コインの考古学

読んだ本の感想。

アンドリュー・バーネット著。1998年9月30日 初版発行。



序文
コインは、歴史家が過去を解釈する際の重要な情報源である。言葉や像、年代が印されており、数量が多く、耐久性がある。大英博物館には50万個を超えるコレクションがあり、ブリテン島では年間3万個が発掘される。

国家によって公式に造られたコインのデザインや銘は、政治や宗教、文化に関する詳細を体系的に伝える。コインは公式なものなので年代決定が正確であり、デザインの意味や経済について正確に考察可能。

第1章 コインとは何か
コインは、西方では紀元前600年頃に小アジアで始まり、地中海世界や印度に広がった。東方では紀元前600年頃に中国で始まり、極東で限定的に続けられ、18世紀から西方型の造り方に変わる。

コインは通貨として最も一般的な形態であり、正当権力によって価値を付加して発行される事を特徴とする。正当権力とは、集団に委任された責任を負わされ、王のような最高権限者を指す。

貨幣制度存続には権力の介入が不可欠であり、製造が政府によって管理される必要がある。国家権力と国民の合意によって成り立つ通貨価値は、権力の介入が無ければ金属塊の値まで下がってしまう。

コインが権力機構によって発行された通貨的物品である事が、コインを歴史的情報源にする。

第2章 年代決定と特徴
コインを特徴によって分類し、新旧の序列を決める。

例えば、イスラムのコインは造幣地の名や製造年代をデザインの中に組み込む。他に、アルカイック期やクラシック期のギリシアコインのデザインや銘から造幣都市を割り出す事が出来る。

しかし、他のコインについては王の死後も同一の王名を使用する場合(リチャード獅子心王とその弟ジョンによって造られたコインは全て父王ヘンリーⅡ世の名が刻まれている)があり、国民が信頼を寄せる固定化されたデザインを伺わせる。

アレキサンダー大王の死後もアレキサンダーの名を冠した類似コインは100年間も造り続けられた。造幣地や年代を特定する事は困難になる。

以下は、コインの造幣地と年代を測定する方法。

①類似的方法
コインをデザインによって分類する方法。ローマコインは皇帝によって分類し、さらに肖像の形や銘文を基準にする。例えば、エドワードⅠ世、Ⅱ世の治世(1279年~1327年)に造られたペニー銀貨のシリーズは初期は国王名をEDWと短縮し、国王は3つの先端部の付いた王冠を被る。対して後期はEDWAとなり王冠の先端部は2つになる。

②様式的方法
デザインの様式によって分類する方法。ローマ帝国の管轄下にある造幣所には複数の彫り師がいたようで、同じ時期、同じ場所で彫られたコインでも複数の様式が存在する。

ダイス型(打ち型):
コインは金属片を2つのダイス型に挟んで打ち出す工程によって造られる。ダイス型は通常青銅か銅であり、デザインは凹彫りされている。コインを調べると、同じダイス型から造られた場合がある(エドワードⅣ世(1461年~1483年)のノーブル金貨のTRANSENSという文字と半グロード銀貨のLONDONの文字では、Nの文字が壊れたダイス型で打ち出されており、同じ時期に造られた事を示す)。

ダイス型はギリシアコインを考える際には基本的方法とされる。

他に補助的方法として以下がある。

・ダイス型の軸
コインを打ち出す時に、表裏二面のダイス型を常に一定に置く場合とそうでない場合がある。通常は時計の針の位置で表現され、現代英国コインは12時である。女王の肖像を裏返すと裏面のデザインも同じ上下の位置になる。カルタゴのコインも12時で固定されていたが、シチリアやサルディニアはそうでない。

・重量
コインは重量に基準がある。一例として南イタリアのギリシア人植民地のコインは、紀元前3世紀初めに銀貨の重量を1/6減らしている。

・金属合金
合金の性質の違い。例えば、ローマ皇帝ドミティアヌスは82年~85年にデナリウス銀貨の精度を91%から98%に高めている。そのため、ドミティラという皇帝妃の名で製造された高品質コインが前皇帝ティトゥスの治世に製造されていない事が判明した。
また、ローマ皇帝セウェルス・アレクサンデルのコインには微量元素の測定値から2つのグループが認められ、異なった造幣所で造られた事が明らかになった。

