正しさを保証しない。

さらに、考えると、自らの客観視を他人に強要するパターンがある。それは盗まれた人間に向けられる事が多い。「怒り」や「赦し」の否定。それは癒しを目的としている事が多いようで、客観視する事によって加害者を理解させようとする。

加害者と被害者は逆転し、上下関係が生じる。

愛情や感動には、そうした側面があると思う。

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