供儀と権力、ゲーム

インターネット上の記事からのコピペ。

生贄を捧げる事が権力を生み出す事について。

虐め被害者は生贄である。虐め加害者は、その集団が選抜した処刑人であり、虐めの責任は集団全体にある。誰か標的を作れば、構成員の溜飲が下がり、共同体の崩壊を防ぐ事が出来る。何か1つを標的にして人々を団結させた処刑人は権力者として認知される。

「相互扶助論」には、ニューギニアの未開人の姥捨てエピソードが取り上げられているが、それは食料的な危機に晒された際の一時的な措置であり、危機が無くなると人々は直ちに姥捨てを廃止していた。「供儀が平時にあっても継続され、人々に強制される様になり、神聖な行為とされたのは神官を中心とした者達が権力を作り出してからである」とクロポトキンは著している。緊急避難的な行為が、継続的権力の発生によって神聖な行為に変化した。



インターネットの仮想空間では匿名の多数者が個人を中傷し社会的抹殺を狙う文化があり「祭り」と呼ばれる。匿名の人々が社会を構成する当事者として制裁を妥当と考えるのが、前時代の生贄文化と共通する。両者とも、神(社会常識)等の個人よりも上位を設定し批判を避ける。

生贄を救済するには、誰かが代わりの生贄とならなければならない。悪は鎮めるしかない。悪を排除しても次から次へと悪が生まれる。

天照大神の伝承を伝えるホツマツタエでは、天皇皇族市民関係無く命は1つしかない、代わりは存在しないと教えている。本人の改心なくしては悪者を殺しても悪意は無くならない。

悪は次々と増殖し、生贄も増やさなくてはならなくなる。

中国古代の殷王朝において、最初の人間の生贄は1回数人だったが、末期になると生贄が100人単位となっていた。牛の生贄もその単位となったために、配下の都市では生活が維持不可能となり反乱を起こされた。そして殷は弱体化し儀式が出来なくなり、神に大規模な生贄を捧げられない王に用は無いと、異民族で殷の支配下だった周が殷を滅ぼした。

集団には適正数を保つ為のキーが、天然で組み込まれおり、それは出産抑制だったり、共食いだったりする。集団全体の栄養状態が悪くなれば、出産しても正常に育つ事は無い。人間が文明を持つようになると、天然のキーという自分の意思以外に対して理屈を作るようになる。それが内向けになれば、階層の構成だったり、生贄システムの設置になり、外向けになれば戦争になる。戦争に勝てば富を奪取出来るし、負けても構成員の数を減らせる。

生贄は、集団内部に向けた戦争と言える。

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増殖していく生贄の義務から逃れるために、発案されたのは代替物である。

諸葛孔明が軍隊を連れて川を渡ろうとしたが荒れ狂っており、現地の住民に「49個の首を供えなければ収まらない」と助言され、小麦粉の皮に豚肉を詰めた物を49個拵えて川に放り込むと濁流が収まった逸話がある。それが饅頭の語源らしい。

船の舳先の女神像も最初は本当の少女だった。

自然災害のように不条理な脅威に晒された時に、労力と才能を費やして科学的に原因を究明したのは一部の天才だけであって、大多数の人間は「コレは神の怒りによるものだから、生贄を捧げる事で鎮まるはず」のような脳内理論で事態を合理的に把握した気になり、見せ掛けの対処で心の平安を保つ事しか出来ない。不安や恐怖に苛まれると安易な迷信に縋ってしまう心理自体は、変わっていない。

昔は天災は神の怒りであり、『多くの人が亡くなる』→『神が人の命を求めている』となり、神の怒りを鎮めるために生贄を捧げるという発想になる。

それは神からの報酬についても同様であり、北欧神話の神であるオーディンは戦争の勝利を約束する代わりに血を求め、バイキングは「血の鷲」と呼ばれる生贄の儀式を行った。捕虜の背中に鷲の形を彫り、背骨を露出させる。儀式の間は意識を失わせないように生贄の顔や鼻には海水をかける。生贄が苦しむほどオーディンが喜ぶとされた。バイキングは儀式の最後の段階で生贄の肺を引き出し、翼に見立てたとされる。

「理由は解らないが神様が怒っているから殺される」という認識から、「それなら死んで詫びる」という理屈が生まれる。そこで、宗教を理論化し、食物や金品の方が喜ばれるという理屈を作り出す。人間の方から一方的に神に人格を設定し、神の喜怒哀楽を人間にとって都合良く理解出来るようにする。

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近代でも生贄儀式は残存している?

<常紋トンネルの人柱>
難工事の末、1914年(大正3年)に開通した常紋トンネルは、1968年(昭和43年)の十勝沖地震で壁面が損傷したが、1970年(昭和45年)に改修工事が行われた際、立ったままの姿勢の人骨が壁から発見され、出入口付近からも大量の人骨が発見された。タコ部屋労働者(略称:タコ)が生き埋めにされた事について、当時のタコやその他関係者達の証言もあったが、特殊な状況を示す遺骨群の発見によって、かねてより流布されてきた怖ろしげな噂のうち人柱の件は事実であった事が証明された。

現代で意味があるのは、「いつか死ぬ恐怖」の克服である。『死ぬのが怖い』、でなく、『どう死ぬのが怖い』、に置き換える作業。「死の例示」を作成する事で、「死んだ後も安心」をより具体的に作る。

マヤの生贄でゲームの勝者が生贄になるのは生まれ変わりの褒美である。死んだら何も言えないし、その後に産まれた子供はその瞬間から死んだ人の生まれ変わりとして周りに扱われるから自分にはゲームの前世があったと信じて疑わない。結果、生贄で死ぬ事に抵抗が無くなる社会になる。

⇒ゲーム的仮想空間が現実世界を代替した時に、一般化し得る現象?





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