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<造幣所の確定>
後期ローマのコインには、286年~326年に操業していたロンドン造幣所の印として「LON」が刻印されたものがある。しかし、造幣所の確定に最も有効な方法は出土地を調べる事である。

例えば、ローマ皇帝ネロの青銅貨の分布はイタリアと北欧州の2つに分けられ、ローマとリヨンに造幣所があった事から、北欧州出土分はリヨンで造られ、イタリア出土分はローマで造られたと推測される。

この方法の弱点は、流通地域の広いコインの確定困難と、流通前に別の土地に運ばれた可能性を排除出来ない事等である。

<年代の確定>
ギリシアコインには年代を示すものは少ないが、ヘレニズム期のコインには年代が刻まれているものがある。

特に紀元前312年に始まるセレコウス時代のコインには年代が刻まれている。ローマコインでは、ハドリアヌス帝が造った「市の874年(121年)」や簒奪者パカティアヌスが造った「永遠のローマの第1001年(249年)」のように年代が分かるものは少ない。

西洋コインで年代がデザインの一部として一般的に用いられるのは、16世紀になってからである。

それだから、コインそのものよりも保管されていた貯蔵庫が年代研究においては大いに役立つ事になる。ギリシアコインの年代研究は、数個の大貯蔵庫の分析によって行われ、紀元前475年~50年くらいの様式変化の流れが確定している。

第3章 デザインは語る
コインのデザインは、円滑な流通を促すために発行者が決める。

主権や国家に直接言及し、或いは支配者の業績や宗教的象徴等を印す。中世欧州やイスラム社会では、国民の信頼を保つために長期間同一のデザインが使用された。

他方では、初期ローマ帝国のようにほぼ全てのコインの片面に皇帝の肖像が表現され、一方の面に軍事的勝利等が強調されている事例もある。

後期ギリシア世界、メロヴィング朝ガリア、アングロ・サクソン、ノルマン朝。ローマ共和制の一時期等では、コイン造幣責任者名が銘の中に表れ、コイン造幣が国家の権威でなく、個人の権威によって為された事を暗示している。

以下は、コインデザインの一例から。

◎建築
建造物は、ローマ帝国時代の50年~200年に良く表現されている。多くは神殿であるが、噴水や灯台、橋、門等もある。カエサルの寛容神殿等の建設されなかった建物は、設計図を後世に伝える。

エフェソスのアルテミス神殿については、コインにて2本~8本の柱で表現されており、大英博物館で見られる彫刻の施された柱のドラム(太鼓杉の石材)の位置が確定されている。さらに、メデゥーサの頭の下に4体の彫像が飾られていた事も分かるらしい。

◎肖像画
肖像画は、近代コインのデザインの基礎であり、ローマコインのように業績を長く記念するものとして存続する事が願われた。後期ローマの金貨に使用された皇帝の表現は4世紀半ばから150年間変わる事無く存続し、英国では銀貨に王が登場したエドワードⅠ世の治世(1272年~1307年)からヘンリーⅦ世の治世(1485年~1509年)まで同一の図柄が用いられた。

逆にエドワード懺悔王(1042年~1066年)等のアングロ・サクソン系の王達のコインは変化に富んでおり、1000年間は統治者の象を描く事が事実上は無かったらしい。

古典世界の話にすると、ギリシア都市国家の理想は個人賛美を押さえる事にあったが、アレクサンダー大王(紀元前336年~紀元前323年)の時代から支配者の肖像を刻印する習慣が始まる。現実の人物像でなく、政治的理想の具現化(アウグルトゥスの肖像画は76歳の時のものだが、その年齢の象でなく、彼の伝記作家スエトニウスに描かれた実像的表現とも合っていない)。

