続90日が限界

昨日の続き。

以下は、「90日が限界」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2373.html

以下は、インターネット上の掲示板からのコピペ。

古代ローマを苦しめた「アジア」のパルティア、ササン朝。そして古代中華帝国に征服されずに中央アジアを席巻して空前の大帝国を築いたエフタル、突厥。ローマを西の農業国、中華を東の農業国だと考えると古代世界帝国の繁栄と衰退の要因を作ったのはアジア遊牧帝国という事になる。古代遊牧民族の問題は、実力重視による後継の不安定さと、イスラムの登場か。

古代世界における欧州はローマ帝国には余禄で、オリエントとの交易の方が莫大な富を生むため、往々にしてペルシア遠征は大規模化した。古代インドとの交易路の途中に、パルティアが存在し、交易上の障害となったものと思われる。古代におけるインド経済の優位は圧倒的で、クシャナ朝のカニシカ王は各国の金を鋳潰して自分の金貨を発行している。

それほどの経済的動機がありながら、古代ローマ帝国がオリエントの遊牧帝国に結局は勝利出来なかったのは、ローマ圏から遠過ぎて人員不足等により支配が維持出来なかったためとする。

基本的にローマは彼我の戦力を見極めて弱い相手の領土に侵攻する。1世紀にブリタニア遠征を続けたのが典型で、トイトブルクで敗戦→ゲルマンを避けるようになる→ブリタニア遠征に切り替え(1世紀)という流れがある。ブリタニアを征服すると、今度は弱体化したパルティアを定期的に攻めるようになる(2世紀)。

この時点で、対パルティアを想定した戦術は確立されていた。 農業国とは異なる古代遊牧帝国の戦術への対処。



騎馬民族の典型的な戦術として、接近せず一定距離を保って弓騎兵で攻撃し、弱まったら重装騎兵が攻撃する。或いは、行軍中を狙ったり、小部隊ずつ誘き出して包囲殲滅する。ローマ軍は歩兵主体で、それまで騎馬民軍との大規模な戦闘経験が無かったため、初期のクラッスス~アントニウス戦では敗北が続いたとする。

対抗するために、プブリウス・ウェンティディウス・バッススが対騎馬民戦術の原型を考案し、コルブロ等が1世紀のアルメニア争奪戦で形にし、2世紀にトラヤヌス等が完成させ、以降はローマがパルティアに対して優位に立つようになる(2世紀半ばにヴォロガセス4世がパルティア全盛期を髣髴とさせる勢いで戦ったが、結局は敗退している)。

2世紀からローマがパルティアに本格侵攻を開始するが、3世紀の衰退期に入って対騎馬民族の戦闘技能は失われる。

以下は、Wikipediaの「プブリウス・ウェンティディウス・バッスス」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%B9%E3%82%B9

個別の武術に関しては、「続・中世ヨーロッパの武術」に少しだがイラン地方の武術が言及されており、剣術の体系化は欧州より早かったらしい。現存するイランの伝統剣術は、シャムシールとバックラーを基本とするもので北インドの伝統剣術と動きはほぼ同一。



2世紀にパルティアが衰退する理由の一つは、ローマがアラビア半島経由のインド航路を発見し、パルティアを通さないで交易が可能になった事である。領土的にも2世紀は、パルティア領の東方はクシャン朝支配下にあり、2世紀のパルティアが弱体化していた事は間違いない。

そして、ローマの金鉱山が枯渇しインド交易も衰退するとクシャン朝やサータヴァーハナ朝も衰退する。4世紀の西アジアに強力な国家が生まれる素地は用意されていた。ササン朝の勃興もこの流れに沿ったものである。

以下は、Wikipediaの「ササン朝」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%9C%9D

ササン朝は、従来の東方騎馬戦力に加え、パルティアが最後まで持てなかった高練度歩兵部隊と洗練された攻囲技術も有していた。

以下は、Wikipediaの「ドゥラ・エウロポス」の記事へのリンク。3世紀にササン朝がローマ軍相手に攻囲戦を行ったらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%82%B9

また、パルティア時代はティグリス河畔のセレウキア等のギリシア都市があり、ギリシア商人網のパルティア情報を、ローマ側が活用出来た。タキトゥスやプリニウスにパルティア情報が多いのには、こうした背景がある。2世紀末にセレウキアは衰亡し、ササン朝時代になるとササン朝側の情報は殆ど入らなくなる。代わりにキリスト教徒東方教会がササン朝領土に広まるが、ローマ側は殆ど活用出来ていない。

こうした宗教的排他性の変移は、古代から見受けられるパターンの一つである。例えば、ゾロアスター教は、初期はペルシア人限定の民族宗教だったのが、ペルシア帝国全盛期には世界宗教になる。しかし、拡大した帝国の領域内で異文化との交流が激しくなると、ペルシア人としてのプライドを維持するために世界宗教から民族宗教に回帰していく。

世界宗教の伝播範囲も90日が限界?

拡大と縮小は繰り返されるものであり、現代の世界帝国である米国の将来を暗示しているのかもしれない。

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