90日が限界

インターネット上の掲示板からのコピペ。

国家というものは端から端まで90日というのが維持可能な限界らしい。例えば、ローマ帝国はブリタニアからユダヤまで三ヶ月掛かったから五賢帝の時代にはほぼ領土拡張の限界に達した事になる。

共和制ローマの行軍速度は平均20kmほどだそうで、行軍をスムーズに行うために道路も完全に舗装していた事を考えると、鎧兜の時代は90日が理想標準となる?

モンゴル帝国では、バトゥがハンガリー北部でオゴデイの死を知ったのも、フレグがシリアでモンケの死を知ったのも三ヶ月後くらいで距離は約1万㎞。

軍隊の移動スピードと糧食の携帯能力が世界帝国の版図の限界を規定する。同じ軍隊でも、街道を進むのと荒野を進むのでは行軍速度が全く違う。砲車等を引いていると、この差はさらに大きくなる。火砲が発達してからは、もっと遅くなるし、軍隊が機械化するまでは、行軍速度はあまり速くならなかったものと思われる。

スペイン継承戦争で活躍し、神速と謳われたマールバラ公チャーチルは日速11㎞の行軍速度であり、火砲等を携行した事が行軍速度鈍化の原因?

以下は、Wikipediaの「ジョン・チャーチル (初代マールバラ公)」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB_(%E5%88%9D%E4%BB%A3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A9%E5%85%AC)

日本史における最速の行軍は、北畠顕家が建武2年~建武3年(1336年~1337年)に、多賀城から鎌倉を経由して近江愛知川まで950㎞を23日で踏破した事例。途中で戦闘もしながら1日40㎞以上。モンゴル軍より速い。

以下は、Wikipediaの「北畠顕家」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E9%A1%95%E5%AE%B6

行軍によって軍を酷使した事で惨敗した事例で有名なのは、1066年のヘイスティングズの戦い。

以下は、Wikipediaの「ヘイスティングズの戦い」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%BA%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

イングランド王ハロルドは、ヘイスティングズの戦いの直前、イングランド北部に上陸したノルウェー軍を迎え撃つために、5日間でロンドンからヨークまで約320㎞を突っ走り、スタンフォードブリッジで大勝利する。しかし、 今度はノルマンディー公ウィリアムが南イングランドに上陸したので、同じぐらいの速度で南イングランドに引き返す。軍隊を無茶苦茶に動かし過ぎたせい?でヘイスティングズでは惨敗戦死した。

ジョス・ゴマンスの研究の研究では、ムガル帝国における地方の高官の呼び出しの帰りは1日平均30㎞で、早馬伝令は125㎞、皇帝の行軍速度は16㎞(翌日休憩)で、1日おきに行軍と休みを繰り返したらしい。暑い印度では1日おきが限度?

インド遠征時のティームール軍の行軍速度は、1日約50~60kmであるとされ、領外でありヒンドゥークシュ山脈とインダス川、タール砂漠等を考えると記録の改竄を疑うレベルになる。

やはり、端から端まで90日で無理無く移動出来る距離が国家の限界なのか?

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