以下の側面。

①人物肖像
ヘレニズム時代の王や3世紀のローマ皇帝の多くは、コインが肖像を知る唯一の手段。
②彫刻の人物同定
彫刻等の他の肖像の人物特定に使用出来る。1世紀~2世紀のローマ皇帝の肖像は数多く残っているため、人物特定が可能になる。
③年代記
コインにより統治期間中に発生した変事の年代を決定する(ネロ皇帝の場合、63年に若者らしいヘアスタイルから大人っぽいスタイルに段階的に変えている)。

******************

一国のコインの図象を調べていくと、各年代における国家の意思が浮かび上がる。デザインに選ばれるのは、その国での勢力ある集団が重要と考えた事がらを反映するものである。

例えば、英国が肥大化した近代では、ブリタニア(大英帝国の女性擬人名称)が帝国主義を表すものとして三ツ又の槍をかざす。

ローマ帝国の国家志向についても推測可能であり、戦争に関わるテーマ(軍事的象徴、戦争の神々等)や征服者アレキサンダー大王の図像から借用したシンボル(顎鬚が無い、帯状髪飾り、上を向いた眼、ヘアスタイル等)から、征服という意思が読み取れるとする。

第4章 経済的情報
古代、中世の文字資料が無い社会では、コインは資料として重要な役割を果たす。

◎コイン本体の情報
・重量と合金純度
コインに含まれる金と銀の比率から国家の財政状況を推測可能。第二次ポエニ戦争(紀元前218年~紀元前201年)では、ローマコインの銀純度が低下し、青銅貨の重量基準が135gから54gに低下し、金貨が発行された。

長期に渡る品質低下としては、3世紀のローマコインは1世紀初めには純粋な銀であったのが、200年頃には銀含有率50%に低下し、270年には約1%~2%に低下している。金貨も3世紀終わりには純度70%~80%に低下している。ローマが利用可能な金と銀が少なくなっている事を示している。

ビザンチン帝国では、最初の600年はコインの純度を保っていたが、11世紀に金貨の品質低下が発生し、1071年~1092年に純度は70%から10%に急低下した。

経済不況以外で、コインの純度が低下した例として以下があるらしい。

①ヘンリーⅧ世
金純度の低いフランスとフランドルの金貨がイングランドに継続的に輸入された結果、良貨が駆逐された。1526年には、イングランドのコインを大陸の主要通貨と同質にする変更が許可された。

②ヘレニズム時代
エジプトやアジアで幾つかの王国が自国の金貨の重量を低下させた。閉鎖的な通貨システムを作るためであり、他国の通貨と両替する際に不利になるため、コインの国外持ち出しが抑制される。

③中世初期の欧州
ビザンチン帝国が西欧の蛮族に支払っていた金貨の交付金を廃止した結果、西欧への金地金の流入が停止し、金貨から銀貨への移行が発生した。

・単位の幅
初期ギリシア銀貨のように高額のコインが多く発行されていた場合、コインの使用範囲が限定されるため、日常用途以外の取引に使用されたと推測出来る。

・造幣規模
コイン製造に使用されたダイス型の数から造幣規模を推測出来るダイス型の数から、地金の量、国家財政の現金使用占有率を測定出来る。

紀元前4世紀後半のデルフィにおけるアンフィクチオニー同盟のコインは、刻印により、表面用のダイス型による平均算出量を2万3千~4万7千と計算された。

◎コインの出土状況
コイン出土については、典型的パターンを定め、そこから異常なパターンを示す遺跡を考察する事になる。例えば、ブリテン島では3世紀のコインが多い遺跡はローマ退役軍人の特権的集落であり、4世紀のコインが多い集落は小さな地方集落の可能性が高いとされる。この事からローマ支配最後の100年間は、地方よりも都会において経済活動が活発であったと推測される。

第5章 コインの歴史
コインは歴史研究の資料として高い価値を持つ。

大量生産され耐久性があるため、文献資料の明確な証拠となる。しかし、コインは2次的証拠であるため、現代に近付くに連れて歴史的資料としての価値は低下していく事になる。

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