「物語」から「キャラクター」へ

インターネット上の記事からのコピペ。

時代の変化による人間精神の変化について。

人間は、現実を説明するために「物語」という虚構を必要とする。本物の「現実」は構成が滅茶苦茶で前後も意味も山場もオチも無い。本や映画は残りページ数や残り時間で、終了までを予測する事が出来るが、「現実」はテーマも感慨も無く、唐突に終わる。

インターネットの登場は、そうした現実理解の方法を「物語」から「キャラクター」に移行させているのかもしれない。

バロック期の西洋絵画制作やシェイクスピアの工房制(親方と弟子の共同作業)のように、インターネットを通して、何人ものストーリーテラーが「キャラクター」という共通媒体を通して物語集を編纂していく。

物語のパターンはキャラクター以上に少なく、シェイクスピアの時代に殆ど出尽くしたと言われるくらいだから、大量情報が存在する現代には合わない。

普通の人間に、アニメでも聖書でも、記憶している物語を想起させれば、大まかなストーリーと、主要人物の活躍してるシーン周辺ぐらいしか思い出せない。人間の記憶に残るのは強烈なキャラクター性である。そのため、想像力をフル稼働させなければ理解出来ない構成でなく、手軽に願望を充足させてくれるテンプレートの方が需要がある。

「キャラクター」を中心にして「物語」が構築される場合、人物の行動規範が変化せずに一貫していく事になる。対して、物語を重視する場合、行動規範が事件を通じて変わっていく。例えば、最初は嫌っていた相手との関係性がイベントを経て変化したり、今までウジウジしてた人間が成長したりする。

「キャラクター」が中心になると、人物がコンテクスト上から切り離され、1つの「美しい」ものになってしまう。これはアリストテレスが『詩学』で言及している問題かもしれない。



「物語」は「キャラクター」を成り立たせるための添え物となっていく。人物の特性を説明する場合、設定を羅列するよりも、その人間性が分かるエピソードが一つあった方が良い。

物語は、起承転結や三幕構成等の最低限の脚本の常識を守った上で、登場人物達の心理の揺れを、事件やイベント、異質な人物の登場により表現するための道具となる。

そうした変化の中で、「物語」や「キャラクター」は、多くの人間の普遍的な欲望 = 良い友人、強化等を妄想の中でだけでも叶えるために使用されるようになる。幼く傷つき易い人達は、ハードルが低くなければ共感出来ず、願望が満たされない。異性と話す、遊ぶ、付き合うという普通の事が願望のゴールである事が多い。

そこに必然性が必要であり、物語がその理由付けとなる。空想上のヒーローは、理解や好意、賞賛や認知等の見返りを一切求めずに純粋に人助けをしたくて自らの犠牲も厭わない。だから異常に強い。そうした人間が虚構の中で求められる。

アニメの美少女動物園はバカされるが、美少女動物園系二次創作ほど価値観やストーリー性が剥き出しになる世界はない。

そこに垣間見えるのは原初的神話の風景だ。
 
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